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この時期に岡崎京子の単行本が出てしまう、ということに関しては、やはり複雑な気分がする。(岡崎京子は1996年に交通事故に遭い、以降98年7月現在まで休筆、リハビリ中。)
この本の編集付記には、「ご家族からの承諾も得まして、本作品刊行に踏み切りました。」とあるが、微妙な表現だ。
一読者としては、とりあえず復帰を待ち続けるしかないのだろうとは思う。
内容に関してはいつもの岡崎京子である。
彼女の、自分の作品に対するスタンスの取り方は、たとえばこの単行本なら「恋愛依存症 karte2」などにわかりやすく表れているだろう。
世界を俯瞰する。しかし、そこに触れることはできない。そんな感覚。
頭が良くて、慎み深い人だ、という印象がある。どんなに執濃い、ほとんど血生臭いような世界を描くときでさえ、不思議な透明度とリアルさを同時に保ちつづけることができる。岡崎はそういう希有な才能を持った人である。
この単行本に収録された作品も一貫して質は高いが、なかでも「お散歩」。
これに触れないわけにはいかないだろう。
これは間違いなく大島弓子の「裏庭の柵をこえて」を意識して描かれた作品である。ストーリーそのものの構造。子供の視点の導入。「窓」という小道具の使い方。共通する部分を挙げるときりがない。
しかし、最終的にはこの二つのお話はまったく違った作品になっている。ほとんど感動的なほどに違っている、と言っても良い。
「裏庭の柵をこえて」に見られる大島弓子の、透徹したほとんど狂気にまで行き着いてしまうような感情を描く才能。
それは、岡崎京子にはないのかもしれない。注>岡崎も時に狂気に手を出すが、彼女の描く狂気はほとんどマテリアルなものである。漫画のなかで「他者」=自分の理解の埒外にある存在を描くために、狂気という「物」を利用しているという印象がある。個人的には、そこに若干の物足りなさを感じてしまうことがあるのだが。
しかし、この「お散歩」には現実と通底するざらざらした詩情がある。決して安易なノスタルジーに終始することのない、「今」の見える漫画になっている。
作家の資質というものを考えさせられる、なかなか興味深い作品だった。
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