・はじめに
建築における「光」や「影」や「風」との関連性については、我々が学生時代、建築を学び始めた頃からいろいろな書物や実際の建築物を体感する中で、建築におけるそれらの重要性を学んできている。故に今さらにして、「それら」の重要性を私が声高々に云々する必要性もないことだが、私自身の考えをまとめる事と、建築と「光」や「影」や「風」との関係に感心のない方に向け、歴史的考察を踏まえながら小論をしたためる事にした。
1.「光」と「影」について
建築における「光」の性質を歴史的に考察すると、日本建築の空間における「光」の性質と西洋建築におけるそれの違いは気候風土或いは文化的な違いからとも言えるが、明らかに性質を異にする。日本建築の形態的特色については論点がづれるので割愛するが、激しい雨雪に備える為の深い軒等によりむしろ「光」は遮られ、それにより日本建築の空間の光は「優しく、淡く、精神を包込む様な光」となる。伝統的な日本家屋等で縁側越しに障子を通して射し込んでくる様子は我々の生活の中で馴染みが深い光景である。それに対し、西洋建築における「光」は、ルネッサンス建築の代表的建築とも言えるヴァチカン市国にある「サンピエトロ寺院」におけるドーム部分から射込む一筋の「光」に代表されるように、「直接的で、力強い光」となる。
1920年代、様式美建築といわれる時代から機能主義、合理主義を理念に持つ近代建築の原点である「国際建築スタイル〜モダニズム建築」へと建築の潮流は移行していく。その潮流移行の中で様式建築の最大の芸術的特徴である「直接的な造形美」が排除されていくこととなる。その結果、「直接的な造形美」を持たない「近代建築」が芸術性を伴った「建築物」として存在する為には、建築以外に空間構成要素を求め、その結果、建築以外の重要な空間構成要素の一つに「光」を見い出し、「様式建築」以上に必要不可欠としたのではないかと考えられる。近代建築の巨匠達においても「建築」と「光」の関係について深く感心を持ち続けていた。ル・コルビュジェは「建築とは、光のもとに集められた立体の正確で壮麗な演出である。」と言い、フランク・ロイド・ライトは「太陽はあらゆる生命の偉大な発光体である」と言い、ルイス・カーンは「構造は光を与え、光は空間をつくりだす」と語っている。
近代建築完成後、1970年代末期において「ポスト・モダン(モダニズム建築に対して造形主義であり、抒情的でより遊び心があり、歴史的様式を用いる混成スタイル)」という建築潮流が始まることにより、現在の自由な建築表現への先駆けとなるが、いずれにしても、近代建築以降において「光」の持つ重要性は、我々生命体における「DNA」のごとく、我々が意識するとしないに関わらず、過去から現在へ、現在から未来へと脈々と続くであろう。
「光」があれば「影」が出来る。いや、むしろ「光」の本質は積極的に「影を造る」ことにあるのかもしれない。この「光と影(陽と陰)」という相対する要素を建築に混在させることにより、それぞれの関係が強調出来、その結果、「直接的な造形美」では、けして得ることが出来ない「芸術性」が得られ、また、そこに「時間」の概念も生まれてくるのである。その「光と影」という二元論的相対関係に「日常性と非日常性」、「日本的と西洋的」等という精神的かつ文化的な要素を総合的に重ね合せることが、建築をさらに奥深いものにし、魅力あるものにすると考えている。
2.「風」について
「風」は我々に自然を運んでくる。「風」の向う側に花々や草木の香りがあり、また、人々の気配や生活の臭いや音がある。伝統的日本建築においても日本の気候風土等の理由により、構造的特色(建築物の内外の遮断が充分でないことや室相互の間も開放的であること)があり、「風」を充分に感じることが出来た。西洋建築においても平面プラン上多く見られる特色に中庭(パティオ叉はライトコート)があり、それを介し「風」を感じることが出来たものと考えられる。また、アジア圏においても(東南アジア/パキスタン/ハイバラードの街等)、最もプリミティブな装置として煙突の様な筒の上に取り付けられた反射板によって各建物内に「風」を送込む装置(バック・ギア)等により、ストレートに「風」を感じることが出来たと考えられる(B.ルドフスキーの「建築家なしの建築」の写真による)。
近代建築以降、テクノロジーの急速な発達により快適性が追求され、住環境を建築設備に大きく頼ることになり、それがために建築物の「内と外」を明確に遮断することとなった。我々は生命体であり、多少の差はあれ地球上の他の動植物と同様に大自然に適用出来る様、身体生命システムが機能することになっている。しかし、あまりの快適性追求が、生命体である我々の身体生命システムの機能低下を引き起していることも見のがしてはならない事実である。ハイテクノロジーや高情報化社会において、「不便さ」や「不自由さ」は、その言葉の定義をどこに置くかという問題を含みながらも、「人間らしさ」という意味において、今や「財産」と言えるのではないだろうか。我々が建築において「風」を感じる事の本質は、どうやらここら辺にあると感じている。
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