今月へ [早朝の空]7月28日 窓を開ける。ちょうどビルからの日の出。朝の空気はやはりあたらしい。 ひさしぶりに夏らしくて、暑くなる、と思うとうれしい。猛暑は苦手だけれど カラッとしたい。 松岡宮さんという「駅員」大好きサイトをつくって詩を発表している人に 東京ポエケットで知り合いました。自分が何が好きかわかっていること、それ に情熱をもっていることはとてもさわやか。 私も駅員さんの詩を書いていたので本箱の奥から雑誌を探しだして、リバイバル のコーナーに発表しました。新コーナーです。覗いてみてください。 きのう錦見映理子さんの歌集『ガーデニア・ガーデン』の批評会があり、 はじめて短歌の批評会というものに参加。4時間に渡る。詩では出版記念会 などがあるけれど、このような集中したものはないので世代をこえて歌集に ついて話あう濃い内容を驚きながら拝聴する。パネリストには川口晴美さん が詩人として参加。女性のパネリストは川口さんだけだった。 『ガーデニア・ガーデン』は官能への切迫した世界がひらかれていおり、 詩ばかり読んでいる私でも感覚がすっとつかめ批評会へ出かけてみる気持ち になった。錦見さんは「00」の朗読会へいらしていて、私の詩「アローホテル」 の朗読とデジタル写真のスライド投影のコラボレーションを見て印象深かったと 教えてくれた。全く未知の方だったのでびっくり。勇気をだして詩と写真のコラ ボの試みをやってよかった。 [シンクロしている]
7月24日 「シンクロしている」 柱時計の音を聞かなくなった、と銀色の小川のように長い動く舗道の上に立つ 足が、どこか金魚のようにゆらめく。ゆらめくけれどとめたくはない。動く舗道 の乾いた流れのふいにブレる振動に、デンキ羊のようにけばだち振動のなかへブ レてゆく。運ばれていると、走査線の銀の斜線のような舗道にときどきブレの波 がけば立つ。ワタシの後ろから歩いてきた紅くひらめくスカートが、タイトなブ ルージーンズの腰を覆いながら短く揺れて、エンジにふわりとあたりへブレると ワタシの振動にからみつく。知らない女の子のエンジの腰が、ワタシの斜めに並 んでしまうと、もうワタシしまで銀波にゆれる紅い金魚になっている。てかてか の硬い水に浮き、宝石いろの広告の海のハイビスカスに照らされながら、一緒に 金魚になっている女の子にこれからどこへゆくのと問いかけることはできなくて、 広告が終わりうつむくと、足元で赤いシグナルが流れのラストを知らせている。 一瞬ワタシは逆立っていたデンキ羊の体毛がくるりともとに戻るのを知る。動く 舗道をぞろぞろと一歩またいで降りてしまえば、フスファルトが日射を跳ね返し ざらりと眩しく目をこする。 舗道が止まり流れつくのは、あたり一面切り立った高層ビルのガラスの谷間。 つよい陽差しを凍らせるガラスのビル群の巨大な水槽。回遊するバスやトラック やタンクローリー。その回転軸がすこしずれれば、金属の腹の魚たちが赤い炎を 吹き上げる。すこしずれれば発火する魚の腹の破裂音が音叉のようにビルからビ ルを振動させてガラスが割れる。飛び散ってゆくコンクリート。バスやトラック、 タンクローリー。回遊する流れにふりそそぐ炎や瓦礫、爆風がストリートをこな ごなに飲み込んでゆく。 鋭いエイのような車がカーブにそってスピードを落とし、エイの目で鋭くこち らをにらんだ。いまにドアが開くかもしれない。歩く足はとめないように、爆破 音を頭に響かせ、ワタシは別々に歩いて別れた女の子とエンジの腰で浮き、水の ない川の回遊を横切ってゆく。今日の流れを横切ってゆく。 8/1 [ライトを浴びて]
7月20日 真夏のゆめのよう。めをさます水草にゆらゆらと酸素が昇る。 [獣だったころ]
7月16日 どんな毛並みに、色彩に、艶に、惹かれていただろう。遙かかなた。 獣だったころの原野で。 [きらきらきら]
7月14日 しずかに、受け止める。うなづく。耳をかたむけるとき、話しているあなたの 日々のきらめきが、こまかな感情の霧なにって私の雑草のような時間にそっと雫 を作ってゆく。 [クロエ]
7月10日 (池袋西武の詩のお店「ぽえむ・ぱろうる」に「the memories」 を置いていただきました。書籍館3階です。) 「クロエ」 あの日、渋谷の映画館では、ゆらめくスクリーンの光のなかに、透 明なビニールのネグリジェを着てクロエが横たわっていた。少女クロ エのベッドのまわりには、うつくしく咲いた睡蓮の花が、透明な丸い ガラスのボールに入って、いたるところに置かれていた。クロエの肺に 棲んでいる睡蓮。それが肺で咲いてしまえばクロエは死んでしまうか ら、肺の睡蓮が恥ずかしがって咲くのをやめてしまうような、うつく しい大輪の睡蓮を部屋に置かなくてはいけなかった。そのためにコラ ンは、お金のために、ぼろぼろになるまで働いて、ありったけの花を 買ってクロエの部屋へ帰ってくる。うつくしい花で恥ずかしがらせて 肺の睡蓮を枯らすため。クロエが死んだりしないため。ワタシはひとり オキナワの、ひと気のない熱帯植物園の睡蓮の池を歩いていると、池の 橋を渡る途中で睡蓮はビニールに包まれたクロエの肌の色に滲んで、 うすいピンクがあたりいちめん熱帯植物園を染めてゆく。さざ波に 映るヤシの影には、ビニールの中で呼吸するクロエの肌のうすく湿った 熱がまとわりついてゆく。透明なボリス・ヴィアンのページにくるまれ てしまったように、ワタシは靴が宙を浮いてしまって感覚がない。歩き 疲れて。広い池に架かった橋の白く乾いたコンクリートの東屋に寄ると、 コランが働きはじめた頃、銃を植樹のように土に植えて製造する奇妙な仕事を していた、その奇妙さが蘇った。金髪の軍属のアメリカ人が大きな体を ゆらしながらハローと東屋に近づいてきて、キレイネと花をみてすぎて ゆく。ワタシはキレイネと即座に返す。コランが植えた銃はなぜかまっ すぐな銃口に育たずに、百合の花のように開いて使いものにならなかった。 コランは解雇されたけれど、百合の形の銃口は正しかったように思う。 そうだ、静かなんて嘘。植物園のすぐ上をジェット戦闘機が轟音を引き、 嘉手納からどんどん飛び立ってくる。死んだりしないために、クロエが。 死んだりしないために、命が、とコランは働いていたのだった。働く コランの両手の中で銃は銃に育つのが恥ずかしくなって、花に育った。 二千年の眠りから覚めた古代の睡蓮の種から咲いた睡蓮を撮影した友達が ある日写真を送ってくれた。その写真のイメージが熱帯植物園の空へ浮く。 素朴ななんのへんてつもない睡蓮がすっきり池の上空、空の水面に咲きい出る。 二千年、死ななかった種。ワタシは、古代から続いている肌のなかで咲いて いる体、靴の中で受け止める。生きることが続いている。ジェット戦闘機が 三機また轟音で空を裂いて、いても。 8/1 [あみこまれる曇り空]
7月8日 みあげると、格子になっている。曇り空は、地上近くの電線にさえ 編み込まれるやさしい明るさを湛えている。 [はざま]
7月7日 「はざま」 支えられていると思うと、自分の力が足りないような気がしてくる。 右腕を父親に左腕を母親に支えられて歩く子どもが、足を蹴って宙に 浮き、滑るように道を進む。しっかりと両腕を支えられた子どもには、 みえなくても白い羽根が、ぶらさがる背中に生えている。ワタシは、 綿菓子のように甘い思い出が、日曜日には売りにだされるといいのに と思う。心がてもちぶさたなときは、やわらかい甘さがザラメであっ ても、片手に割り箸を握っていたい。 友達ができると、子どもの頃なら晩ご飯になるまでの間、誰かとモ ンシロチョウやアゲハチョウを追ったり、自転車を並んで走らせたり、 同じ味のアイスを食べたり、やわらかなゴムボールのような親しみを 両手から両手へと投げ合っていた。投げ挙げては渡し、投げ挙げられ ては受け取る。弧を描きあなたの両手へと、飛んでいる丸いゴムボール が、弧の頂きを越えるそのとき、飛んでいるボールはみえない間に、 ワタシのものから、あなたのものへ、何一つ変わらないのに変わる。 公園でいい匂いで咲く花の木の下をくぐって、パスしあうと、あな たからワタシへ、変わらないのにボールは変わって、ワタシはあなた へと入れ替わって、入り交じって、ボールはあなたにもワタシにも届いた。 いつからか一人でボールを壁に投げかけていた。まるである時、壁に ぶつかり、破る力もないままに、壁と話し始めたみたいに。壁に跳ね返 されるボールも、いろいろな方向へ飛ぶから、走るワタシは、前へ後ろ へ、右に左に、ふりまわされる。ふりまわされているうちに、フットワ ークのぎざぎざに、履いている靴の底も減り、けっこう鍛えられてきた。 これなら、支えられなくても、どこまでも続く壁や塀に添って、どこま でもずっと歩いてゆける。 壁なら辿ってゆけばどこかに入口か出口がきっとある。もう壁があっ たのだから出口や入口はすぐそこなのだ。住宅街を歩きながら、きゅう にパンの匂いがしてきた。 [ねむりのあるそばで]
7月3日 なにを夢みているのかひくひく前足が動く。耳が震える。ひげが ゆれる。ねむりのあるそばで、ほんのすこし素朴なきもちに、浸さ れる。 [走る箱]
7月2日 みえていても、みていない。走り去る箱。走る箱の途切れ目を渡る。走る箱の流れ に区切られる街に暮らす。走る箱によって暮らしを支えられている。 ☆「みみのひるね」の感想を、あおば茂さんに書いていただきました。 [開いている、パラボラのそばで]
7月1日 開いて待っている百合。開いて受信するパラボラアンテナ。 朽ちる時間はずいぶん違う。でも受けるために、仰向くのは同じ。 ○ 野村尚志詩集、1988−2002 武蔵野書房。 野村さんの詩は言葉化された、生きることが、なにげなくやさしい。 そして激しい。 いま、詩を読みながら、この人が生きた出来事に、その場に、いま立ち 会うような、感動に、胸打たれる。 例えば「つり皮が一本取れていた17」は、「あの人」との長い別れへ の時間ともいえる、輝いたこと、苦しんだこと、までが、そのもの のように、こころのように、言葉になっていて、これが、詩を書くた めにいっしょうけにめいに、選ばれた言葉だからこそ、すごいのだ、 ということを忘れてしまいそうになる。 例えば、「なんでもないあなた」の一人と一人の出会い、について、 これほど、美しく、また不可能なであいかた、を望むこころを、詩は 現してしまえる。その、かけがえのなさ、を思いしらされる。