短歌
夏熟れてゆく
(果物の名を言わず、匂いそのものを歌うレッスン)
大田美和
夕風は仏間のほうから流れ来る到来物の箱の中から
喉を病む祖父の神経鋭くて仏間の襖は閉ざされしまま
性欲の多寡に男女の区別なく本括る紐のゆるむ一箇所
本縛る紐のゆるめる一所より覗く果肉の色匂い立つ
閉め切った仏間に女が立ち上がり帯解く気配 夏熟れてゆく
ひそやかな午後の愉しみさわる剥く舐める滴り落ちる転がる
この先は崩れるほかなき断崖の生命の奔流として香り立つ
生きよとぞ励ます果肉嚥下せる喜びののちの惨を思うな
******歌集
1991 『きらい』河出書房新社
1996 『水の乳房』北冬舎
2003 『飛ぶ練習』北冬舎
詩
澄んでゆく夜
(桃の実の匂いを吸って写真を撮って)
北爪満喜
締め切って出た 夏の部屋の
暑い夜のドアを開けると
籠もっていた 甘い匂いは 桃
桃を買っておいたのだ
柔らかな匂いはとろとろ溢れ
うっとりと 部屋のテーブルで
待っている 沼のように
部屋いっぱいに甘く薫って
仕事から帰って
薄い服を脱ごうとすると
汗を吸った布が皮膚から剥がれない
もがくと
肌に汗の粒が
胸にも背にもみっしりと 細かく吹き出し湿ってゆく
産毛を濁らせる湿りのなかで
いらいらと蘇ってくる 息苦しい さっきのこと
知らない男に腕を掴まれた
オフィスで長い残業のあと 人のいないエレベーターホールで
背後からふいに腕を掴まれた
知らない男に
その男も私を 知らないのに
掴むことが話すことより知ることだと思ったのか
黙ったまま 掴む指の力が 腕を押し
痛くて凍った
エレベーターがやってくるまで すこしの間だったかも知れない
不意打ちに動けずにいたというのに
動じないように見えたのか それがつまらなかったのか
エレベーターが着き がくっと開くと
男はぱっと腕を放し エレベーターに乗り込むとドアを締めて降りていった
指の跡が 二の腕の白いところを痛くくぼませ
うす茶の痣になって醜い 茶色い痣が 腕で汚い
エレベーターホールを剥ぎ取るように湿った布を剥ぎとって
ようやく服を脱いでから
吹き出した皮膚の汗を拭く
なまぬるい夜の窓を開け
高層マンションの赤いランプがきょうも点滅するのをみながら
片手に熟した桃の実を持ち
はちきれそうな薄皮に 歯をあて
あふれる汁をじゅっと吸う
唇が甘い
弾けるように
甘い果肉を
ごくりと飲み込む
ほっとする ひとりの時間
夜が 甘く澄んでゆく
7月8日にこの詩を書きました
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