今月へ
2003年9月分
[墓へ]9月29日 ビルの下をゆく。そしてまたビル。ビルの外階段のエスカレータを上り、それから 少し石の階段。坂の上はちいさな墓地。お花を供え、水をかけ線香を供え、手を あわせた。そしてふり仰ぐと卒塔婆のうえに高層ビル。その高層ビルはマンション らしい。窓の一つ一つに住む人がいるらしい。どんな暮らしの気分なのだろう。 夜明けや日没はすごくいいのかもしれない。そこで生まれ育って大人になる人は 空に囲まれていることがあたりまえになるのだろうか。そういう人を作るために 建築家は設計するのだろうか。 [のぼっていた]
9月26日 のぼっていた 部屋の窓をみると巨大な草の葉が身をうねらせていた。おまえはもう選ばなければ ならない。ワタシは部屋の床に横たわっていて、声をきいてびっくりした。草のこと葉 が聞こえたから。太い茎が蔓のようにくねって、襲いかかってきそうで怖い。いかにも 草らしい野太さに、わけもなく、聞き入れさせられる。でも何を。わけもわらかずに あわてて部屋をとびだした。ワタシはゆくあてがなかった。だれもいない舗道にでた。 すると舗道は階段になって塔のようにビルのあいだを、上へと向かって伸びてゆく。 目の前が階段で覆われて、森も海も駅もみえない。ただただ汚れたビル壁の間をワタシ は上ってゆくのだと思う。階段の塔。灰色の石面がいやにざらざらし、ワタシは石に塞がれて 風景も見えない身になったのかと、足元の石段ばかりをみた。それでも階段を上ってゆく。 あたりは密集したビルばかり。なにもない、そうなにもない。そんなふうに上っていると ビルの壁があちこちで明るい色を載せている。クリーム色やアイボリーやピンクやうすい ブルーに気付いた。巨大なタイルのように四角くいろいろな色がビル壁で咲く。きれいだな。 なんだかほっとする。ワタシはここでは花さえも四角くタイルとして咲くのだと、受け入れ る気持ちになってきた。すると石段のあちこちに白い大きなタイルの四角や、ピンクやブルー のタイルの四角がとびとびに咲いているのに気付いた。白いタイルを上って過ぎると、足元 からツンと痛みが走って、この白はほんとは恋人じゃないかと、恋人のシャツだったんじゃ ないかと思って、ワタシははっと足元をみた。ワタシは石段を降りようとした。なに歩き 過ぎてるの。石段をみた。けれどワタシはどこにもワタシの体というのがみつからなかった。 うずくまって泣いている。と、ワタシのことを想ってみた。するとそこから穴がだんだん 石段の世界に開きはじめ、ワタシはかなしくて泣いているのに、ワタシは穴になって消え、 開いた穴の向こうにはとてもきれいな青空が、青く明るくひろがっていた。白い雲が風に 流れてなだらかに浮かんでいたりする。 [目があった]
9月23日 どうしても可愛いと思ってしまう。公園の花壇のなかでこちらを向いていた。 なにか話しかけてきそうで、目が合うと、目をはなせなくなる。外を歩いていて 草のなかに見つけたリスだからこんなに可愛く思うのだろう。ホームセンターの 園芸のコーナーなどで売られていてもきっと欲しくはならない。 草の間にいるリスは、もしかしたら、ずっと昔よく見ていた絵本の中へ、連れて 行ってくれるかも。私のどこかが、子どもになって喜んでいる気がする。 多和田葉子の新刊『エクソフォニー 母語の外への旅』が岩波書店からでた。 ひさしぶりの多和田さんの新刊。どきどきしながら読んでいる。エッセイを 読んでいると母語を改めて意識化することで、縛られていた秩序から出られ る。それも母語の外へでることで、外国へ行くことばかりが、母語の外へで る旅ではないという。これまでの私の読み方、言葉の受け取り方は間違いで はなかったのだ。よかった。 [入ってはいけない]
9月22日 すこしのあいだ、開いた土地。草と猫だけが自由にできる。 [月の夕暮れ]
9月20日 ときどき空に月をさがしていることがある。夕焼けの空に月をみつけた。 贈りもののようでうれしかった。 ★お知らせ 図書新聞の9月27日土曜日の号の「クロニクル2003」のコーナーで 『the memories』が紹介されました。 詩人の川口晴美さんが、月の宿る部屋・『フリーダカーロとその時代』展と 北爪満喜個人誌「the memories」というタイトルで論じてます。そこでは、 メキシコの強烈な光を放つフリーダの作品よりも、フリーダと同時代のレメ ディオス・バロなどの幻想的な、夜の光を震わせる囁きにた世界の方が心に 染みこんだということから、バロの「星粥」の絵に注目。鳥籠に月を飼って いる孤高な女性がはりつめた空虚と静かなやすらぎをもっているが、それは、 空虚を内側から支える光を飼っているからなのだということ。その印象は私の 創刊号の詩「薄い滝」を想い出させたという。詩を書く私たちは、きっとそ れぞれ空虚に月を飼っている。バロの月を養う女性の空虚も、夢の空に出て いた月が朝の水撒きの水に流れでてきて、その月を飲んでしまったワタシの 空虚も、どちらも月が内側からの光で支えている。書くとはどういうことな のか、まで踏み込んだ批評でした。 で、私はびっくりしました。というのも、フリーダカーロ展へ私も行った のですが、やっばりバロがいいなぁ、と思っていて、出口の売店で、フリーダ展 のカタログではなく、片隅に出されていたバロの過去の展覧会のカタログを 買って帰ってきたのでした。前にどかで読んだ言葉だけれど作品と作品は 糸でつながっている、のかも知れないなぁと感慨深く思いました。 『the memories』三号 近日発行します。 よかったらお買い上げください。 [9月15日]
9月18日 母の入っている老人ホームで、敬老会があった。いつもスタッフの人がいろいろ工夫して 手作りの余興をやってくれる。この日は男は女装、女は男装してフォークダンスを踊ってく れた。おばあちゃんたちは、お化粧してスカーフ・ブラウス・スカート姿のスタッフに顔を 赤くして大笑い。この趣向は秘密にされていたので私もびっくり。少しでも楽しく、とい う気遣いがとても有り難かった。そんなにお金をかけなくても、手作りで、いつも私たちを 励ましてくれる。それからお年寄りと家族を交え歌を歌った。大きな文字でプリントされた 坂本九の「うえをむいて歩こう」が配られ、声を合わせて合唱していると、心のこもった雰 囲気が胸にせまった。 [風車]
9月17日 風景が、信号待ちしている。一瞬、交差点は風車の野。不思議な風につつまれる。 ドイツ文化センターで写真と焼き物の展示を見る。 写真はドイツの女性、井関・クリスティーネさん。 衣装を着ることの情熱、それが新旧の世代を繋ぐという視点だった。 コスチューム・プレイでキャラクターになりきる若者たちと、伝統的な祭で 御輿を担ぐ人たちの衣装、そして100年変わらない祭の御輿の伝統にも 金山祭ではニューハーフが祭の御輿担ぎに加わっている、その場面をコス チュームへの情熱というところで捉えているのが興味深かった。 セーラー・ムーンも祭り鉢巻きも、ニューハーフも京都の舞妓も、同じ。 同質の距離で撮られていた。価値観が介入していないところが良かった。 こうしてみると衣装を着る嗜好は世代も文化の差異もなくフラットな感じがした。 * airparkのコーナーで布村浩一さんをお招きしました。 [辛]
9月15日 イメージ・フォーラムでドイツの青春映画「ビタースイート」をみる。 「ビタースイート」は17歳の二人の親友カティとステフィを通して この年齢の子たちがいきている世界を描いている。苦い。きれいなこ ともグロテスクな感情も、性にかかわる危険さも、両親との関係も、 多くのこの年齢の少女達と会って話してリサーチした上で作られたもの。 マリア・フォン・ヘランド監督は1965年スウェーデン生まれ。彼女の 作った映画はどこか生々しい。作っているけれど、話の枠に収まらず こちらを照らし返す。忘れていたことを呼び起こす。 「ビタースウィート」の公式サイト http://www.spe.co.jp/movie/worldcinema/bittersweet/ [プール]
9月13日 プール 水面がパレットのように風景をかき混ぜる。水しぶきをたてながら オレンジ、黄色、赤、青、白、ピンク、紫。熱帯魚がくるくるかき回されて 織り上げられた模様のような夏のプールは覗かれないよう目隠しの塀に囲まれている。 異質な視線が水のなかの模様を切り裂かないように。 プールではpoolと書かれたカードにスタンプを押してもらって、 走りだす手足をじっとみすえる監視員をすり抜ける。 丸い唇をすぼめながら冷たい消毒漕に漬かる。震えながら漬っていると、 腰から下が衝動的につるりと魚の尾になってゆく。 だからプールはとりどりの色のマーメイド達でいっぱいになる。ターンをしながら 泳ぎ回るマーメイドの尾の上げる飛沫で、あたりが水の匂いにしずむ。 ワタシはプールへ滑り込む。ぶくぶくと泡を発てながら誰もがそうするように ワタシも、のどにつかえていたアノコトを呼気とともに水中へはく。 プールのなかでアノコトは水彩絵の具のようにゆらゆら掻き回されて、煙になって、 水のあいだへ溶けてゆく。見えなくなったアノコトは、水のなかに潜んでいて、 別の誰かに掻き上げられると、少しどこかが欠けながら アノコとか、アトとか模様が歪んで色彩もすこし変わるのだろう。 たくさんの尾にかき回されて、水のなかで織られてゆく。 これを水布(みずぬの)というのだろうか。 泳ぐ掌が水を押す。 抜き手を掻くと指の間に水掻きのような膜がはる。透明な水の膜なのに 胸のあたりに、みえないものが掻き寄せられて、巻き付いてくる。 息が苦しくなってくる。きつくまといつかれれば、身動きできずにゆらゆらと プールの底に沈んでしまう。 沈んでもいい。巻きつかれ、甘く呼吸をとめられて巻き取られてゆくワタシは沈む。 死んでゆくワタシの意識を起こし、みえない襞をかいくぐるのは、 プールの底でターンして、水面をたたく弾む魚の尾。衝動の尾はワタシのことなどおかまいなしに、 泳ぎつづけるものたちの泳ぎの波へ呼び寄せられる。 水のしぶきになって破れて、きらきら織り直される、水布。 マーメイドたちの、衝動の尾が、今またここを行き過ぎる。 青いプールをまっすぐに、澄んだ夜明けのようなクロール。 いつまでも織り直されてゆく水布。 ゆらゆら揺れる水面で切れては繋がる、光の編み目。 (9/18) [月と火星]
9月9日 月と火星が6万年ぶりの大接近、というので窓からながめてみる。 テレビのアンテナの間にちょうど月と火星がみえた。天体の時間は 数字のなかにある。そういうことを感じるのはロマンだと思う。いえ、 もしかしたら30億年の記憶のたまものの内蔵が関わる感得、かもし れない。なんだか惹かれてしまうのは。 [電車の座席に糸かがり]
9月8日 ふと座った座席のとなりを見ると、裂け目を糸かがりしてあった。座席がきゅうに 近くなる。誰か、針に赤い糸を通して、しっかりと裂け目を縫った人がいる。駅員さん じゃないとは、思うけれど。 [駒沢公園]
9月6日 なぎさちゃん・よしのちゃん。旅行中の路線バスでしりあったふたり。きれいな名前。 もうあうこともないと思うけれど。花をみていたら思いだした。 [線路はつづく]
9月5日 「裸足の1500マイル」というビデオをみる。1930年頃、オーストラリアの アボリジニの混血の子ども達が強引に母親から引き離され、白人の文化を教育してや る、という偽善のもとに施設に入れられた。文化の押しつけなんてものじゃない。人 さらい。拉致。結局は白人のメイドにして一生奴隷のように働かされるのだ。故郷に 戻れずに死んだ子ども達。自分は誰かわからなくなってしまった壊された子ども達。 そんななか施設から逃げ伸びた少女がいたのだ。砂漠があるところを2400キロも 歩いて。帰るために。自由になるために。追跡者との知恵くらべのような危険な逃亡 や、砂漠での危機。アボリジニの少女の利発さと意志と無力さを、カメラがすごくよ く動いて乱反射のように撮っている。説教臭くなく、感傷でもない。クリストファー・ ドイルはその場がその時かきまわされた、そのものを映像にする。あのウォン・カー ワァイの「恋する惑星」でのときのように。 ●松岡宮さんは自称駅員フェチの詩人。今年の東京ポエケットで知り合いました。 縁があって私の「メトロの回転帽子が光る」の詩をイラスト付きで批評してくれました。 よかったら覗いてください。「いん・あうと」というところです。 [いわきの山並みに囲まれて]
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9月3日 ことしも福島県いわき市へ、歴程夏のセミナーにゆく。 今年は、草野心平生誕100年なので、「日本語の再発見・ 草野心平、蛙の詩」という話をした。私はパソコンでサイト を運営しはじめたころ、一年くらい詩の言葉がでてこなかった。 パソコンはシステムが日本人の思考の流れにそって使えない。 異なっている、アメリカの言語に添っているから。そのことがあって、 母国語の流れが妨げられ、私はこれまでのように、ワープロで書いて いたときのようには言葉を出せなくなつてしまった。言葉を書く 環境が壊れて、詩作品をぎくしゃく書くことが3年くらい続いた。 そんななか、すでに書いてあった詩を詩集「ARROWHOTEL」 に推敲に推敲を重ねてまとめることをした。構成をまとめ、すっ かり手を放れたある日、突然、ダイレクトにサイト詩を書くという 言葉の事件がやってきた。書き方かびっくりするほど変わった。 これは、なんなのだろうと、デジタルな発語がイメージからやって くるのはなぜなのかという問いがずっとくすぶっていた。 その問いから、母国語を離れて外国で働き、作品を書いていた 二人の日本語の再発見について焦点をあててみた。私はドイツで 働き、詩や小説を書いてすばらしい作品を生みだした多和田葉子さん と、中国のミッションスクールで英語を使って日本語を教えてした 草野心平の共通点をさがしてみた。それは、ぴったりくる日本語がなく なってしまった、という母国語との距離、崩壊による、言葉の、日本語 そのものの再発見がなされた、ということだった。言葉の環境から独創 の必要に迫られたのだった。 ※私のノート 「蛙の詩は外国語にとりまかれてた生活からうまれた」 *草野心平さんの詩へはさまざまなアプローチができる。 ここでは草野さんが日本語を意識化したというところに焦点をあててみたい。 草野さんは生涯に渡って蛙の詩を書いている。蛙の詩がなぜうまれたのか。 ということを考えると、外国語のなかで暮らした、ということが大きな要因 になっていると思われる。外国で日本語を再発見したことが蛙の詩を書くこ とと関わっている。 大正10年 18歳 広州へ渡る。5年間滞在。嶺南大学へ入学。詩を書きはじめる。 21歳 日本語講座の講師に任命される。 大正14年 22歳 帰国。 昭和 3年 25歳 『第百階級』(ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉 ・鰻と蛙・蛇祭行進・亡霊・冬眠) 13年 35歳 『蛙』 昭和15年 37歳 南京へ渡る。嶺南大学の同窓生、林伯生の要請で南京の汪清衛 政権の宣伝部顧問。 昭和21年 43歳 帰国。この間に戦争、現地召集される。終戦。復員線で帰還した。 23年 45歳 『日本砂漠』傑作(聖誕祭・ごびらっふの独白)最も蛙語が花開く 39年 61歳 『第四の蛙』 (勝手なコーラス) ●昨年の歴程セミナーでの財部さん、新藤さんの話 嶺南大学はミッション系のスクール。欧米人が多かった。草野さんは英語を使ってい た。日本人は只一人。 新藤凉子さん。草野心平さんが、日本を出てはじめて日本語の美しさに気付いたのだ。 草野さんは、日本語が不得意だった。あるとき日本語を教えないかといわれたのが転機 となり、不得意だった日本語を勉強し直して教えたということ。 このとき英語で教えた。 (●草野心平 生誕百年号 詩集玄玄 限定千部 草野心平 筑摩書房 昭 51 「日本語」) ○多和田葉子 外国で日本語を再発見。 大学卒業後ドイツへ渡り、現地の企業で働き、ハンブルク大学で学び 詩や小説を書いた作家。 多和田さんは、ドイツ語でも詩や戯曲や小説を書き、 外国人がドイツ語で書いた文学作品に送られるシャミッソー文学賞を受賞。 「犬婿入り」で1993年に芥川賞。「光とゼラチンのライプチヒ」 「きつねつき」「球体時間」 距離 「日本語を全くしゃべらないうちに、半年が過ぎてしまった。 日本語がわたしの生活から離れていってしまった感じだった。 手に触れる物にも、自分の気分にも、ぴったりする日本語が 見つからないのだった。」 エッセイ(カタコトのうわごと)より 再構成とか独創の必要 「わたしの書きたいものを表現するには、普通の日本語で は無理だと感じた」 エッセイ(カタコトのうわごと)より 崩壊・開放 「日本語が一度砕けてまた生まれ変わったような気がした」 日本語は「一つ一つの文字や音にまでばらばらになり、かえって可能性 を秘めているように見えてきた。」 言葉と言葉がぶつかりあって進む。言葉の音と意味がズレたり脱 線したりする。研ぎすまされた日本語。どんな文章か「花言葉」よりプリント。 ●昭3『第百階級』 ・ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉 蛇に喰われる蛙ゲリゲに自分を投影。現実の厳しい暮らしを映している。 ・鰻と蛙 あいうえお順が崩れていない。吃音、濁音で気持ちになじまない現実。 ・蛇祭行進 ゲリゲが蛇を篠竹につきさして行進している。現実へ、詩でしっぺ返し。 ・亡霊 蛇がおれの口に喰われている。やっつけている。毒のある壮絶さ。 壮絶な現実の苦難の裏返し。 ・冬眠 予感に充ちている。 認識の記号化だが、形骸化した記号ではなくナマの認識。 黒丸は爆発前のエネルギーにみえる。 総じて第百階級では、困難な生活の現実と対応した状況を蛙の詩はになっている。 しかし、ここに蛙の詩が出現したのは、日本語といったん距離をもった体験が関 わっている。自分の書きたいものを表現するには、普通の日本語では無理だと感じ るような、言語を中心にした直感が働いている。 ●昭23年『日本砂漠』傑作(聖誕祭・ごびらっふの独白) その時代の日本人の日本語感を超越し、蛙語の世界という、独創の力を爆発させた。 じぶんの国にいたときは日本や日本人にべったりだった日本語が、母国をはなれ外国語 のなかで、日本語という一つの言語として具体的にせまってきた。そして日本語とは言 葉だ、という実感が独創を可能にさせた。 私はここから、あるメッセージをうけとった。それは、言葉への新たな意識化によって、 日本語は再発見できる。だから、常識にひっぱられずに、言葉で、日本語でもっといろい ろなことができる。想像力を飛ばそう、という前向きなパワーだった。閉塞感が覆うけれど 日本語の力を、常識にひっぱらけずに、飛ばしたい。