大阪にて
            森 公宏

不思議なくらい変わらない日々

いつも通りの町並みと
普段と変わりない雑踏

都会

街は僕に
ちょっぴりの孤独と
少なからずの疎外感を
与えてくれる

四月一日付けの退職

無け無しの退職金をはたいても
借金は埋まらないのに
なぜかリッチな気分

春なのに
ゆっくりと冬眠をしたい気分だ
0:10 01/04/02 大阪にて

















NEVERMORE(森公宏訳)

思い出よ、思い出よ。僕にどうしろというのだ。
あの秋、曇り空を横切ってつぐみが飛び
北風が調子っぱずれに歌う黄葉の森に
太陽は単調な光を投げかけた。

僕たちは二人っきりで夢見心地で歩いた。
彼女と僕と、髪の毛も思いも吹く風に任せて。
突然僕の方に愛くるしい眼差しを向け
《あなたの一番楽しい時はいつでした?》彼女は声を黄金のようにはずませる。

天使のように鮮やかな音色の中に甘く鳴り響く彼女の声。
控えめな微笑で僕はそれに答え
おもむろに彼女の白い手に口づける。

──ああ、青春の初花の何という芳しさ!
また魅力的なささやきの中
恋人の唇からもれる最初のええ≠フ何と心ふるわせること!




  お気に入りの詩
             森 公宏

 上の詩は、フランス象徴詩というジャンルに分類される(詩を分類することに意味があるか否かは別の問題として)ポール・ベルレーヌのNEVERMOREという作品である。ソネットという詩の形式をとっており、きれいに韻を踏んでいるのが分かっていただけると思う。(sonnet〈ソンネット〉ヨーロッパの抒情詩の一形式。二つずつの三行詩節と四行詩節からなる十四行の短詩。;Bookshelf Basic 2.0による)題名については、当時この英語題が流行したらしい。
 対訳を載せておいた。(原文と対比させるため横書きにした。)もちろん、日本語の特性の一つとして、欧米の言語に比べ韻を踏むことにあまり適していない≠ニいうことがあり、韻を踏むことまでは考慮していないが、できるだけ原詩に忠実に、しかも自然な言葉を選んで訳したつもりである。
 作品を鑑賞する者にとっては、それがどのジャンルに分類されるかということは、自分としては、固定観念を植え付けること以外にあまり意味を見出してはいない。詩を分類する(広げて言えば、芸術全般における様々なジャンル分け)。などということは、それを生業としている学者連中に任せておけばよいと思う。(誤解の無いように言っておくが、私は『鑑賞するためにはあまり意味がない』といっているだけで、ジャンル分け自体が無意味だと言っている訳ではない。)
 もちろん、気のあった連中と酒を酌み交わしながら、ベルレーヌやランボーの作品について蘊蓄を傾けるということも嫌いな訳ではないが、
「この作品良いだろう?」と言う方が、もっと固定観念を交えず、本来の鑑賞の姿勢だと思う。
「この詩はどこが良いかというと…」というように説明し始めると、その人独自の印象を損なってしまうような気がする。百人の鑑賞者がいれば、百通りの印象を持ってもらえるのが良い詩ではないだろうか。
 私はこの詩に巡り逢って以来、『自分もこんな詩を書きたい!』と常に思っている