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2003年8月分

[緑の幹]


8月26日
 まるで棕櫚の木の幹のように。

詩誌『第四空間』第2号で小島きみ子さんが詩集『ARROWHOTEL』について
書いてくださった。
小島さんはこの詩集を読むためには、場所をみつけなくてはならなくて、
樫の木の下のベンチで詩集を読んでくださったという。信州の塩田平で
小島さんとはじめて会ったとき、降り注ぐ陽差しに木々がのびやかに枝
をひろげていたのだった。はっきりといまでも覚えている。


[ぐにゃりと反射]


8月24日
 帽子をかぶって傘をさしてあるく。暑い。太陽の光が痛く感じる。
暑さで掲示版がぐにゃりとしているのかと思ったら凹凸のためにぐにゃりと反射
しているようだ。でもなぜ鏡のようなスチールを貼ってあるのだろう。掲示版で
はないのなら、なぜ町内会のお知らせが貼ってあるのだろう。そして、剥がれだ
している。スチールに無理して貼ったことは、回りを止めているのが粘着性の高
いビニールテープから分かる。
 それにしても、凹凸はバイクか車か荷物がぶつかっできたのじゃないだろうか。
コンクリートの壁があることが分からずに、道の風景が映っているから、みまち
がえて。衝突。そう考えると、な、なんて危険なのだ、この意味不明の鏡板は。


[あつくてあつくて]






8月21日
 久しぶりに夏が戻った。蝉がにぎやかに鳴いている小学校の校庭の裏庭。
あつくてあつくてたまらない。木陰に檻はあったけれど、もう少し涼しく
なる工夫があったらいいのに。



[流れ込む]


8月20日
 大雨の降った後の、山間の川へいったことがある。ものすごい水量が滝となり
流れ迫ってきて、激しく波立った。その水の勢いは、川へいった数日後の眠りの
なかへやってきた。激しい水が夢のなかに流れ込み、あたりは逆巻く水で溢れた。
押し流される怖さだけだった。怖くて夢の川はそのほかのことがなにもなかった。

 タカノ綾著『SPACE SHIP EE』(有)カイカイキキ刊を読む。
 絵が独特でゆらゆらしていておもしろい。絵のよな感じに描
 かれているマンガ。生き物が変身して人になったりするとき
 もとろりとしていて、変わった発想のシステムもいろいろあ
 って楽しい。オープニングの絵のかわいさや色に惹かれたの
 だけれど、日本のマンガやキャラクターのこの異常なかわい
 さ、というのは不気味。
 キャラクターとして書くのだから描く人は怖くはないのだろ
 うか。かわいさの迫力が。それにしてもストーリーはすかす
 か。このアンバランスはマンガの枠では語れない。あんがい
 作者の欲求とジカにつながっているシーンづくりのパッチワ
 ークかもしれない。


[速]


8月19日
 スピードの痕跡が束になっている。荒々しい。疾走へと、スタートを切るときに、
エンジンの燃焼の振動は赤。


[クラウディ]


8月17日


「クラウディ」 

 雲を探したくなって上を向く。見上げるといっぱいにうろこ雲。すてきだな、波のようにも
見える。ゆらゆら視線がゆれだすと、何も言えない曇った空に、薄く人影が映りだす。
さえないようすで煙草を吸って酒をのんでいる男や女。ろこ雲をうろうろしている姿は
四人になってゆく。あっ、これはDVDの、このあいだ見た『カラビニエ』。架空の現代の
荒れ地の中で孤絶して暮らす四人家族。ミケランジェロ、ユリシーズ、ヴィーナス、クレオパトラ。
すごい名前の親子だった。無言のワタシの頭のなかの架空の遠くを打ち抜く銃声。
四人はなんて粗末な小屋に住んでいるのかテレビさえ無い。新しい雑誌、新しいワンピース、
新しいスタイルが足りないとぐちるビーナス、クレオパトラ。アンナカリーナに似ていたような。
でもどこにもゆかないユリシーズとなにもしないミケランジェロが粗末なテーブルで議論す
るだけ。やせている。信じやすい、黒っぽい服。黒っぽい、すそがほつれている。草も生えない
荒れ地を、横切り、情報がやってくる。カラビニエ。戦争に行けば欲しいものが何でも手に入る。
軍服を着た二人の口車に乗り込んでしまう男達。嘘なのに。口の車には真っ赤な舌が二枚ある。
そんなものに乗ってはいけない。王様が戦利品をくれる。嘘。
乗るなら旅客機!とメモ帳の犬。手ぶらのワタシのポケットから、雲の峰を横切ってくる
旅客機に乗った白い犬。小型の四角い角を押さえる片手の指先がくすぐったい。ここにまだ詩
を書いてないけど。メモ帳の四角い紙に載り、シートベルトをきちんと締めて、トロピカル
ジュースを手に持って、赤いマフラーをしている犬をなんだかとても気に入っている。
ワタシは口の車に乗らず、走るなら、シートベルトを締めて、飛んでゆく機体だと思う。
乗るなら飛んでゆく機体。王様の嘘がよくわかる。地球の上を見下ろせば、国境の線なんて
どこにもない。墜落の危険もあるだけに、トロピカルジュース、手に持って、乗り合わせる
乗客がきっといるから、そんな乗客の人達と、ゆかいに、航行したい、と思う。
空に浮く監視衛星がいったいどんな情報を送り込んできたとしても。機体にだってある通信
装置。地上との交信の手を休めずに、泳いでゆける、雲の間に間に。   (8/19)




[朝の霧]


8月12日
 こまかな水滴でカメラが濡れる。レンズにも白い霧状のくもりがつく。
ひさしぶりにとれたて野菜をいただいた。あまみのある瓜のようなキュウリ
がおいしかった。日照不足でスイカの甘味がすくなくてしろっぽかったけれ
ど、そこは畑からのとりたて。みずみずしさで、たべてしまった。

 
 *紀伊国屋書店からゴダールの名作がDVDで発売されている。
『ゴダールのマリア』完全版<ゴダールのマリア/マリアの本>では特典映像の
「ゴダールのマリアのためのささやかな覚え書き」が初ソフト化され資料的に
も貴重だ。「マリーの本」では、思春期の少女が両親の離婚を目の当たりにし
た葛藤の映像化が息をのむ。別居で空っぽのよになってしまった海辺の家で11
歳のマリーはマーラーの第9交響曲をかけて踊りまくる。言い表せない心の衝
撃はマリーの即興の踊りのなかで叫びとなり告発となり悲しみとなり怒りとな
る。その美しさは圧巻。「ゴダールのマリア」では、バスケット部に所属する
学生のマリアは、恋人のタクシー運転手ジョセフと肉体関係がないのに妊娠す
る。突然現れた天使ガブリエルの告知により、ジョセフは疑いながも処女懐胎
を受け入れることになる。しかもマリアの体を触らせてもらえない。信頼とは
何かという問いが魂や肉体についての考察をめぐり繰り返され、全編に愛の触
れかたを見つけるためのゴダールの挑戦と美が溢れるている。またゴダールの
60年代初期の傑作『カラビニエ』は現代の架空の国で孤絶して暮らすミケラン
ジェロ、ユリシーズ、ビーナス、クレオパトラの家族を中心に、戦争の虚像と
悲劇を滑稽に描き、過激に批判。今やカルト的な人気を獲得している。


[オキナワの空の下]


8月8日
 ほんとうらしいってなんだろう。くすんでいることだろうか。汚れている
ことだろうか。廃墟のようなところだろうか。殺伐としたもののことだろうか。
 色彩の官能性。そこに引き込まれると、私が体からいなくなるような気がす
る。私はオキナワでしきりにいなくなっていた。



[高橋明洋写真展]


8月5日
 新宿ニコンサロンで開催されている高橋さんの個展より。壁いっぱいこうした展示。
妙な広告とビニール袋にはさまれた人の生活。笑えないけれど笑える。笑うしかない。
しあわせなのは漂うビニール袋だけなのか?!
 日々ウェブでみているけれどこうして取り囲まれてみると迫ってくるものがあります。

 このあと永沼敦子さんの写真展へゆく。電車の中のアットランダムな視線は彼女の指先
でみられている。盗撮のようでいてなんのみゃくらくもない。ただ変転するアングル。
デジタル写真の断片の迫力は、にせものっぽい現実をにせものっぽくそのまま捕獲。そし
て色彩は夢の浮遊感を失わない。ウェブでも同時開催中。
パーティの会場風景を小林のりおさんが載せてます。 どこかに私もいます。(8/7)

[暑い日はかき氷]


8月4日
 中庭へ車椅子のお年寄りを集めてかき氷。母と一緒に私ももらう。汗が引いてゆく。
ドラエもんのかき氷機ががたがたしてやりづらそうだったので、スタッフにまじって
しっかり押さえる手伝いをする。入館者みんなに配るとなると、けっこうな数だった。
ストロベリーと抹茶とメロン。屋外の氷はどんどん溶ける。

 

[地下の映画館をでると]


8月1日
 うっすらとピーチワインのベール。一日の喧噪に幕を引く、空の終演。そのあとは、
宇宙の闇がつつぬけになる。

 映画「ホテル・ハイビスカス」を見る。沖縄感があふれている。元気いっぱいの小学3年生の
少女恵美子がガジュマルの木に棲むとい森の精霊、キジムナーを探しにゆく冒険が語られている。
けれど、ほんとうは、家族でやっているぽろいホテルの暖かさや信頼、愛、ということが焦点な
のだと思う。いつも眠ってばかりの父、一人で家族の暮らしを支えるバーで働く陽気な母、
黒人の兄、白人の姉。うちはインターナショナルなのよ驚いた?と恵美子が唯一のホテルの客
の青年に言うけれど驚きますほんとうに。そして「ちゅらさん」で“沖縄のおばぁ”を教えてく
れた平良とみのおばぁぶり、祈りの声がすてきだった。そこここで鳴り響く蛇味線の歌の味わいが
あたたく陽気な気分にしてくれる。しかし、米軍基地へキジムナーを探しに恵美子たち小学生が
入ってしまうとき、銃の射撃音が草むらの向こうに鳴り続けていた現実はショックだった。迷彩服の
アメリカ兵が草原から湧くように立ち上がるとき、なんとも苦い緊張感が走る。それでもおてんばの
恵美子はぜんぜん懲りないのだけれど、先祖の多美子が戦前の子どもの姿でお盆に現れるときは神妙
になっていた。沖縄の厳しさと陽気さとじょうとうの人のぬくもり。そして神秘。このオキナワワー
ルドは愛おしい。もう失われようとしているからかもしれない。

 *先月の詩で「シンクロしている」「クロエ」を推敲しました。