内と外


・はじめに

 「建築」は、風雨・寒暑・外敵などの害から人間の生活を守る為の施設であり、原始的なものに至っては洞窟、或いは木片・小枝を組合わせて造った簡単な小屋、毛皮のテント等がある。さらには、竪穴式住居や高床式住居へと変遷し、他方においては宗教的儀式等の為の目的を持つ施設もあった。時代と共に、建築は社会的文化や発展を背景とし、単なる「生活を自然から保護する」ことから、社会や文化の状況を表現するものとなっていった。建築の歴史的意義や考察はさておき、どのような時代であれ、どのような目的の建築であれ、「建築」が建築として存在した瞬間にそこに「内」と「外」が発生した。建築において「内」や「外」とは何なのか、我々にとって、それらはどの様な意味や意義を持つのか、考察してみる事にした。

    

1.「内」と「外」

 先ず、ある特定の場所に任意の高さ及び任意の長さの「壁」を想定する。自らがその「壁」のどちらかに位置すると考えると、そこに「壁」をはさんで「こちら側」と「あちら側」が存在することになる。これは主体をどちらに置くかという観念的なものであり、反対側から見れば「あちら側」とされていたものが「こちら側」になる。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、この「壁」が存在することにより、相対的関係を持つ『ある種緊張感のある空間』が相互に生まれる事になる。建築における「内」と「外」の関係も、前述の「こちら側」と「あちら側」の関係に根源的な部分で近しいところが有る。我々は「建築」により「内〜内部空間」を造ると同時に「外〜外部空間」をも造っていることになる。ある意図を持ってものを造るという事が、同時に結果としてその意図に関わらず相対するものをも造っている事になる。「光と影と風と」の項でも若干触れたが、この「内と外」は「光と影」のそれと同様にまさに二元論的相対関係であり、どちらか一方では成立たない関係に有ると言える。歴史的観点においても、ヨーロッパにおいては代表的な伝統的建造物等における「中庭(パティオ又はライトコート)」は単なる「内・外」の関係だけではなく、むしろ外部空間に政治的・文化的・宗教的意義が深く込められており、一方日本においても、京都等にみられる伝統的町屋(間口が狭く、かつ奥行きの深い住宅等)の多様に性格付けられ配置された中庭(前庭、中庭、奥庭等)が、平面配置において内部空間にそれぞれの性格付けをもたらす事となっている。

 我々の今世紀における功罪は、一部を除き、「外」から「内」を切取ってしまった事(内と外の離脱)に有るのかも知れない。それは、特に我が国においては「外」では履物を付け、「内」ではそれを取るという歴史的民族性から端を発しているのかもしれないが、「権利」という名の基に「我がものとそれ以外」、分りやすく言えば、「我が土地と他人の土地」や「我が土地と道路」、「我が土地と街」へという個人化した観念性を持つものとなったことに起因するのではなかろうか。「我が家では唾を吐かないが道路では唾をはく」或いは「外には平気で物を捨てる」などとよく聞くが、そこには長い歴史の中に培われてきた文化的意識背景からなる「内と外」の関係が垣間見れる。更には、現代社会における高度な技術や高情報化社会がそこに拍車をかけ、「内」だけの価値を高める事に翻弄し、「内」と「外」の離脱を決定的なものへと位置付けるものとなっていった。

 我々は、過去先人達が築き上げてきたものに素直に耳を傾けその精神を再認識し、経済性からなる生産性や工業性一遍倒の「もの造り」に終焉を告げることから始めなければならないのではなかろうか。「one of them」から「only one」へという意識を持ちながら生産性や工業性を見直したとき、改めて「内」と「外」の重要な関係が認識できるものと考えている。

   

2.「内なる外〜外なる内」へ

 「内」であり又、「外」でもある。それは「奥行き」となり「深さ」に繋がる。観念的な空間概念であり、建築の「内」と「外」を繋げる「中間領域」を意味する。元来、日本の伝統的建築は線状の木材によって構成され、広闊な「壁」もなく、又執拗さや重厚さもなく曖昧な空間を持つ事から、容易に外部空間に融け込む特色を持っていた。一方、ヨーロッパにおいても、伝統的建築物にみられる石造等の主構造からなる「壁」が建築を構成する重要な要素となり、はっきりとした存在感を持ち重々しくどっしりとした建築となるが、それとは対照に、前述したように「内部」に「外部」を取込む「パティオ」等が多くみられ、その「内部」と「外部」を繋げる為の「中間領域」として「回廊」等が存在したと考えられる。地域やその目的はどうであれ、気候風土や文化的背景から「内なる外〜外なる内(中間領域)」は歴史性をもって、確実に我々の身近に存在していた。

 先に今世紀の功罪として述べたが、現代社会の生産性や工業性の進歩が「効率性」や「利便性」や「快適性」をもたらしたが、同時に失ったものも大きい事に我々は気付かなければならない。特に日本においては一部を除き、現代建築は地域性や気候風土性を失い権利のみが建築化している状況にあると言える。我々が権利や私利から解き放たれた時、「内」と「外」の関係に初めて一筋の光があたり、更には「内なる外〜外なる内」へと広がりを得る事が出来ると考えている。

    


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