| 年/月 (年齢、学年) |
し た こ と |
| 1978/07 (12、中1) |
九州工業大学(国立大です、北九州市)の夏期休業中に開催されたマイコン講座に、そこの教官を父に持つ同級生から誘われて参加。今になって思えばお客さんを集めるためだったのかも? しかしこれが浅葱とパソコンの運命的な出会いとなる。プログラム作成時に行番号を自動で付すコマンド「auto」にいたく感動し、しばらくの間コンピュータが言語を理解するとはどういうことなのか悩んで眠れない日が続く。 後に聞いたところでは使用マシンはNECのPC−8001(8ビット)である。当時は機種名になど関心はなかった。 |
| 1982/04 〜09 (16、高2) |
NHK教育テレビ「趣味講座」で「マイコン入門」視聴。番組のテキストと「N−BASIC入門」(アスキー出版)を父が自分用に買い求めたが、そのうち浅葱に「勉強してみるかね」と手渡す。今も手元にあるこれらの本の広告を見てみると、現在メモリは32MBから64MBへ移行しつつあるが当時はなんとたったの32KBである。 しかしその後OSとアプリケーションソフトウェアが普及して、プログラム言語なんぞすっかり忘れることとなる。 |
| 1986? (20、大3) |
所属講座の新しもの好きな教官が、周囲に先駆けて自室にPC&プリンタ&一太郎を購入。記憶違いでなければNECのPC−9801 VM2(16ビット)である。プリンタの機種は記憶にないが、第2水準漢字を印刷するにはカートリッジ(ROM)をセットしないとならないという面倒臭さであった。「好きなだけ使いなさい」と言われたものの卒論はすべて手書きでまったく使用しなかった。先生ごめんなさい。実は教官室のパソコンよりも工学部情報処理センターの端末室に入り浸って、汎用機で遊ぶほうが好きだったのである。記憶違いでなければマシンはNECのACOSである(本当か?) 言語はFORTRAN77であった。 |
| 1989/04 (23、社会人) |
研究という職務柄パソコンを多用するようになる。すでに世間では一部の著名なアプリケーションソフトが普及して確固たる地位を築いており、数値データはたとえ電卓の四則計算で済むことでもスプレッドシートを使い、当時は手書きの方が断然有利なマップでも何とかワードプロセッサで描こうとするほど、館長はすでにパソコン中毒の症状を呈していた。 |
| 1992/07 (26) |
結婚を5ヶ月後に控えながら、結婚資金の貯金の一部でついに念願の「マイコン」(micro computerではない。my computerである)を購入。半年前に売り出され大ヒットを飛ばしたNECの98ノートSX/T(PC-9801 NS/T) 「浅の−1号」である。前後して研究職10名(+他12名)の職場に公私合せて4台のSX/Tが導入される。 |
| 1995/09 (29) |
転勤後通勤方法が変わりACアダプタ・テンキーボードを含めると約4kgのマシンを持ち歩くのが苦痛になる。Windows95発売が2ヶ月後にせまり、市場は買い控えのため値下がりしていたこともあって、自宅用にWindows3.1プリインストールマシン98マルチCanBe(PC-9821 Cx2/S15T)「浅で−2号」を購入。選定理由はFAX/MODEMボードとTVチューナ/ビデオキャプチャボードがついてもともと高い機種だけど実売価格が他のモデル並みだったから。割引の権利が同梱されていたNEC運営のPC-VAN(当時)に加入、ダンナ(NIFTY会員)に遅れること7年で私用メールアドレスを取得する。それがなければ今の浅葱はなかった。 |
| 1997/03 (31) |
ほかにどうしようもなくて退職。同時にパソコンは仕事道具から家財道具へと変わる。それまでは統計計算と文書作成に限定されていたのが、家計簿や住所録はもとより、衣類、書籍、日用品の買い置き、趣味の持ち物など全財産のデータベースを作って、これまでの人生で物があふれかえった家の中を整理・減量しようと一発発起する。洋服や靴の管理台帳作成に画像データが必要と思う。 |
| 1997/07 | 場所を変えてまたもや職に就いた浅葱は夏のボーナス(もちろん満額支給ではない)でデジタルカメラとタブレットを購入。 |
| 1997/08 | アルバムソフト利用のため遅ればせながらようやくWindows95にアップグレード。これ以降システムに変更があるたびに動作が不安定となり、復旧のために膨大な手間暇を費やすことを余儀なくされる。 |
| 1997/11 (32) |
デジカメは財産管理にではなく、元々好きだった「趣味の写真」(浅葱は大学新聞の記者であった)の道具となる。画像保存用に光磁気ディスクドライブを購入。 1年前にパソコンを買い7ヶ月前に通信を始めたばかりというメール友達(当時49歳)が、20年近いキャリアを誇るこの浅葱様を差し置いて不届きにもホームページを開設(冗談)。彼に背中を押してもらって写真館を開設、館長に就任する。 |
| 1997/12 | 今頃になってプリンタを購入。一般的にはパソコン→プリンタ→その他の機器というのが購入順序というものであろう。しかし「コンピュータはペーパーレスライフ実現のために進化する」という信条の浅葱にとって、データを紙に印刷するという行為は自分自身に逆らうことであるから、今までやせ我慢して買わずにきたし、実際自宅になくても不都合はなかった。なぜかというと、どうしてもという場合のみ年に1〜2回職場のプリンタをちょっと拝借していたからである(内緒よ)。ところが新しい職場ではそれができない。 |
| 1998/04 | 1ヶ月前より「浅で−2号」のレスポンスが極端に落ちて、画像処理どころかとうとう日本語変換もままならなくなったのに、自分に都合悪いことは認めたくない館長は事態が緊迫しているとは考えず、内臓HDDの初期化をしてみようとしたらやはり壊れていた。 いろいろ検討したが、すぐにはどうにもできないと判断。前の職場では互換性の関係からNEC98シリーズ以外の選択肢は考えられず、公私合せて10機種を超えるマシンにお世話になってきたが(だからと言って特別恩返しをするわけでもなく)、冷酷にもこれを機会にNECから足を洗おうと思う。 |
| 1998/05 | 昔の趣味である編み物、洋裁などして、パソコンのない生活を送る(なかなか良いですよ)。 しかし裏では密かにPC/AT互換機を自作しようと着々と準備を進める。 |
| 1998/06 | 互換機のパーツを安く売っている店で個別に買い集めて自作するよりも、欲しいパーツを含む最小構成のショップモデルを買って加工した方が良いと判断。パーツごとに違う店で買っていたら手間・暇や結局お金だって商品代金以外の部分、たとえば店までの交通費や問い合わせの電話代などで余計にかかるかもしれないからである。 山口県民として地元企業のフロンティア神代に注文。ここまで館長のプロフィールを読んでくれたほどのあなたならご存知でしょう。 |
| 1998/07 | 結局付けたいものは全部ショップに付けてもらってすべての設定までしてもらった、情けないくらいお手軽な道をゆく浅葱。だけどこれで何の問題もなくfrontierFBX400改「浅た−3号」は華々しくデビュー!するはずであったのに、最初から妙な起動音がやかましいっっっっっ!!! それにアプリケーションをあれこれ入れた後、あちこち気になる問題が発生。快適なパソコンライフ再開には程遠い状況で暑い夏本番を迎える。 右腕になるべき「浅た−3号」が軌道に乗らないうちに、サブマシンに降格させつつも内心では相当頼りにしていた「浅の−1号」までが追い討ちを掛けるように故障。ACにて使用中突然の電源断を起こすようになり、それでも容赦なくムチ打って働かせていたらとうとう最後には起動時メモリチェック途中でダウン。 これは館長に対するストライキか? 「浅の−1号」は即刻解雇してMobile GearU MC-R500「浅は−4号」を新規採用する。 |
| 1998/08 | 「浅た−3号」初期不良期限ぎりぎりの31日目にして、とうとうカスタマーサポートへ電話をかける。浅葱パソコンライフ初の出来事である。指示どおりに作業しても芳しい結果は得られないが、これが自作マシンの場合は動けば万々歳であると雑誌で読んでいたので、まぁ所詮こんなものだろうと素直に納得して現在に至る。IRQ7は開放したのにプリンタポート使えないしぃ〜 |