エメット10号へ


生きているものたちの頭        杉澤加奈子


夜の校舎で黒猫を見かけた
生きているものを飼う、というのはどんな気分なのか
家に帰り靴をひっくり返して転がり出た小石を見つめ
鍋をかき混ぜた右腕がベッドサイドランプに手をかけても
忘れてはいないのだった
黒目のなかにかさなる黒くてまるい

 足元にすりよってきた猫を私が当然なでたように私の頭もなでられている。私の頭は
徐々に縮み、夜の向こうへ溶けていく子猫の頭ほどの大きさになった。その頭にはいつ
のまにか手足がついていて、下駄箱の向こうへするりと曲がって行った。頭に乗せられ
る細い指。これは私の指だ。透明なマニキュアが剥がれかけているのが見える。毛並み
をくすぐっていた指が、手のひらごと覆い被さり、頭を鷲づかみにしてぐりんぐりんに
回すのだ。視線が定まらずに困った。毛並みをこそげ落とすように頭と言わず顔と言わ
ず、大きな手のひらで撫で回され、ごつごつした関節が頬に当たるのに気づく。撫でら
れているのは人間の体の部位になっている。びっくりして見上げると、もう一度少しず
つ私の頭は縮んでいく。こんどは上から夏みかんのような頭を掴んだ。指の力で表面が
へこみ、苦いまるい汁がわずかに滴る。それからあっという間に、部屋のすみに向けて
投げられた。ナラで出来た大型のチェストにうまいことぶつかり、ささやかな頭はそこ
でもげてしまった。転がりながら、私は不覚にも少し涙をこぼした。
 せっかく見つけたいい姿だったのに。

 覚えているのは毛並みのなまぐさい感触だけだ
 ぼやぼやしているうちに黒目からこぼれ落ちた黒いまるい
 頭が転がり出しそとへそとへむかっていく
 からだにつながっていようがいまいが、あたまというものは
 生きているしまるい
 そうか
 あれは夜のかたちだったんだ

 夜の校舎でかばんからするりと落ちたペンを拾おうと
 腰をかがめている私がいるのだが
 その視界のかたすみにでも生きている頭が転がっているかどうか
 寝入る前の闇の中でかんがえている