| 茶男(チャオ)
こんなこと書き込んだりするの、嫌だったけど、ついにこんな日が来ちゃったなぁ、、ってな感じです。大好きな愛犬チャオが永眠しました。
7月2日の日に14年以上共にした愛犬の「チャオ」が天国へ旅立ってしまったのです。別段急でもなく、今年に入ってから調子が悪くて、犬にしてはの14年という年月もあり、寿命というものもあったと思います。徐々に日が経つにつれ病気の方も悪くなって来てるのは日を追って目にしてこれたし、最後の方は毎日覚悟の意味で、私の中でも免疫というものが少しづつ付き始めて来ていました。だからという訳でもないけど、突然いなくなった訳でもないのが私にとっての最大の救いだったのかもしれません。
とはいえ、やはり14年以上も連れ添った半ば弟のような存在をこうして亡くしてしまった現実を思うと悲しくて淋しくてどうしようもなく毎日のように泣き暮れていた日々が続いていました。たとえペットと言えども家族同然だったし、私が小学校5年生になる直前に我が家に降って来てくれた大切な存在でして。その当時の写真を見ると私はまだ青くさいガキンチョの小学生でいつも隣にはチャオがいて、チャオがいて当たり前の毎日を過ごしておりました。こう考えてみると、ずっと小学、中学、高校、短大、社会人とこれまでのほとんどの過程を過ごして来た私の背景にはいつもチャオがいたのです。まさしく自分の人生の半分はこうしてチャオと共に歩んできたようなものだったのです。
そもそも、ペットというのは、人間よりか短命だし、最初にペットを飼う時点で最終的にはこうなってしまう覚悟は前もって考えておかなければならないことはわかっていました。
でも、実際こうしてそれがこうして現実になってしまった今、やはり戸惑いを隠せないし、どうしていいかわからなくて、そこにいて当たり前の生活で、いないとなると何でいないの?となってはこのへんの整理が正直、未だについていない状態です。
でも前述した通り、ここ最近はずっと毎日毎日覚悟の上だったし、最後の方はすごく苦しんでて、そんな姿を見てるだけで辛くてしょうがありませんでした。早く楽にさせてあげたいけど、そうするとお別れすることになるし、どうしようどうしようって毎日そんな葛藤続きで私自身、精神的にもかなり参っていました。
そんな中、自分でも少しでも気休めのようなものが欲しくて、先月の終わりに私は東京へ行きました。以前から予定してた赤坂ブリッツでのMADなんかが出るイベントだったんだけど、その直前まで当然行くか行かないか迷いました。様々な葛藤、それはやっぱり私のいない時に息を引き取ってしまうんじゃないか?とか、こんなに苦しんでるのに、自分だけ意気揚々と遊んでていいのだろうか?など、考え始めたらそれはそれはとてつもないくらいたくさんの迷いが生じていました。
今思うと、ここで最初の奇跡だったのかもしれません。ずっと元気がなかったチャオが少しづつ元気を取り戻して来たのです。ご飯もほとんど食べなかったけど、ちょこちょこと食べるようになったり。ずっとどうしようとどうしようと考えてて心の中でもhideちゃんに何度も問い掛けた日々も続きました。結局自分の中での判断で様子を見てさっさと行ってさっさと帰って来ようと決め、悪い方向には考えないで、東京へ向かいました。向かう時もずっとチャオのことを信じて。
東京では早速hideちゃんに近い場所へ行き、hideちゃんにチャオのことをお願いしてきました。この時点で、次にこの場所へ来る時は駄目だってわかっていたし、決して良くなるようにとか、治るようにというお願いではなくて「多分、もうすぐチャオがhideちゃんのとこへいっちゃうと思うけど、その時はよろしくね」って。「hideちゃんのとこへいっちゃうのかと思えば、すごく安心なんだけど、やっぱ別れるのが辛いんだよねえ、、、」なんて言いながら「その時は面倒見てちょうだいね。」ってお願いしてきました。
なんかすごくこうしてhideちゃんにお願いしてこれたせいもあってか、不安や迷いが引いていくのが感じられて、すっきりしたのも事実です。重い荷物がいくらか軽くなった気分さえ持てました。チャオの元を離れたら心配で心配でしょうがなくていてもたってもいられない状態なんだろうな、、という当初の不安も、少しだけかき消されたかのようにも思いました。だからと言って手放しでは遊べなかったというのもあったけど、実際東京へ行ってライブを観たりしてふっきれたのもそうだし、自分でも相当参っていたのでやっぱ行って良かったんだなって思ったし、hideちゃんにお願いしてこれたのも私の中では満足でした。
結局、私が東京へ行った一週間後にチャオは息を引き取ったわけだけど、今思えば、やっぱチャオは待っててくれたんだな、、ってこと。友人にも「きっとけいちゃんを東京に行かせてくれたんだよ」って言われました。本当にそうだと思います。苦しかったんだろうけど、必死に持ち直して頑張ってくれて、このことを思うと一瞬にして胸が詰まります。
2日の日は幸運にも日曜日で、私を含め家族全員が家にいました。ずっと別に東京に行ってる最中に限らず、私が仕事に行ってる時とか、ちょっと目を離した隙に逝ってしまったらどうしようと思ってたので、最後まで一緒についててあげれたのが、私としても最高の救いでした。みんなに黙っていっちゃうんじゃなくて、チャオもチャオなりに最後まで一緒にいたかったんだと思うし、やっぱりみんなが揃う日まで待っててくれたんだと思います。結果的にはやはり残念でしょうがないけど、悔いはないし、チャオ自身も安心していったんだと思います。
この日の晩は、家の近所の犬達が一斉に悲しそうな声で鳴いていました。犬ってこういうのわかるのかな?そんな犬達の鳴き声がとてつもなく悲しく耳に入った夜でした。
ずっと手を握ってあげれたこと。最期かな最期かな?と思ったけど、でも絶対信じたくなくて必死に頑張れ頑張れっていってあげれたこと。最終的に息を引き取ったのを見た時、やっぱり信じたくなかったけど素直に「よく頑張ったね」とこの言葉をかけてあげれました。ずっと苦しかっただろうから、ゆっくり休んで欲しいと思ったし、何よりも「ずっと今までありがとう、、、」というこの言葉を繰り返し繰り返しチャオに伝えました。
最後は前日まで私が使ってたバスタオルをかけてあげて、チャオに宛てた手紙も一緒に入れて、14年間の居場所だった庭に毎年この季節に咲いてたアジサイの花に囲まれ安心した顔で眠るように天国へ出発していきました。
「きっと、今度は人間になって帰ってくると思うよ」という友人のこの言葉を信じて、また来世でも絶対逢おうねってね。バイバイじゃなくてまた逢おうねまた逢おうねって顔を撫でて最後にお別れしてきました。その瞬間、これまでの想い出が走馬灯のように頭を過ぎり本当に辛かったけど、やっぱり最後に出てくる言葉は「バイバイ」じゃなくて「ありがとう」でした。
ずっと最近じゃ、この日が来るんだと覚悟は決めてたけどいざ現実になるとやっぱり辛い悲しい、淋しいの一点張りになってしまいます。でも、やっぱこうして泣き顔だけを返すんじゃなくてこれまで一緒に一杯笑って来たから、これから少しづつでも今までのように笑顔を返して行ければなぁって思います。大切なのは今の現実よりかも出会えた運命だから。
ある日突然我が家に降って来てくれたけど、生まれ変わってまた犬を飼う時は絶対チャオを飼いたいし、またこれまでのように一緒に散歩して一緒に走って一緒に笑いたいから。
ずっと何でhideちゃんと同じ2日の日に天国にいっちゃったの?って疑問に思ってました。
でも、こんな事はないだろうけど、この先不意にどちらかの存在を忘れそうになってしまったら、どちらかを思い出す事によって、私の大事な二人の存在はこの先ずっと永遠だなって思います。逆に2日で二人仲良くねって。
直後から想像に過ぎないのだろうけど、hideちゃんに遊んでもらってるチャオの光景が思い浮かばれます。目を閉じると毎回同じ光景が目に飛び込んで来るのです。
きっと天国でラッシーとして仕えてるんだろうな。このこと思うと安心するし、逆に嬉しくなってしまいます。hideちゃん、チャオのことよろしくね。
今回のことでまた「2日」という日にちが更に大事に思えるようになりました。
2000.7.26 HOZAKIより
|