BIOGRAPHY



 1982年、アラン・ケリー(ds)、スティーヴ・ハリス(g)、パディ・マッケンナ(key)、マーク・バドリック(b)はTROJANというバンドを組んでいたが、 TROJANにはヴォーカルがいなかったため、音楽的な方向性と言うものが定まっておらず、新世代ヘヴィ・メタルのムーヴメントの真っ只中に、 よりソフィスケィテイトされた、メロディアスで、モダンで、そして、若さをたたきつけるようなバンドを結成しようと考える。

 そしてヴォーカルに、トニー・ミルズを加えたTROJANはSHYと名前を変え、地元バーミンガムを中心とするローカル・クラブ・サーキットを続け、1983年にハルのインディペンデント・レーベル、エボニー・レコードに楽曲を送り、自分たちでお金を出して、「Metal Warriors」というタイトルの、コンビレーション・アルバムに楽曲を提供する。

 1983年末、フル・アルバムをレコーディングするためにエボニー・レコードのハウス・スタジオ、その名もエボニー・スタジオにて、トニー・ミルズを正式メンバーに迎えて、2週間で「ONCE BITTEN... TWICE SHY」をレコーディング、そしてリリースされた。
 1984年にメジャー・レーベル、RCAと契約して新しいアルバムをレコーディングする準備中に、マークが脱退しロイ・ステファン・デイヴィス(b)が加わった。
 この頃TWELFTH NIGHTの前座として初めての本格的なツアーに出た。

 その年の終りにかけて2枚目のアルバム、「BRAVE THE STORM」の制作に取りかかった。プロデューサーはトニー・プラットで、このアルバムは1985年にリリースされたが、金髪をオールバックにしたゲシュタポ・スタイルのトニー・ミルズとジャケットがインパクトがあった事、ファースト収録の「REFLECTIONS」をリメイクしたりと話題があったが、どちらかと言うとこのメジャー第1弾は失敗作だった。
 しかし、「HOLD ON (TO YOUR LOVE)」、「REFLECTIONS」と2枚のシングルもリリースし、自分たちだけで2本のクラブ・ツアーも行い、UFO、TWISTED SISTERと英国ツアーのサポートも務めたりもした。

 1986年、RCAはアメリカに6週間滞在さし、外部のソングライターとの共作を指示し、プロデューサーにニール・カノンを指名した。そして、ドン・ドッケン、ジョン・パーカー、マイケル・ジェイ、マイケル・ボルトン、デュアン・ヒッチングスなどに曲を提供された名盤「EXCESS ALL AREAS」を、1986年末オランダでレコーディングする。

 1987年「EXCESS ALL AREAS」がリリースされ、MEAT LOAFと共に英国ツアー、GARY MOORと共にヨーロッパ・ツアーで12ヶ国を廻るなどをして成功をつかみ掛けていた。

 ヨーロッパツアーからイギリスに帰った後、1987年のレディング・フェステバルに参加する機会があり、これもまた大成功で終わるが、その1ヶ月後にRCAは経費削減などでSHYとのレコード契約を切ることを決断する。

 1988年、新しいレコード契約を求めて、定期的なツアー(BON JOVIとのツアーを含む)と新しくよりハードになった楽曲で、同年6月MCAとの契約をもたらした。

 1989年始め、プロデューサーにロイ・トーマス・ベイカーを迎え4枚目のアルバム「MISSPENT YOUTH」制作のためにLAに渡る。
 アルバム発売後、ENUFF Z'NUFF、BADLANDS、SLEEZE BEEZらと共にアメリカをサーキットするが、セールスに結びつかず、1991年、RCA内部の人事異動などでまたしても契約を失い、同時にトニー・ミルズも脱退してしまう。

 その直後に、候補としていたヴォーカリストに接触するが、ほかのレコード会社と契約していることが分かり、獲得を断念する。
 結局、キーボードのロイが以前在籍していたTROUBLEのヴォーカリストで、その後、LAに移り住みSHAMEなどで活躍していたジョン・“ウォーディ”・ワーディを迎え、バンド名をKRAZY KRAZYと替えてツアーを行うが、バンド名をSHYに戻して新しいマネージメント契約を結び、1992年夏にロシアでツアーを行った。

 1993年1月から4月まで全英ツアーを行い、6月頃ニール・カーノンをプロデューサーに迎え「WELCOME TO THE MADHOUSE」のレコーディングをイギリスで行い、もともと候補としていたヴォーカリストの声質に合わせて、ブルージでメロディックな曲を20曲書き上げていたが、ジョンが正式に加わることになり、ジョンのロックンロールのスタイルに合った曲を書き直して、翌年リリースする。

 トニー・ミルズは旧友のダーレン・ホルトン(g)と共にSIAMを結成し、1994年に「THE LANGUAGE OF MENACE」を、1995年にはメンバー・チエンジ後に、セカンド・アルバム「PLAYER」を発表している。

 SHYはその後、自分たちだけでツアーに出て、LAでもライブもしたが、1995年に全てがストップしてバンド活動は停止した。

 1998年、NEAT METALからSHYの幻のアルバム「ONCE BITTEN... TWICE SHY」が突然リリースされた。世界初CD化である、このアルバムにはボーナス・トラックとして、「ALL ON YOU」と「THROWING IT ALL AWAY」の2曲の未発表曲が収録されたのである。

 そして翌年、1986年から1990年の間にレコーディングされた未発表曲、もしくは、別バージョンを集めた「REGENERATION」と、1987年のフランス公演と1989年のイギリス公演を収めたライブ・アルバム「LIVE IN EUROPE」の2枚を集めたアルバムを、2枚組として日本でリリースする。

 1999年、トニー・ミルズを再び迎えて黄金時代のラインナップでSHYが再結成され、「LET THE HAMMER FALL」が発売された。その後もニュー・アルバムのレコーディング中の幾多のトラブルや、アラン・ケリーの脱退。再レコーディングなどを経て、2002年「UNFINISHED BUSINESS」をリリースする。


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