私の詩の「レナ」とは誰か ─繋がりの探求
                        北爪満喜
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☆わからない  すこし前から窓の下に来て私を呼ぶことを覚えた猫のシロやクロたち。私は呼ばれては 相手をしている。その呼び方が、なんというか抗えないような呼び方になってきている。 私のいる二階の窓のすこし下まで花水木が枝を張っているのだが、枝は窓に届きそうで届 かない。その花水木の幹を、シロが、私をめがけ鳴きながらかけのぼってくる。あまり太 くない幹の頼りない枝の分かれ目の間にぐらぐら身を寄せ、くるりとした瞳で窓の私へ呼 び掛ける。かけのぼってくる姿は、いっしんに、という動物独特の素直さにあふれていて 、「そんなにまでして」という思いが起こり、心を捕まれてしまう。たぶんシロにとって は遊びたいか、食べたいか、の欲求をみたしたいだけなのだろう。だからこそその繋がり 素朴さに捕まってしまうことになる。  その繋がり、なのだが、繋がりということがよくわからないまま、私はここまできてし まったかもしれない、という意識がのぼってきている。日常とはなんだろうとも考える。 意識してみると、人は分からないし、血の繋がりや、家族という繋がりもよくわからない 。呼吸し、セイメイを存続させ、もの心ついたら、家族というなかに私の体はいた。ほと んどの人はみなそうだろう。そうして育ててもらったことに私も心から感謝している。で も私は、ホントウニハドコニイタのだろう。人には内面の発見や転機が訪れることがある が、私の場合それは9歳の頃だった。禁止や慣習や制度の柵が、世の中というものが外側 に冷たく現れ、世の中が私ではなく外なのだと体感した。世界は私とイコールではなくな った。平安に送ってきた私の内面の秩序は崩れ、崩れたまま日常の、家庭や学校の日々は☆☆ びくともしなかった。「すべて真実のテーブルは/破壊のまえに粉々であり 粉々のまま 堅牢なので/一時の痕跡を 祝う」(「オパレッサン光る」詩集『アメジスト紀』より) への源流としての崩壊感。もちろん9歳の私に言いあてる言葉はなかった。その感じを詩 を書くことで持つことができてみれば、そういうものだった。世の中が現れ、私は沈み、 世の中の外れで、私は私と知り合ったのだ。 ☆ドッペルゲンガー  9歳だとこだわるのは、象徴的にも、私はその頃一度だけ私を見たのだった。エドガー ・アラン・ポーの描くウイリアム・ウイルソンのように、私の見たのはドッペルゲンガー なのだろうか。そのとき体を走ったのは「私がいる」という震えだった。小学校の帰りだ った。記念碑の巨大な石碑の立つ公会堂の小高い石庭で遊ぶ子供達の中に、私が混じって 遊んでいた。そこはいつも遊びたいと思いながら遊んではいけないといわれてあきらめて いた場所だった。まさか、と思って自分の着ているスカートや上着を見た。向こうの石の 上にいる私も上着は赤、スカートは焦げ茶色の同じ服だった。やっぱり私らしい、と思い 、私は下を向いて公会堂の前の道を通り過ぎた。信じる信じないという感情ははっきりし ているときに起こるもの。私はただ頭が麻痺したようになって、なんだったのだろうとい う強い不安を抱えたまま、誰にも話さず秘密にした。そして子供のことなのでまもなく忘 れてしまった。ほんとうに長い間忘れてしまっていた。  ・・・ずいぶん象徴的なことが起ったものだと今は思う。たいへん極端な一瞬だった。 その極度の象徴的な一瞬を除けば、私は私と知り合った、ということはとても内的な感性 的なものだった。意識化による輪郭はなく言葉はなく、ぽつんと、なった、という感じと して私は私と知り合ったのだ。ぽつんと、なった、というよりほかない。感じ、感覚、感 じているのが私で、それだけがホントに親しいこと、という体感。この世の体と感覚が離 れのだろうか。こうして文字にして気付いたのだが、このときから私は自分の感覚のなか に、私を棲まわせたようだった。これは誰にも見えない私だ。私にさえ見えなかった。私 はホントウニハドコニイタノカ?と問うなら・・・感覚のなかにいた、と答えてみること もできる。いまはできる。  そうしたことから、世の中の中にいることを、秩序を、疑わない元気な学校の友達や大 人達の隣で私はあまりほっとできることはなかったように思う。いまでも猫や植物以外と の接触でほっとすることがとても少ない自分に驚く。とくに人嫌いではないので、親しい 人と会ったり話したりするのは楽しい。もちろん大人の私は、人は複雑さに充ちているか ら余分なことを考えまい、という言葉によって、繋がりをとりもどしてもいる。でもその 考えまいの「まい」のあたりですこし緊張が走ってしまう。距離のとり方が難しく、逆に 過度の思い込みで心酔してしまうこともあるから、それはそれで心酔と現実の落差のある 繋がり方のため、落差の寒さを思い知らされることになる。寒がっているということは、 きっと寒くない外との繋がりこそを私は求めつづけているのだ。 ☆言葉で  これは、身体を備えた人、に対してのことだが、もう一つには言葉での繋がりがある  詩を書いて本にして人に送ったり、メディアに発表するということ。そうした外と繋が ってゆくということがあった。そのときメディアの大きさは問題ではない。それが数十部 の手作りの同人誌でも、他者が読むことがたいせつになる。目的を持って詩を書くことは ないが、何かを書くということは本質的に外に向かうこと、繋がってゆくことがあるのだ だった。・・生きていると感じられるから書く、だけであっても。  知り合った私、感覚に棲む私。私は、詩を書いているとき、その私と一緒に呼吸してい たのではないか、という思いが起こった。そして「レナ」のことが気になった。  「レナ」と呼ぶ呼び名は、詩を本格的に書き始めたころ現れ、数年おきに三度現れてき た。   @「レナはゴミを捨てにゆく」(一九八八年五月詩誌「卵座」五号)   A「レナ」(一九九0年八月詩誌「TRIPOD」八号)  詩集『虹で濁った水』   B「濁った水」(一九九一年五月詩誌「妃」八号) 詩集『虹で濁った水』  「レナ」の出現は詩を本格的に書き始めたという転機のときなので「レナ」も何か象徴 性を持っているかも知れない。「レナ」と呼ぶとき私は、もう一人の感覚のなかに棲む私 、と触れ合っていたのではないか。結ばれはじめた輪郭のようなものを、そのひかりのよ うなものをなぞっていたのではないだろうか。とてもぎこちなく。そんなことを考えたの でもう一度、三編の「レナ」を辿りなおしてみた。目を通してみると、呼び名の「レナ」 という言葉が、三つの詩の間で変化していっている。「レナ」は何か、と詩を読んでくだ さった人から問われたことがあって、何とも答えられずにきたれけど、この変化から私も 何かをみつけてみたくなった。 @ レナはゴミを捨てにゆく                北爪満喜 その日は   レナ宛ての手紙を盗んで机の引き出しの中にしまった   なのに、すでにレナへ投函を終えた手紙が書きかけのままの   状態でいるのを白い引き出しの中にみつけた。それはどちら   ともいい難い。レナは事象をすっかり泡立て辺りかまわず吹   吹き付けた スパター模様の とびちった泡が、緑色に見えるタイルの上で、赤い斑点にな   っているのを野バラをみつめるようにみつめた。以前読んだ   『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨のもの   がたり』──数行の描写が肺の内部につぼみを持ちはじめた   体調なのだ。 トラッシュボックス   が気になって気になって仕方ないということは、だいぶ吹き   溜まっている証拠。パカンと額の蓋を開け科学ぞうきんでつ   るつるにした。その層に入って今日は野宿。睫毛ほどに細か   いのや片足ほどの不思議なボルト、錆のない異様なつるつる   ジャイロ。ばらばら散ってるレナの部品は流木風に 積みあげて広場の隅に山にした   キャンプファイアーのたきぎに使える フェルトのスカート   ぐるっと照らす赤い焔は白い白い焔は青い青い焔は黒い黒い   焔は赤い 熱気がかげろうの塔を発ち上らせる。午後 6時   70分。「スクラップ場に建ててほしい!」「わたしだけの   タージ マ ハール」銀色の呼吸を整える。映像性のモザイ   ク窓が愛くるしいレナをON AIR あいまいな     RGBがユラユラしながら写しだす泡立つ彼女にさっきから   私の気管がむせていてコフコフと咳が止まらない。肺のつぼ   みがパシッと割れた。透明な襟のステンドグラスがくるくる   色を取りかえる。 (レナのものになる)レナへと捧られた   伽藍には確実な 物はなにもない                           一連では手紙を巡って「レナ」が発生したばかりだ。「レナ宛ての手紙を盗んで机の引 き出しの中にしまった/なのに、すでにレナへ投函を終えた手紙が書きかけのままの/状 態でいるのを白い引き出しの中にみつけた。それはどちらとも/いいがたい」というよう に、レナという対象がはっきりしないまま、対象があることだけは確かになった。そんな カオスの泡立ちから、それでもレナと呼び名をつけたいものが発生した。感情はゆれて、 レナをこれから造るもののようにも、壊して捨てるもののようにもみえる。レナは部品と して現れる。書きたい詩のためのまだレナは部品。「レナ」という何かを潜在させた単語 。それをキャンプファイアーで燃やそうとするのは、捨てるようであり、楽しく燃焼させ たいようでもある。それは肺の中という呼吸や生きることに直結する器官に花開こうとす る蕾をもった体感として私の体と繋がっている。つまり、言葉を書くことや書かれたこと (文字となった言葉)が、リアリティを持ち、呼吸することのように作者の今生きている 体に一体化している、ということだ。私は言葉を書きたくて、言葉は身体を持ち、現れた い。文字という言葉の身体はあるわけだから、実体として現れたいということだろうか。 「午後 6時70分」も気になる。  その一方で、パカンと額の蓋を開け科学ぞうきんでつるつるにし、その層に入る、とい うように、頭の中で起こることだから、頭のなかで部品を拾ってレナを組みあげたい、と いうことだろうか。造りたい、壊したい、実体か、頭の中だけのことか、焔の色はどんど ん変わる。それでもセイメイ感は死と再生の場で発光体として輝きだしたいらしい。スク ラップ場に建てる、とは死の場所に生まれさせること。なんと「レナ」は呼び名なのに望 みを持つようになったのだ。「スクラップ場に建ててほしい!」「わたしだけのタージ  マ ハール」の部分は、「」に入ってはいるがまだ作者の呼吸と声をかりている。その声 をかりてレナは、逝った妃を想い出すための伽藍タージマハルを建てて、レナへと捧げて 欲しいと望む。「レナ」は長い間見捨てられていたのだろう。発生したばかりのゆらゆら するレナの望みは訴えほどに切実に響いた。 A レナ 〈ソノ葉ヲメクッテゴランナサイ〉 キッチンで こめかみが 声に射られた  (レナ?めいれいしているの?レナ) 気配という隙間に棲んでいる 波紋 あなたは押し寄せる 甘く温度をまとったままの ゆびの先まで 予兆の視線が 鋭い銀が 押し寄せる わたし キャベツの葉をめくる 葉脈の冷えた編目が裂ける こわい薄闇 縮れた震えへ ゆびを入れる 髪も震えて      幾百のガラスの蝶が舞い立つ きりきりと渦が巻きあがる        睫が ぱらぱら 切られて落ちる       輝く群れが 体を巻いて 刃物の羽根に抱きしめる レナが薄い刃物になって 抱きしめてくる (欲しい? 苦しい?) 皮膚に入る冷たさが 切っているのはレナの夜だ だから傷をつかもうとした (きっと贈られたものだから) だめ わたしの手は暖かすぎる 傷は掌の皮膚をしりぞき 傷は空間で溶けてしまう 掌を冷やしたい すずやかな冬へゆかせたい シャーベツトを ぎゅっと 掴んでみた 指がひりひりしびれただけ 氷は 掌を 切れなかった 温度のかなで レナに着けない 至り着けず みかわせず ことばをかわすことが できない レナがひとりで夜にいる そこでわたしに触れている わたしはキッチンの片隅で 震えうずくまって吐く そっと何も無いままの 記憶の霜を 吐いている それはレナへの シャボン玉 レナが来るはずだった九月の とっくに消えてしまったはずの これはレナを写した写真 わたしだと思い込もうとして 見せまわり 幼く恥じて千切った 微塵に千切ってしまったはずの             澄んでゆく 破片を舞い上げて                 風は               木綿のスカートへ           レースのように拭きけて 苦く 閉じてしまう 光を 草々の間に絡ませた とても薄い笑い声が レナの頬からわたしの頬へ淡い雪のにじみのように 移っていた 冷たさが たった今 この暗い隅にも ひとひらにじみだし こぼれてきたか? 赤い匂いで  (「遠足で…レナの落としたナイフが…いまも地中をさ迷っている」) わたしはそのことを脳裏に落とす 記憶の 濡れた 土に 触れたい    「くるくると脳裏を蛇行する刃/流れではなく光が巡る/わたしは刃の     上を歩いてゆく/輝跡がわたしの肖像を描く/流れる/消える/なん     ども描く/わたしの顔が描かれては崩れる/ああここは地底湖のよう     ね/水面を覗き込む/水面は記憶しない/わたしを写さない/波がた     の音に拒否される/わたしは水の中へゆけない/鈍色の渦/渦のゆく     えは/知りたくさせる/響きのゆくて/船が欲しい/船と言う/船/     あけがたにわたしは錨を解こう/船はゆく/憎悪のように守られて固     い人造湖/予言のような激しい難破へ/その避けがたく/投げ出され     /骨と渦とは永久に漂う/藻屑/モクズと弾かれる岸/霧 が刺し/    (レナ 霧が刺すのよ)/わたしは岸のままだった/湖水がレナで濡れ     てゆく/湖水にレナの刃物がすべる/水の上を刃物がすべる/水は剥     かれ裸にされて/水と水は照らしあいつつ/交じり合えずに過ぎてゆ     く/幻というには苦しすぎ/反射する/弾きかえされるレナ/そこで     はわたしと同じように/わずかづつ雲のゆき交う中へ/高さの方へ/     落下するか」  ここで「レナ」は初めて声を持った。視線も持った。でもいまだに触れられる実体はな い。気配という隙間に棲んでいるのが認められたわけだが、レナの声はつぶやきでも訴え でもなく、私をうながしている声になっている。命令しているの、と聞いているのはあま りにもはっきりと声が伝わってくるからだ。前述の@で作者の声をかりて望みを訴えてい たのとはだいぶ変化している。視線は硬質な銀の糸のようだ。日常に覆われた濁った意識 をすっと切るとレナの棲むところが開口される。深いところだ。キャベツの葉の渦の間の ような、蝶に生まれるまでの闇のなかの、親しく、孤独な、冷たいところ。ひきこまれた ら怖いところ。ぬけだすべきところ。レナはすでに蝶になっているのに、ぬけだすべき時 期になっているのに、闇の中にいる。レナの夜にいるのだ。「幾百のガラスの蝶が舞い立 つ/(略)輝く群れが 体を巻いて/刃物の羽根に抱きしめる/レナが薄い刃物になって  抱きしめてくる」。この世に出られなかった蝶は透明なガラスの蝶になってしまった。 それでも切る痛み、を伝えるという仕方でなんとか「わたし」に存在を知らせている。「 わたし」も、なぜ痛いのか分かったようだ。すこしも私にさえ気付いてもらえずに、無い 記憶として存在していた寒さ、その刃物のような寒さが、切っているからだ。レナはそれ しかできない。そういうあり方がレナだったのだから、といまや私も知っている。「温度 のかなで レナに着けない/至り着けず みかわせず ことばをかわすことが できない 」と「わたし」も苦しみつつ、その痛みや苦しみを「(きっと贈られたものだから)」と レナの伝言として大切にしている。  作者として言葉を書けるようになって、レナを連れ出せてあげられる詩という表現形式 の器を創れるようになってはじめて、レナは私にも触れてきたのだろう。抱きしめるので はなく、切り裂くような方法で。また「わたし」の記憶のカケラで、たとえば遠足で、あ る九月の九という数字で、レナの生成を私もどこかで感じていのたのだ、と詩でレナが教 えている。この時点ではレナは感覚のなかに棲む私をいくらか反映している気がする。  最後の連の「くるくると脳裏を蛇行する刃/流れではなく光が巡る/わたしは刃上を歩 いてゆく/輝跡がわたしの肖像を描く/流れる/消える/なんども描く/わたしの顔が描 かれては崩れる/ああここは地底湖のよう・・」のブロックは、独立した詩のなかの詩に なっている。ここでは「レナ」と「わたし」は、水面の水鏡で反射しあう。水のうえに描 かれる顔、刃物によって描かれる顔は、何度でも描くことはできても描く瞬間に消えてし まう。だから、描いていること、イマ描イテイルという強烈な意識がすべてだ、という世 界になっている。この強烈な意識は、「高さの方へ/落下するか」で終わる。それは平面 ではなくレナがこれから空間を持つという予感ではないだろうか。 B 濁った水 「終日 ひとりでいられたから 濁った水の水槽に 背をもたせかけて 爪先に落ちる 塵を愛した」 レナの うつむく首筋は 白く 傾ぎ 高窓から漏れ 落ちる陽が まるで光るナイフさながら 傾ぐ首筋へ 甘やかに 時をきざみつけて 沈んだ それはつけたことのない 欲しかったアザに似ていた レナの虚ろなうちがわを それだけが気軽にさまよえる曇るゼリーが 浮きあがる 柔らかく体に沈んでいる つかむこともできないゼリー ゼリーはミルクを吸うように 首筋から熱を吸いとって濁る レナの形に濁りが溜まる レナは 奪われるままにしていた そうするとわずかに安らげた 濁りはレナのうちに満ち 背中あわせの 水槽は 透明な管を含んだままで 騒がしい酸素のもう流れない 細くものうい円筒を ただよわせ 独り 広間のレナと沈黙のうちにつながれる 「後ろへ 両腕を伸ばしていって この腕に水槽を抱え込みたい」 レナが そっとめぐらすことばは けれど すぐにレナの気持ちを うちひしぐ冷たいつぶてに変わった いくら必死にのばしても 指の先は届かない 指紋が無益にガラスの上で 壊れ 跡を引いてゆく レナは 肩をひねつたまま ずいぶんと長く動かずにいた 誰もレナにそんなことはしていないのに 肩がぬけるほどひっぱられ 確かに後ろ手にくくられている 背筋をこわばらせうつむくレナに 苦しい呼吸が胸を責める 浅く吸い込む銀色の塵が いまは細かい針になって レナの肺を突き刺している だいぶ高窓の陽も傾いて レナの爪先はしびれるほど冷え 体の芯が震えだす つよく首を振りあげると水槽がゆれ 首筋を 冷たい水が滴り落ちる 冷気が部屋を貫いてゆく 広間の隅では燭台が 弱い光に照らされて 塵の積もった表面を ほのかにゆらしはじめている 「燭台。もう忘れていた。」 いいえ 忘れようとしていた ざらつく老婆の声のような 闇の底に沈ませて すっかり意識を閉じてしまって 「燭台。それは、わたしを、だった。 殺めてしまった。焔、焔、」 燭台はうつろう日射しにブレて レナの水槽のガラスに映った ガラスに映った燭台は レナの記憶のうちを落ち 濁った水の深い時間を掻きむしるように落ちてゆく    「かかげ・燭台に火を・灯して・暗い部屋の水槽のまわりを歩き    回った・焔の魚のようにして・追いかける焔とすりぬける焔・ほ    のかに描かれる円周が・水槽の水鏡に入り乱れ・黒い髪の藻をか    いくぐる・追いつき追いつかれ・ひと群れのもつれが・胸にしな    って・閃き・ほんの一瞬・憎んだ・あまりにもゆたかに流れる髪    を・唇が噛み・焔を載せた」    「むせかえる甘い匂いはあふれ・長い髪が・燃えあがる・縮れ・    髪は焼け落とされて・刺さる痛みが頭皮を走った・苦痛にきりき    り体をよじり・指は焦げる水藻をつかむ・額を焔の荊で裂いて・    蒼ざめた深海を落ちてゆく・部屋の鏡を青く濁らせ・渦巻いて落    ち・気を失って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」    誰か 誰か人がレナのいる広間のドアをこじ開け    厳しく頬を叩くような 眩しい部屋のライトを付けた    水槽の水をレナにあびせる    広間の床に横たわっているレナは 濡れた衣服をまとわりつかせ    水槽の匂いを染みつかせ 尖った燭台の装飾の跡を 額に    くっきりとつけていた レナが薄く瞼を上げると 水槽の濁った水の奧で レナを呼ぶ低い声がした 声の低さが ようやく記憶から解かれはじめた意識と体を覆ってしまう 何度でもまた 引き摺り込むような ささくれた刺の這う布 低く老いた声の布が きつく まとわりついてきた  レナはようやく形を、人の形を得たようにみえる。「終日 ひとりでいられたから /濁った水の水槽に 背をもたせかけて 爪先に落ちる/塵を愛した」水槽やそこに舞う 塵の光がある、ということは空間を持ったことになる。ひとりでいられた、というのは、 もない。レナは現れ独り遊びをしている。光との独り遊びだ。闇かから現れたのだからそ れは当然の楽しさだろう。日射しが、得た体の上へ落ちることは生きているリアリティな のだ。「欲しかったアザに似ていた」というほど皮膚の上の日射しをくっきりとした体へ の痕跡だとレナは思う。存在している身の喜びがあふれている。形の無かったレナには喜 びのほかない。詩がレナを登場させる空間を持った。空間には時間がある。詩はレナに[生 きる時間の場]を与えたということになる。  前作と比較してみよう。Aでは時空にいるのは「わたし」で、レナは「わたし」の時空 の気配だった。気配から声を持って「わたし」に係わり、「わたし」を刺激し、「わたし の意識の反射として、わたしのイメージからガラスの蝶というように結晶した。わたしを 切る結晶体だ。レナは痛みという伝え方でその存在を主張している。Aのレナは、痛みを 与え存在を知らせるためにいったん蝶に結晶化したとみることもできる。「わたし」と反 射しあった「レナ」は、水鏡の平面に映っていたのだった。  そしてこのBではレナは人の形を得て生きている。広間という空間にいる。  でもよくみるとレナの体は虚ろな器らしい。「レナの虚ろなうちがわを/それだけが気 軽にさまよえる曇るゼリーが 浮きあがる」とある。ゼリーは日射しの熱を吸い取って濁 るもの。濁りは、陽の射した時間の記憶だ。レナが空間で生きたことの証としてゼリーは 濁りをレナの体の器に溜める。「レナの形に濁りが溜まる」その官能。日射しの熱を受け る体があることの官能。その官能は、水槽をレナと同類の相手、としてレナに幻想させて いる。レナの時間を含んでゼリーが濁るように、水槽の水は広間の時間を記憶して濁って いる。水は同じ広間にいるレナをも記憶する。だから水槽はレナの記憶を含む唯一の相手 なのだ。レナと水槽だけがゆれ動いて生きている。水槽とレナが「沈黙のうちにつながれ る」のは、それぞれの孤独がひきあうためなのだ。それぞれを弾きあうようなそれぞれを 含みあうような、いる、ということだけで充たされる死のような沈黙。レナに充ちる濁り と、水槽の濁った水が、「騒がしい酸素のもう流れない」死のような沈黙を守るエロティ ックな詩の世界。その時間はしかし永遠にはつづかない。それはなぜなのか分からない。  レナの腕は水槽を抱えられないし、後ろ手でもある。このことは、レナと水槽が異種な ので、とみることができる。誰も後ろ手を強制しているわけではないけれど何かに禁止さ れている、とレナは思っている。ここにはレナの苦痛が発生している。ということは、レ ナは[生きる時間の場]を与えられて、現われ、生き、[内面を発生させた]のだ。  この内面の発生によって、詩は飛躍的に展開する。レナの「わたし」殺しの記憶が白日 夢のように現れる。水槽の水鏡にレナは「わたし」の姿を映し、それをもうひとりのレナ のようにみる。そしてレナは、燭台を手に持ち、狂乱の儀式のように焔で「わたし」に火 をつける。「わたし」を燃やしてしまおうとする。これはレナの内面の実体なのだ。レナ はもうひとりのレナである「わたし」を消すために、自分の髪に火を放ったのだ。また@ にあった燃やすということが出てきた。ならば「わたし」を昇華させることなのか。レナ にとってこれは本当にしたことなのだ。レナは「わたし」との記憶の混入で、気絶して広 間の床に倒れてしまう。「水鏡」といい「焔」で燃やすことといい、Bのレナは@Aの詩 の世界を自身に内面化したのだろうか。  しかし、急速になぜこの展開をレナは起こせたのか。  それは広間の高窓のことがもう一度注目されているように、その高窓にわけがありそう だ。高窓で詩の広間と外とが繋がっていて、そこから外が流れ込んでくるからではないか と思う。高窓がもう一度出てきたとき、急速に広間は冷えていった。水槽の水も冷たくな った。それは、レナで充ちていた場へ、外の「わたし」が流れ込んだからだと仮にみると 理解できる。「わたし」はAで出てきたように作者とレナの中間に位置するものの呼び名 なのだ。そして燭台でレナは「わたし」を殺めたといっている。  それでも「わたし」の思いは流れこんで来ていて、広間の充たされた時間を壊して、冷 たくしてゆく。流れこんだのは「わたしの怖れ」かも知れない。でもレナは「わたし」を 殺めたといっているのだから混乱している。ならばレナの動きが何かに禁止されているこ とは、作者の「怖れ」が、作者を介入させずに直に映っていたのかと思える。とても深い ところにいってしまつている。詩の外と中間と中の秩序があったとするとそれは切実な秩 序なのだ。が、それが、危うくなつているのだ。  だとすれば後の展開がよくわかる。作者が緊急に介入して、秩序を取り戻させたのだ。 「誰か 誰か人がレナのいる広間のドアをこじ開け/厳しく頬を叩くような 眩しい部屋 のライトを付けた」。このところでレナを混乱から脱出させるために、作者が踏み込んで いる。しかし一度起こった亀裂はふさがれないようだ。創られた秩序は破れている。それ は目覚め詩の秩序に戻ったレナを、また「怖れ」へと引き込む声が水槽の水から聞こえて くるのだから。 このように、推理するようにレナの詩について見てきたけれど、何か結論めいたことを 言うとしたら、完成し閉じた世界をつくらなかったということではないだろうか。  これは、レナの詩の始まりで意識の覆いを切ることによって、別別の層との流れが起こ ったように、常に、完全に閉じることなく、どこかと行き交うように、意志しているとい う詩を書く行為についてのことでそうなったのだろうか。  もしも詩を書くことについての亀裂なら、詩を書くことは墓碑銘を建てるようなことで はなく、生きていると意識することだから、この広間はいつまでも確実にはならないはず だ。レナも作品のキャラクターにはならず、ゆれつづけ、現れ方を替えては、詩の中に生 きるものになるだろう。 だが、もしもそうではなく、至福の世界をつくろうとすると、どこかからダメージが持 ち込まれてしまうのだとしたら、これは考えなくてはならない。至福の広間では違うと何 かが妨げるのなら。このことを心に留めてこれからの詩作に生かしたい。  繋がりということでいうと、もうひとりの「感覚のなかに棲む私」との繋がりからレナ は発生した。が、詩の言葉は、そうした個人的な契機を元としても、それをどんどん超え て、流れ、生きている瞬間へと反射していった。そして書くということが、外と繋がって いるように、言葉は私と繋がって引っ張り合って、私の狭い境界線を切って、私を多層な 外と行き交わせてくれるのだと思った。繋がりは遙々と切れてはひろがる、と書いておこ う。もちろん「レナ」は私のドッペルゲンガーではなかった。「レナ」は詩を変化させる ポジティブな存在(ことば)のことだった。             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