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2003年4月分

[地下鉄のコスモス]


4月29日
 ゴールデンウィークですね。
 何か良いことが皆さんにありますように。
 
 デジタルカメラを修理にだしておりました。
4年も使って、ぶつけたり、おとしたり、木の階段
からおとしたり、うっかりミスとはいえ、ずいぶん
ひどい扱いをしたものです。ボディにひび割れがは
いり、電池の蓋が破損。コダックの色彩が好きなの
ですが、コダックはデジタルカメラから撤退してし
まいました。幸い、機能は無事だったので治って帰
ってきました。よかった。

 そうだ、イメージフォーラムフェスティバルが始まっ
ている。鈴木志郎康さんの「衰退いろいろ」を見にゆ
こう。おもしろそうな自主映画がたくさんある。

[視点]


4月24日

●映画『モーヴァン』監督リン・ラムジー 2002イギリス
 このところ女性監督の少女の映画がおもしろい。
おもしろいというより衝撃的なのだ。恋人が自殺したら
残された女の子は、これまでは嘆いて落ち込みつづけたり、
遺志を大切にして彼の思い出に生きたりする物語だった。
けれど「モーヴァン」では、女の子はまったく別の心の動
きをみせる。モーヴァンの彼は小説を書きパソコンにデ
ータとして残し、愛する君のために書いた、これを出版
社に送ってほしい、とメーセッージを残す。また彼は二人
の思い出の音楽をモーヴァンのためにテープに編集して
死後のプレゼントにする。残されたモーヴァンは彼のミュージック
テープを常に聴くようになる。悲しさをのりこえようと
彼の死体としばらく過ごし、決心し、音楽にはげまされ
ながら、浴室で彼を解体しバックに詰めてとてもうつくし
い山までいって埋葬する。こころを込めた二人の別れの
儀式だ。それはひどく変わっているが、モーヴァンのこころ
によりそって当事者のジカな気持ちを率直に現している。
陰惨な憎しみや犯罪の解体ではなく、暖かい手作りの
別れの儀式なのだとわかる。こんな解体や彼との別れは
これまで映画にはなかった。死んだ彼とおなじ男性監督
だったら彼女によって解体されるなんて夢にも思わないだろう。
というのは、彼は自殺しても自分の小説を彼女が出版社に
送ってくれると信じて、死後の名声を得ようとしていること
からも分かる。彼女よりも死後の名声を得たい彼。なのに
彼は彼女が自分の言うことをきいてくれてとうぜんだと思っている。
で、モーヴァンはどうしたか。精一杯のお別れをして、小説の作者の名前を
パソコンで自分の名前に書き換えて出版社へ送る。君のために
書いた。愛している。という言葉を何度もパソコン画面で
みてそうする。女性の当事者からすれば、考えようによっては、
君のために、は私のためのものなら、私のものにしてもいい、
という考えの道もあながち間違ってはいない。かってに死なれて
しまったのでは。そしてモーヴァンはスーパーのレジ打ち人生から
抜け出す突破口へ彼がのこした小説を利用する。(小説は高いお金で
出版社に買われる。)こういう視点は当事者がわの女性監督だから
でてきたし、新鮮だった。彼の無意識な傲慢さも明らかになる。
モーヴァンの変な率直さではあるが、生きる意欲として前向き
な明るさがあった。小説家になって名声を得ようとはぜんぜん
しない、たださえない人生から抜け出すお金を得るだけ。
そこがさわやかだった。こんな展開は驚異だけれど、男女の
関係の展開としてみるとモーヴァンの意識はよく理解できる。
このほうが自然な感情で、生き残った者はこんなふうにでも
とにかく乗り越えて生きていくのがホントだろう。ようやく
ステレオタイプの男女関係の描き方が終わろうとしているのだと
思った。


[背伸び]


4月23日
 背伸び

 背伸びをすると数センチ上空から見下ろす地上がずがすがしい。山頂から
吹き下ろす風が、山あいの谷を水色に染め吹き抜けてゆくのを、丘に登って
草の上に腰をかけ、羊がまだ草を噛んでいるからもう少しやすめるな、とビン
の口から葡萄酒を飲む羊飼いのようにくつろいで、数センチ上空からあたりを
見下ろす。ちょっと角度が変わっただけでアスファルトの微かな斜きも
山の裾の斜面に変わり、春の野に白いスズランや清楚に開く紫菫も頭を
さげてワタシのことを敬っている、そんな気がする。百合でさえ頭を下げて
いるから、爪先が痛くてしかたなくても、体がぐらぐらしてきても踵なんか
忘れたふりしていつまでも背伸びをし続ける。とうとう首まで痛くなって
ついに頭を後ろに反らすと、釣鐘草、と花の名が鳴り、ふくらはぎが吊り
そうになる。はやく踵をつけなければ。けれど背伸びを続けていたから
しっぺ返しのお釣りがきそうで、なかな踵を降ろせない。脇を見ると運動靴
が道と敷地の間の溝にもぎとられたように落ちている。ズキンと踵から痛み
が走った。もぎ取られたような運動靴を、ずっとしらんぷりをされていた踵は、
人ごとではなく感じたようだ。ズキンと鋭い稲妻で踵からワタシを貫いて、
道路の上に膝をつかせ、まるでワタシが欲しかったように手を運動靴に届か
せていた。持ち上げてみるとずいぶん軽くて靴底などもとても柔らか。まだ
まだ履ける靴だった。固い地面の上をゆくなら金網も飛び越えられそうな
こうした靴がいいことを、飛び越えるには踵を着いてジャンプするのだと
いうことを、固くてきつい靴のワタシに、背伸びなんかで喜んでいるワタシに
思いだせてくれた。立ち上がって埃をはらうとワタシは空を見上げていた。
なぜだかなだらかな気持ちになって、踵を着けているのに丘を翼を揺らし飛んで
ゆく鳥のように風に乗り、地上の点のように小さいワタシが、都市の細密な街路
の一部に、それでもきちんと両足で立っているのを目に焼き付けた。



[かさなり消える]


4月18日
 透明、半透明、投影される街。巨大なショーウインドウの脇を
歩きながら、街がガラスの騙し絵のなかに入ってしまったように
みえた。距離感がおかしくなる。



[空き地の紫]


4月16日
 春になると空き地も華やかになる。紫の花が大根の花だと知ったときは驚いた。
マスクをして帽子をかぶり花粉を避けながら歩く私が、立ち止まってデジカメを
ささげ撮る図は、はた目には不審者にうつるかも知れない。
 詩の合評会に「薄い滝 4月1日に」と「いる・すぎる」を持っていった。
長年読み会ってきた詩友の言葉は、ジャンピングポードのように、書くことへの意欲
を跳び上がらせてくれる。会って詩の批評をすることは、さわやかだといつも感じる。


[通う]







[シグナル]


4月14日
 どこへ迷いこんだのだろう。

 昨日は浅山泰美さんがご自身が主催する詩誌庭園のパーティーのために京都から
東京へみえた。詩誌や詩集のやりとりをしていたがお目にかかったのは初めてだった。
会場では朗読やスピーチなどが和やかに行われた。その後で別のところで写真の話に
なり、私が持っていたデジタルカメラで撮ってあった映像をカメラの液晶画面で浅山
さんにみせていると、浅山さんはふと思いついたように小さなライヤ(竪琴)を取り出
して、映像をみながら爪弾いた。映像となにか響いたのかもしれない。ライヤは即興
で演奏するのがおもしろいとのこと。素敵なひとときだった。 


[なにげなく]


4月9日
 なにげなくたたずむような顔をして咲いている椿。でもあの花粉の
多さには原始的な力を感じる。繁殖の本能も可憐にみせてしまう花
の不思議を思う。
 カトリーヌ・ブレイヤ監督が同性だからこそ撮れた映画『処女』の
少女達に似ている。処女を捨てることにとりつかれた少女たちの不敵さ
と可憐さがまじったおかしくて恐い映画。・・でも日本の少女マンガの
ほうがより鋭いかもしれない。




[並ぶ]


4月9日
 無造作に枝を切られても、小枝からたくさん花が咲き出している。並んでいると
なにか話していみたいだ。



[森の湖]


4月7日

 森の湖

 どこかに帰ってゆける森があるような気がしている。街の木はそれぞれ、
ただ一本の木のように別々に生えている。互いに別れて、森と別れて生え
ている。ワタシはときどきワタシが疲れてぼんやりしているとき、ワタシの
こと葉の木の枝から、小さい生き物が顔を出して、ワタシを走り降り、ワタシ
の影をめくって、その穴から、森の方へ抜ける道を走ってゆく足音を耳にする。
足音は落ち葉になり、下草を踏む音になり、せせらぎのそばの小石を踏む音になり
、だんだん遠くなってゆく。置いてゆかれて、ワタシはポットからお湯をついで、
インスタントコーヒーを入れ、パリッとクラッカーを囓る。パリッ。クラッカー
が砕けるとき、うれしい。パリッ。両の前足で押さえて木の実の皮をパリッと剥ぐ。
するとくりっとした丸い実が食べられる。うれしい。木の実はたくさん落ちている。
日のあるうちに集めて隠しておかなければ。襲われないうちに。
 インスタントコーヒーのうすい湯気がメガネをくもらせる。見えなくなるから
指でこすると、レンズの上によせられた一滴の雫が、大きく歪む。霧のなかの湖
のように。クラッカーのビニールの袋を、くず籠に落とすと、霧のなかの湖へ
捨てるようにゆらゆら揺れる。湖の深い水の色が木々の緑を溶かして揺れる。
すこし風がでてきたから巣穴にもどって体をよせあって暖まろう。匂いで包み
あって、溶け合って、襲われずにすんだ安心と疲れをほどこう。日がのぼったら
また一匹づづ、出てゆくのだかから。お腹がすくのだから。
                              (4/9)


[細い出口]


4月7日
 とても細い出口でも緑の葉をひろげれば、すっかり外にでられる。
出口のひび割れは、きっとどんなところにもある。すこし先にも同じ
ように細い出口を出て、ゆったりと葉をひろげているスミレがいる。


[法事]





4月6日
 鐘の音と読経の声と木魚の響き。線香の煙と香り。
印を結ぶ僧の両手。祈り。焼香。卒塔婆の戒名が
読み上げられる。お目にかかったことはなくても
私も祈る。写真の姿を思いうかべながら、伝え聴く
人柄を心にしまう。


[ベランダに巨大な花]


4月5日
  ベランダに巨大な花が貼り付いている。ときどきあたりがフラットに見えてくるのは
すこし季節のせいでしょうか。



[薄い滝]


4月1日

 「薄い滝  (4月1日に)」

 一年でたった一日だけ嘘をついても良いというゲームはなり立たない。一年で一日だけ
嘘をついて良いなら、他の日は嘘をついてはいけない。364日も嘘をつかないでいるこ
となどできない。野菜が腐る。猫や犬や馬やワニやペットが飼えなくなる。大切な人には
手紙がだせない。大切な人に送る手紙には心配をかけないように嘘は欠かせない。
 ワタシは嘘をつこうと思っていたのに嘘ではないことをついてしまった。どこへも着けな
くて、ひとりだけの浮遊を大切にして生きているだけなのに。爪先で体のバランスをとり
歩いていた宇宙飛行士がいた。光のなかにくっきりと凍るように切り取られ、歩く浮遊。
闇のなか。アポロが月へ着いたことを嘘だというテレビの声に、ワタシはキッチンのシンク
へ落とす水の音を大きくしたことがある。朝、晴れていたので水を撒こうと、ホースを手に
して勢いよく蛇口の栓を回して開けた。ホースの口からあふれるように強く噴き出す水を前に、
ワタシのぼんやり開いた口が空(から)なのがすぐに分かってしまった。ぼんやりと口を開いていて、
水の輝きが葉にかかり、水が光って走りながら虹をつくるのを眺めていると、口の中がからなのが
浸みるように分かってしまった。口をつけてホースの水を飲みたいと思ったワタシはかがむ。
かがみながらつまづいて、夜のガラスを割ってしまった。流れでてくる夢の朝の空に出ていた
薄い月。開いた口は水とともに朝の月を飲んでしまった。月を飲んだのははじめてだった。
薄いのにとても辛(から)かった。
 月はすっかりワタシに入ると、名前を教えてあげるといった。名前があるなら他にも月が
たくさんいるのかと問い返すと、月なら形がないしモノでもないからいくらだっているのだ
という。ワタシは月は形だと思っていたのが急にゆらいで、恐かった。いつだって朝は恐い。
朝は世界がひび割れている。手足も頭もひび割れている。
 月影というなら夢影もある。夢の影。ワタシは夢の影なんかじゃない。震えて、ぱたんと、
持っていたホースを地面に落としてしまった。ぐずぐずに崩れそうな背中で冷たい窓ガラス
によりかかった。すると月は形もないのにまるで男の子のように自分はトムヤンクンという
のだと、にっこり笑って辛い味でワタシの口にキスをした。
                              (4/5)