村山英和の「フットボールを考える」 
'95年11月26日 オクトーバーベア−ズvs.ユニコーン (2001/1/15)
みなさん,こんにちは,村山です。
今回は,どうしても九州社会人におけるベア−ズとユニコーン戦の特別な意味について伝えたいと思いました。
この試合を境に,九州社会人の伝統の一戦ともいうべき宿敵ユニコーンという構図が出来たといっても過言ではありません。もうこの試合を知るものは,多分ベア−ズの中ではほとんどいないと思いますので自分の思い出す限りでこの試合について述べていきたいと思います。
以下の文は『ZONE』の東山紀之チックに読んで下さい。
時は’95年11月26日,場所は博多の森陸上競技場。九州社会人Aリーグ。オクトーバーベア−ズ,3勝,ユニコーン,2勝1敗で迎えた最終戦。この試合に勝ったほうが,優勝する。ベア−ズはその前の試合,福岡ドームで行われたブラックシャークス戦で大勝し,1ヶ月以上の試合間隔があいていた。対するユニコーンは初戦のパイレーツ戦を落とし,後がなくなったスティングス戦,ブラックシャークス戦と連勝して最終戦に挑む。
この試合については,それ迄の試合結果やその場を取り巻く環境から考えればベア−ズが圧倒的に有利であろう。私もそう思っていた。でも実際は違っていた。
試合開始は13時。集合時間は10時30分。みんなはいつものように登場する。遅れる者もいるがそれはいつもの事である。でも何か雰囲気が違っていた。ベア−ズのみんなは何か浮ついていた。試合前,優勝を決する一戦にもかかわらず私も含めて,にやけた表情がいろんな面々から見られた。きっと俺達は勝てるだろう。そう思っていたに違いない。そして,いよいよスタイルして,試合前の練習をする。第1試合が行われた関係で試合前の練習は球技場の外で行われる。ここではユニコーンの選手とも遭遇する。私はテーピングを指に巻きながら音楽を静かに聴きテンションを上げるユニコーンの選手を目の当たりにした。この瞬間,私はやばいと瞬間的に感じた。つまりユニコーンの選手達は間違いなくこの試合に自分達がこの一年間やってきた事全てを賭けてきている。そう感じた時は遅かった。
ベア−ズのリターンで試合は開始する。このキックオフでユニコーンのキックは中途半端な位置に落ち,リターン出来ないまま,ベア−ズオフェンスが登場する。
第1シリーズ,ベア−ズはQB畑生から投げられた自慢のホットパスをいきなりユニコーンディフェンスにインターセプトされる。このパスはベア−ズ自慢のプレーで,FBのダイブフェイクからアークリリースしたTEに早いタイミングで投げるパスでこの年のベア−ズの看板プレーのひとつだった。それをユニコーンディフェンスは狙いすましたようにインターセプトしたのである。動揺を隠せないベア−ズオフェンス。しかし看板のディフェンスが踏ん張りなんとか抑える。このパスをインターセプトされた事でプレーを置きにいくことになる。
それでもベア−ズオフェンスはほとんどランプレーだけで敵陣に入り,K#57都地のFGで先制する。しかし,いつものリズムではない。パスが投げられないのである。
この年,ベア−ズはQB永田さん(当時#16),バックアップに畑生(当時#15)という体制で挑んだが,第2戦で永田さんが負傷し,畑生がスタートQBを勤めていた。畑生の魅力はパスである。オプションの永田さんに対しパスの畑生という構図は出来上がっていた。
畑生について述べさせて頂きたい。彼は当時九州学生2部の九州工業大学出身で大学院生だった。そしてベア−ズ2年目。段々ベア−ズというチームに慣れてきていた。彼はまじめだった。そして努力家だった。黙っていても黙々と九工大のグラウンドを走り,そして筋トレを励んでいたという。そして,私も含め当時のベア−ズの面々は畑生にきつくあたった。でもそれは彼に対する期待の現れであると私は推測するのであった。私も全体練習が終わった後,遠慮なく彼を引き摺りまわしたが,文句ひとつ言う事なく彼はついてきた。QBは特別なポジションである。つまりオフェンス全体をしょって立つのである。誰でも出来るというものではない。選ばれし者のみが選ばれるのである。それは,例えコールがベンチから選ばれようが,中でコールされようが関係ない。全てのオフェンスの責任はQBに掛かる。そんなポジションを畑生は任された。ベア−ズは基本的に学閥というのがない。つまり来るものは拒まず,去るものは追わずといった精神だったので,頑張れば誰でもスポットライトを浴びる事が出来た。彼は多分,不安だったろう。でも黙ってついてきて,そしてチャンスを掴んだ。
もう時効だと思うから述べるが当時のプレーコールはTEの宮田さん(当時#47,以下ハルオさん)がコールしていた。彼は京産大のセーフティーで大学時代,山崎監督の影響を受けフットボールの知識に関しては群を抜いていた。だから異論はなかった。当時のベア−ズにはルールは暗黙の了解で決まっていた。でも誰も文句を言うものはいなかった。
前半,こう着状態が続く。そして,ユニコーンはFGを成功させ同点。そして前半終了間際,ロングパスを通され,そしてまたもFGを決められる。6−3,ユニコーンリードで前半終了。
私は自分の持論の中に,九州社会人においてFGを決めるということはベア−ズのみが許される特権だと勝手に思っていた。スナッパー岸もっチャン(LG,当時#59),ホールダ−永田さんは抜群だったし,キッカー都地も確実だった。社会人チームでは基本的にキッキングというものは当時軽視されていたように感じたが,私はキッキングが軽視されているのならそれを逆手に取ろうと考えていた。そういう意味でベア−ズのキッキングチームは群を抜いていた。だから,私自身の中ではユニコーンにFGのみで逆転されるという事自体が腹立たしくてならなかった。どうせならTD取られた方が気が楽だ。不謹慎にもそう思っていた。
後半開始。ベア−ズのキックオフで試合が再開。私は都地に『俺の方にスクイ−ブキックを蹴ってくれ,何とかするから・・・』と申し出た。私は,実は前の試合でスクイ−ブキックをそのまま相手陣20yd付近で直接リカバーしていたし,スティングス戦では自らのタックルで相手陣10yd付近で止めた事から,少なからず私の中にキッキングに関して自信を持っていた。私は当時,ベア−ズの3本目のFBである。とにかく,ハングリーだった。試合に出たかった。キッキングでもディフェンスでも何でもよかった。そして,その年,会社の仕事に行き詰まり,頭を丸坊主にした。そして好きだった女性にも冷たい対応をされ,何かに自分の思いをぶつけざるを得ない状況でキックカバーは恰好のポジションだった。そして結果が出た事でカバーについては,少なからず自信を持っていた。でも私は左の5番,一番端,つまり私の役割はコンテインだったが,そんなのは無視していた。
都地のキックは相手の2線目に取られそこそこリターンされる。ここで交替際,LBの中田さん(当時#13,京産大OB)に『誰や,今のコンテイン!』と大阪弁で怒鳴られた。私はすぐさま『すんません。私です.』と申し出た。そんな状況でも,ディフェンスは耐えてユニコーンディフェンスを抑える。
第3QTR,ここでとんでもないアクシデントが発生した。主将で大黒柱のFBの鳥羽さん(当時#25)が足を負傷したのである。どうも戻れそうになさそうだ。バックUPのFBは山下さん(当時#49)が膝の手術で休んでいたので,残るは私と新人の安部(当時#27)。でも,なんとなく何も考えずに『俺がこの試合,なんとかすればいいんだなあ』としか思わなかった。
相変わらず,膠着状態が続く。そして第4QTRへ。
オフェンスはどうもこうもならなくなり,負傷中の永田さんで挑む事にする。でもダメだった。そして,もうひとつの看板プレー,アイソレーションを満を持して待っていたユニコーンディフェンスに止められた。その時ユニコーンディフェンスから『これを待ってたんだあ〜』という雄叫びか聞こえた。はっきり言って私は頭の中がパニックになった。もうどうする事も出来ない。でもそんな中,ディフェンスはしたたかにユニコーンオフェンスを抑えていた。
残り5分程度だっただろうか?ユニコーンの自陣深いところからの4th down。リターナーは私とCB松田純也(当時#44⇒#21)。この時私は彼に『ここ取れんかったら,終わりやぞ!』と叫んだ。彼は黙ってうなずき
そして,パントされたボールは松田純也に飛び,リターンで敵陣に入った。
ここでも,ユニコーンは粘り強いディフェンスを見せた。そして迎えた第4 down short,ハルオさんのコールはQBスニーク,一瞬フレッシュを取ったように見えた。いや明らかに取っていた。でも,ユニコーンディフェンスは『止まった,止まった!』と叫ぶ。ここで我を失ってしまった。もしかしたら止まったんでは・・・それは,はっきり言ってこの試合の負けを意味すると思った。でもレフェリー木村洋さんは何のためらいもなく,ベア−ズに1st downをコールする。思えば私にとって木村さんがレフェリーをした時に負けた記憶がない。そういう意味でホッとした。そして,ここでベア−ズは開き直った。とにかく相手に読まれてもいいから通るプレーだけをコールしよう。それはウィークサイドのスィープだった。エースRB高久さん(当時#34)に持たせる事は暗黙の了解だった。そして,敵陣深くにはいる。このときユニコーンのOLB(当時#43,現#40橋口さん)は私に『ナイスブロック!』と声を掛けてくれたのだが,まだ試合中だったので,はっきり言ってそんな声はどうでもよかった。勝たないと,あの糞暑いなかやった練習が無意味になるし,俺が坊主にした事も単なる変わりもんになるとそう思った。そして次のプレーがコールされる。そこでなんと私がボールを持つプレーをコールされた。ダイブである。はっきり言って『なんで,俺にボールを持たせるんだ』そう思った。その頃の私は責任感がまるでなかった。つまり,美味しいとこ取りのつまらん人間だった。でももう逃げられないと思った。まずハンドオフされたボールをファンブルしない事だけに集中した。そうするとエンドゾーンが見えた。でもユニコーンのギャングタックルにあう。それでも足をかき続けた。でも8ydライン付近で止まったと思う。(はっきり思い出せない)このとき,LTだった岡崎(当時#74)がある飲み会の時,ボソッと漏らした。『なんか,村山があん時,もがいてんねん。でもそんとき俺,誰もブロックもせんとぼけっとしとった。なんか情けなかった』私は別に人を感動させようとか思ったわけでもなくエンドゾーンが見えたからそこに向っただけである。そして次のプレーはウィークサイドのスイ−プ.,キャリアー高久さんがエンドゾーンに飛び込んで逆転。フィールド上の誰もが歓喜の雄叫びを上げた。でも私は,何故か『トラポン決めんとFGで追いつかれるやん』と冷静であった。そのトラポンを都地がど真ん中に決めた。10−6。残り時間あとわずか。
キックオフされたボールはそこそこ深い位置で止まった。そしてなんとか,ユニコーンの攻撃を抑えもう一度,敵陣わずかに入ったところでベア−ズオフェンスが廻って来た。もう時間消費しかない。そしてダイブがコールされまくる。しかしフレッシュがわずかを残して取る事ができなかった。パントチーム登場。そこで当時のパンターだった私の大学同期の小林君(当時#84)にハドルが解けた途端,私は声を掛けた。『小林君,タッチバックになってもいいけん思い切って蹴って!』小林君は思い切って蹴ったら,なんと相手陣,1ydでカバーチームの山口哲哉(当時#43)が抑えた。これで勝ったと思った。はっきり言ってホッとした。
ファイナルスコア:10−6,ベア−ズ勝利。この結果,この年の優勝が決定した。でも私の中で晴れやかな気持ちはなかった気がする。試合に勝って勝負に負けた気がしたからである。つまり彼らユニコーンは我々に対し最大限の敬意を払い,そしてチャレンジャーとして最高のゲームをした。対するベア−ズはどうだったか?心に隙があった。つまり結果だけを重視して何とかなるだろうという気持ちで挑んだ結果だった。
ユニコーンは試合が終わった後,呆然とフィールドを見ていた。試合が終わってからも,当時の藤倉監督が『絶対勝てると思ったのに・・・』と言った旨の言葉を聞くことが出来た。
この試合を境に,私はユニコーンだけには負けてはいけない。つまりベア−ズに対しては,どんなチームも全力を尽くしてくる。でもユニコーンはその度合いが尋常でないのである。だったらこっちだって負けるわけにはいかない。そう思うようになった。毎年毎年ユニコーン戦は死闘になる。でもそれはいつの時代もそうであって欲しい。これは特別な戦いなのである。そう思った。
ということなので,みなさん,ユニコーン戦はそんな試合なんです。いつの時代も伝統の一戦にしましょう。
今年も死闘,期待しています。
文責 村山 英和
INDEXに戻る