●●●●● 子どもがいるっていうことは......  ●●●●●

 「子どもなんてメンドーだ」と思っていた私が、今や3人の子どもの母親。世の中って不思議だわあ......
 人というのは変わるものですが、子どもとの日々はそうした自分自身の変化が終わりのないジェットコースターのようにある時は突然に、あるときは緩やかにやってきます。私の心の準備などおかまいなしに。
こうした極端な変化が、私と子どもを成長させてくれるのでしょう、きっと。.

 子どもとの生活を通して自分自身が感じたこと、体験したこと、変わったことなどを忘れずにいたい、少しでも記憶にとどめておきたいという想いから、少しずつ「今」を書きはみめました。私でない誰か、特に大人になった子どもたちにも読んでほしいという気持ちもあります。
 また、同じような子を持つお母さんとお話ができたらいいなとも思っています。



momiji 保育園の連絡帳

 もう、10年くらい前になるが、はじめて椎名誠さんの「岳物語」という本を読んだときに、「私にもこんなふうに自分の成長を記録してくれる親がいたらなあ」と思った。子どもの成長の記録といえば写真で構成されるアルバムが定番だが、「岳物語」はわが子の成長だけでなく、それを見守る親の気持ちがこめられていて、親の思いが伝わってくる作品だった。
 椎名さんは作家だから、子どもの成長を見つめる親の思いとそれを文章として伝えるバランスが上手といえばそうなのかもしれないが、多分親だからこそ、自分の子どものことだからこそ、あのような思いを込めた記録ができたのではないだろうか。
 私も3人の子持ちとなり、しかも仕事もしたいというわがままから子どもを生後3か月から保育園に預けている。預けてみてよかったなと感じるのは、子育てが重荷にならないことと、ほぼ毎日欠かさずに記入している保育園の保母さんたちとの連絡帳の存在だ。どうせ子どもを預けるのならプロの手に委ねたかった私は、近くに住む夫の両親に子どもの面倒をまかせたくなかった。これには、何かあったときに親のせいにはしたくなかったというのが一番の理由だ。
 そして、何十冊もたまった連絡帳は、私にとって何ものにもかえがたい宝物となている。昔「岸辺のアルバム」というドラマがあり、川が氾濫して床下だか床上浸水になってしまったときに、家から持ち出したのが家族のアルバムだったという家族のの物語だったように記憶しているのだが、今の私も大地震や家事などがあったときに持ち出すものは、この連絡帳の入った箱と密かに決めているくらいだ。
 長女の連絡帳だけでもすでに10冊以上たまっている。その日どうやって過ごしたのかのほんの一部分やこんなこと・あんなことができるようになった、そして私のグチ、それに対する保母さんからの叱咤激励の言葉、などが書かれている。滅多に読み返すことはないけれど、下の子が生まれると、上の子の同じ時期の連絡帳を引っぱり出してきて、「この頃この子はこんなだったんだっけ」などと薄れていた記憶をたぐりよせてみたりしている。
 3冊もあると、ときどき書くのが面倒にもなる。子ども達が夫と一緒にキャンプなどに行ったときには、「ラッキー!」と思うことだってある。だって、その分は夫が書くことになるから。それでも、子どもの数だけ増えた今でもなるべく欠かさないようにしているし、できるだけ、兄弟とも内容がダブらないようにも気を使って書くようにしている。
 私にとって保育園との連絡帳は、子どもの成長を記録するという形をとった自分自身の日記帳のようなものなのだ。年とともに忘れやすくなっている自分自身の記憶力を補う手段となっているのだ。そんな自己満足的な想いが強い連絡帳だが、何十年か後に子ども達がそれを読み返すことがあったなら、願わくば「ああ、こんなふうに私の成長を見てくれていた人がいたんだ」と力づけられますように。



→ GO TO TOP PAGE