今月へ 2004年1月分 [夕陽のなか]1月30日 歩いていて、夕陽のなかへ光へ溶け入りそうな植物をみると、こんな感じが 自分のなかにもあるように思う。 布村さんへ。毛利さんから、お会いしたこともない方が読み感想を書いてくださっ ていたことに感謝です。すごく嬉しかったです。とメールがありました。私も嬉しいです。 [この日の通り道で]
1月27日 今日、毛利珠江さんの「無花果・イスタンブール」を読まれた布村浩一さんが灰皿ネット の布村さんのサイトで感想を書いてくださった。布村さん。ありがとうございます。 偶然とは不思議です。この日ふとテレビをつけたら「プロジェクトX」でご主人と並んで 映っている毛利珠江さんの写真が映されていたのでした。イラン・イラク戦争のときイラン に赴任していた日本の企業戦士たちと家族は数百人いて、毛利さんご夫婦もそうでした。 空爆だけでなく、二日後には民間機を爆破すると予告があり、イラン脱出には自国民を優先 する諸国の飛行機は日本人の搭乗を拒否。日本人は空港に取り残されたのです。緊迫の脱出劇。 そのときの危機は毛利さんの詩集『ああべあなある』のあとがきにも書かれています。 番組では日本人のために生命の危険を押して、トルコ人のパイロットと客室乗務員の方々かいたこと を知りました。その後トルコ地震のとき、自ら募金を募ってトルコへ持参した毛利さんの夫が、 番組で語っていました。時間ぎりぎりでトルコへ脱出できたとき、妻が客室乗務員にお礼を言った ら、初めて客室乗務員の人が涙をみせ、恐怖に耐えていてくれたことを知った、という話、 臨場感がありました。そしてトルコの人々への感謝を胸に生きてこられて、激務のなか先頭にたって 募金をされた返礼が他国の人と心を繋ぐものになっている、ということに私は胸を打たれました。 また、夫と並ぶ笑顔の毛利さんの写真が、命、というものをくっきりと現していて、番組のなかで ひりひりと迫ってきました。振り返って、こうした極限だけでなく、様々な国に住んだ毛利さん の日々の生活は、詩の言葉となって、今も生きつづけているのだと思いました。 (「プロジェクトX」日曜日に再放送があります。「撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ」) [緑のものは]
1月26日 どうしかこんなにくねくねと絡んでいても、緑のものは目におだやか。 ほどけゆく両端まで目が届く。絡まりの方へ囚われ続けなかった。 むかしおばあちゃんが教えてくれた。私のペンダントの鎖が絡まってしまって なかなかほどけなくて指先からいらいらしたのが声にまででてしまったとき、 ふぅっーと息をかけながら、ほぐしてゆくとほどけるよ。きりきりしちゃだめだよ。 と。私はもう、引きちぎってしまいたくなっていたのだけれど、思い直して、 ふうっーと息をふきかけながら注意深く鎖をほどいてみた。すると、ちゃんと 鎖はほどけたのだった。と、思い出して、あっと思った。その頃、おばあちゃん の目はもう光を失っていたのだった。まるでそのありさまを、見ていたように、 的確に声をかけてくれたのだった。イメージしていてくれたのだ。見えない瞳の 奥で。暖かいイメージってあるのだなぁ。 [52階でオープン・エア・テラスに出ると]
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1月24日 15日。六本木ヒルズへいったのだった。 52階でオープン・エア・テラスに出ると冷たい風が吹いていた。とても強い風かな と身構えていたけれど、それほど凄くつよい風ではなかった。ビニールネットを通して いちめんのビルと道路と空がひろがっていた。知っているビルをさがして街の名前を 当てはめる。すると距離が近くなる。1500円かかるけれど、森美術館を見られるのだ った。「ハビネス」展では膨大な多様な作品のなかに、レニ・リーフェンシュタール の「民族の祭典」の上映コーナーがあり、オリンピック選手の身体が感動的に美しく 飛び込みの選手の身体が、まるで白鳥のように空を滑空し、次々と滑空し、まるで飛 んでいるような数秒間が映されているのをみていたら、人間の形の美しさ、飛んでい ること、が胸に迫ってきて、まったく抒情的ではない映像なのに目に涙が浮かんでき ていた。私だけでなくそうだったみたいだ。コーナー暗闇をでてきた女の子も目を拭 いていたから。 [クリームソーダ]
1月23日 何年かぶりにクリームソーダを飲んだ。母たちがよく頼んでいるの を見てもコーヒーにしていたけれど、あの色には惹かれててたのだった。 江戸っ子が蕎麦を食べるとき、粋がって蕎麦の先をちょっとつゆに付ける だけですすって食べていたのだったが、その人が死ぬまえに一度でいいから つゆをたっぷりつけて蕎麦を食べたかった、といいおいて逝った、という 笑い話を聞く。ホントはね、ということ、案外たくさんあるかも知れない。 きょう読んだ詩誌は、詩よりもエッセイのほうがとても楽しそうに生き生き していた。全員。ホントは、こんなことを書きたい、というホントが開放感 のあるエッセイにいってしまったのかも、なんて思ってしまう。 [赤い]
1月21日 そのとき、赤い、雫が揺れた。地下鉄は揺れて走っているから。つり革も 幾分ゆれながら、つかまれたり、離されたりばらばらしている。 [ふっくり]
1月20日 公園のよく陽のあたる枝には、ふっくり、と梅の花が咲きはじめている。 もう20日になってしまった。なにか速い。 すこし休んでいた個人誌「ザ・メモリーズ」の4号を準備しています。 [せなかから浴びる]
1月18日 一瞬しか陽差しがこないところでも咲いている。まず背中から浴びる光に 透き通る。 若い写真家の永沼敦子さんの写真サイトをリンクしました。anore24。 ときどき動画も載せるようです。 [翼のよう]
1月16日 晴れた日の広い空を眺めるとき、なんだかぼーと心がゆるむ。 ずっとみていたい気持ちがする。雲はおおきな翼のよう。どこへ羽ばたいてゆくの かな。 「香り・匂い」のコラボの短歌と詩を掲載しました。どうぞご覧ください。 [新宿]
1月14日 きょうは母を整形外科へつれてゆく。レントゲンをとって母の骨格を見ることに なる。個人の病院なのでレントゲンを撮っている部屋のすぐそばに現像の機会が置いて あり、しだいに明確になるレントゲン映像をまのあたりにする。コピー機のような形 だったので母が体内をコピーされているような感じがした。背骨が加齢で変形している のがよくわかる。内部は映るけれど、これはホントは内部じゃないから、と言ってみたく なる。なにが、から、なのかよくわからないけれど、待ち時間に母の日々の話をたくさん 聞いた。 明日は詩と短歌のコラボレーションを掲載します。 [なつかしい色]
1月10日 花壇の花の草木のなかをくぐってまわった子どものころ、こんな花の色が 目に近づいては、後ろへ去った、思いでがやってくる。 「懐かしいとワタシは欠ける」ときのうの詩のなかで書いていた。 [酸素の呼吸]
1月9日 水中でも酸素の呼吸なのだった。エラ呼吸という言葉を思い出す。 エラで水中にある酸素を捕まえて呼吸をする魚。酸素のなかを歩く私たち。 酸素のなかを抜ける光。でも酸素をつくるのは草や木だった。 [垂らした手のところに]
1月7日 ポケットからカメラをだした。信号待ちだった。そこに折れている草が映って いたことに驚いた。カメラを出してシャッターボタンをなぜ押したのか。自分で は見たと自覚していなくても、視界のどこかで見ていたのかもしれない。と、そ んなことを思ってしまう。こんなふうに折れているなんて。 [猫たち・クロをなめているシロ]
郵便局へゆく途中にいる猫
駅へ行く途中ではじめて会った猫
1月6日 ストーブをつけるとすぐにクロとシロがかけよって温風の出る口の まんまえに陣取り、熱を吸い取ってしまう。部屋はなまぬるい猫の匂い とともにだんだんとあたたかくなる。そのころは、二匹は暖かくてたま らず、ごろんと横になっている。私にもきっと猫の匂いがついているの だろう、猫が寄ってくることがある。そうした猫はカメラをむけてもい やがらない。人影の少ない冬の街では、猫がほっとしているような気が する。 [サザンカ]
1月5日 ことしの冬もまたサザンカが咲き、明るくしている。サザンカはほんとうに やさしく甘くいい香り。昨日は4日。「香り匂い」のコラボのための詩を書いた。 何も出てこないんじゃないかという不安と緊張を乗り越えて、「1日の朝の空気」 を吸ったところへ戻って書きだす。中断しては続ける。けっこう神経も体力も 使うものだ。きょうは何度も眠気におそわれた。 エアパークの毛利さんの詩のルビを直す。 私のひとつだけ親しいトルコの言葉ができた。メルハバ。こんにちは。 [聞こえる歓声]
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1月3日 競技場のある公園ではカイトを挙げる親子の歓声や何かスポーツの競技を やっているらしい歓声がときどき波のように大きく聞こえてくる。きょうは 風もなくわりと暖かかった。 airparkに毛利珠江さんの詩「無花果(イスタンブール)」をお迎えしました。 [影たち]
1月2日 ヘアーサロンの朝。止まっている影と動いている影とわからないくらいゆっくり動いている光。 冷たそうな椅子や置き去りの生花やシャンプーのあいだにおじやましているのは、自分の影。き づかなかった。映っていたとは。 ヤリタミサコさんが「いんあうと」というサイトで「ベランダ」の詩を取り上げてくれました。 [朝]
1月1日 新年の朝。以前なら、今日から新たにはじまる、というふうに新年の空を みあげた。けれどきょうはずっと流れつづけている雲だなぁ、というように みあげた。地球の大気のはじまりからずっと。いつも毎日一瞬、いっかい限り の時間なのだから。そう思うと姿勢をただすような安らぎが、微かに、陽差し と共にとどいてきた。