合田リポート2

執筆者:月夜堂さま

花野の夕月夜  十数年の警察稼業の中で、合田は今までにもう何度も、自分自身 がつぶれそうな感覚に襲われた。  強大な圧力の下(もと)、組織を構成する歯車のひとつとして生 活を営んできた。いちいち心を動かしていては、とうてい持たない と割り切ってはいても、最近のやり切れない事件に遭遇したときな どは刹那的に忍従できず、合田の心は「何か」を求めてさまよう。 求めるものは救済なのか、人の心なのか。おそらくはそのどちらも。  にわかに容認しがたい自身の変化に合田は戸惑いを覚えている。 自分が弱い人間だという事は知っていた。その自覚が以前よりも増 し、強くなっていた。その上に、ばかげた理論だの、下らないプラ イドだのを着込み、分厚い面の皮を一枚被って仕事をしていた。そ んな自分にふんと鼻を鳴らし、冷ややかな目で観察するもう一人の 自分も合わせ持ちながら。  合田にとって八面玲瓏でつき合える相手は少ない。  なかでも、無条件に合田の内なる貴賓席に鎮座ましましている人 物、それが加納だった。いつの頃からそうなったのは定かではない。 多分、加納は立ち見席から時をかけて、少しずつ登り詰めてきたの であろう。  貴賓席から合田を見つめ、見守るその目は、人を見ることを生 業(なりわい)とする時のものではなく、それでいて心のありよう を透徹する。そうやって一観客にとどまらず、合田のなかに。今や 加納の存在は合田にとって必要不可欠なものとなっていた。  物思うときに、まず加納ならどうだろうと考える事が増えた。加 納の顔を見たとき、笑みが浮かぶ自分を発見した。他愛のない世間 話をすること、真剣な議論をすること、話がぽんぽん飛んでしまう 加納の頭脳構成を推し量りつつ喋る事の楽しさを感じた。  湿度が高く腐敗した職業環境を持ちながらも乾燥していた人生に 面白みが加わり、生きることに一つ楽しみができた。  加納が作ったつまみをつつき、酒の力でそんなことを思いつくま ま口の端に乗せた。  物静かな仮面を着けた加納は、合田が言葉を発すると一瞬の隙を 突かれたのか、心の色が顔に出た。私曲(よこしま)な表情が加納 の深い懊悩を映し出していた。  読みとられまいと伏した加納の瞼の動きを捕らえたその時、合田 の雄蕊に甘い疼きが突き刺さった。  両手に包み込まれたグラスの中、深みのある琥珀の海に浮かぶ冷 たく透明な氷が加納の掌の温もりで少しずつ溶けゆき、ゆらゆらと かげろうを造る、そのさまを加納が見つめ、合田が気づいた。  敷き詰められた花毛氈。咲き乱れる天上の花。風に舞う花弁に見 え隠れする蠢く生。  脈に沿った律動に、絡まり合う指先に、濡れて融け合う舌尖に。 息だけで合田の名を呼ぶ加納の声に、花が答え、合田の命を彩って ゆく。  のぞき込んだ加納の瞳に写る己の顔に向かって「祐介のために」 と心の中で呟くと、加納が「雄一郎のために」声に出してささやき、 合田のグラスに舞う花びらを一枚受けて差し出した。  合田はこれを尊いと感じ、少し生きている時間を延ばせる、と思 った。  
 合田リポート3



受 付 医務局開設の経緯へ

神経科 月夜堂博士論文1 title: 加納症候群へ

内 科 月夜堂博士論文2 title: 情報部の苦悩へ

外 科 月夜堂博士論文3 title: 告解へ

薬 局 いお一郎助手論文 title: ヨヒンビンへ

医務局入口へ戻る

合田のTOP PAGEへ戻る

親父のTOP PAGEへ戻る



管理者:y-shindo@mx5.nisiq.net