今月
2004年 10月分

[制作風景]

10月31日
 来月に迫った「おかえり」展の共同作品の制作風景。長いので
作業する場所を借り、二日がかりで仕上げる。この日は6人が集ま
った。

 11月29日から12月4日です。どうぞ来てください。 
 ・ペッパーズロフトギャラリーは、垂直のはしごがあります。
服装にご注意ください。
 



[透き通る]

10月28日
 落ち葉のあいだから伸びたシダの葉が光に透ける。
 金木犀も香りもそろそろ薄くなって、いよいよ秋も深まってゆく。陽が暮れる
と急に寒くなる。新潟の地震で避難している人はひどく寒いのだろう。寒さに弱い
ので、考えただけで恐ろしい。テレビのインタビューに、体育館では床の上なので
冷える、と語っていた声が耳に残る。


[公園の木になりたかった]

10月21日
渋谷のギャラリー LE DECO でおこなわれている写真展
鈴木志郎康「sutekinahitotati」・石井茂「潜影四辺形」
を見に行く。
鈴木志郎康さんの「sutekinahitotati」は
魚眼レンズの○の中の学生さんたちが、まるで花の個性の
ように、それぞれ咲いている。すこしの表情の違いでも、
その人の雰囲気がわかるような感じがして面白なと思った。
石井茂さんの「潜影四辺形」は
ピンホールカメラで撮った水滴のついた部屋の窓硝子や、
ベランダの植物などや、荒廃した植物園や水のけむる岩場
など、とても懐かしい感じがした。はっきりしない輪郭は
影か陰影か不確かでイメージか頭の中に浮きあがってくる
過程のよう。ゆわゆわしているのが言葉をさがしている頭
の中のようだった。

デジタルカメラの写真展がある。
永沼敦子さんたちの銀座の資生堂ギャラリーでの
写真展は今月いっぱいだ。また行って見てきたい。
撮るときはデジタルカメラで2ギガくらい撮ったという
膨大な写真から、展示でもモニターのスライドショーで
多量の写真が見られる。この写真展の準備であの元気な
永沼さんがすごくやせてしまった。それほどハードだったのだ。
でも作品はそれだけのことはある。ほとんど都市で生きて
いる私達がどんな質の場にいるのかわからせてくれる迫力
がある。

ギンザ・フォト・ストリート1930’s/2004

会期:9月22日(水)〜10月31日(日)
時間:10:30〜19:00
休館日:月曜・祝日 
会場:ハウス オブ シセイドウ 東京都中央区銀座 7-5-5
(銀座並木通り資生堂本社ビル1・2階)
入館:無料
主催:株式会社資生堂 

1、2階の会場を使って、写真家たちの視点を通した銀座を紹介。
2階では40年以上にわたり銀座を撮り続けた師岡宏次の作品を展示。
1階では若手の写真家による銀座の撮りおろし作品を展示。

・師岡宏次(2階会場)
・長野陽一(1階会場)
・森本美絵(同上)
・永沼敦子(同上)

 



[いつもなつかしい]

10月18日
 晴れていた日の夕暮れの色は、しずかな贈りものだという感じがする。立ち止まって
見上げると、細い三日月がまだ白く、すっと東の空にかかっていた。

 コーエン兄弟の映画が好きなのだが、もうすぐ「レディー・キラーズ」という
クライム・ストーリーがビデオやDVDになる。これも独特。こんなに笑わせる犯罪
映画もない。南部を流れるミシシッピ川、そののどかな水面をすべるように進む
ゴミ収集船のシーンがとても美しい。それだけに、後でどんな意味をもつかわか
ったときが・・。教授とよばれる知能犯がカジノ強奪計画のために4人の犯罪者
を集める。この4人のキャラクターもひどく独特の可笑しさがあって、それがしっ
かり筋とからんでいる。エドカー・アラン・ポーの詩がこんなふうに使われるの
も意外で痛快。それに映像的にもうまい。




[帰り道]

10月17日
 路上パフォーマンスをしている人達で賑やかになる日曜日。
たのしそうに話しながら帰ってゆく風船と子供と老人。たくさんの
風船を握る手はすこし浮力でがあるように上がっている。補助輪を
つけた自転車だから、家は近くなのかも知れない。
 
 


[青かった]

10月13日
 スプーンにたらしたウイスキー。アルコールは燃えると青かった。


  青のなかへ

「夢の中で高台の公園を歩いていると淡い水色の歩道橋から下へ降りられるようになっている。
崖のようで怖い水色の歩道橋。そこを黄色いワンピースの女が昇ってこちらへ近づいて来る。
女の顔や手足は余白のように透けているから、ワンピースの黄色いことだけが目立つ。
顔が余白のような人は避けたい。そう思って立ち止まった。すると、彼女のことがわかった。
この歩道橋は避けて、降りないほうがいい、と黄色いワンピースで注意するメッセージガール
だったのだ。
この公園は初めて訪れたらしい。
さっきエステの仕事をもらえそうだったのに、はっきり決心がつかなくて、サロン
から出てきてしまったのだった。こんな力のない手では、とてもマッサージなどできないし、
サロンにはやけに背中が脹らみ、羽根でも生えてきそうな男などがいて、なにか変な気がした。
それとも瘤なのだろうか。余分な脂肪や疲れを取るのがエステだとしても、瘤をとるのは
どうか。まして羽根などもぎたくない。そんな妄想をめぐらせて、にえきらずにドアをでて
街路に戻った。
しばらく大通りをぶらぶら歩いていた。
するとまた目につく女の人が奇妙な自転車でそばを走った。自転車にはとってつけたように、
キャラメルのようなお菓子の宣伝が描かれていた。
そのままだ。あのエステはオカシイ。
きっとふたり目のメッセージガール。自転車で過ぎてゆくところをみると、デッサンも
しっかりしていなかったらしく、女の人と自転車はブリキにのようにぎくしゃくして、
やがて走っているうちにばらばらと壊れてカケラになって散ってしまった。
この街にうまくとけ込めない。
気がつくとワタシはとても背の高い男の腕にもたれかかって歩いていた。
助けてほしいと、まといついている。肩も見えないほど背が高く、どんな顔なのかも
高くて見えないのに。そのことに気づいていながら見たことのない顔の腕にもたれていたので、
急に恥ずかしくなった。
こんななさけないワタシなのに、
きちんとした顔をもてなくても、余白のままの顔で黄色いワンピースを着て現れてきてくれたり、
まだ壊れそうな輪郭なのに、カッコ悪い宣伝用の自転車に乗って現れてきてくれたりする
メッセージガール。
恥ずかしさで、かっと頬に火がついた。すると火は頬に触れてる男の腕に燃え移った。
それまで男だと思っていたものは導火線のような配線の構図があり、仕掛け花火のように、火はそれを
伝って燃えてしまった。燃える火はやはり途中の肩あたりまでしかゆかない。構図の線はこれから
頭部にかかり、そこに目鼻をつけなくてはいけないのだった。
街路で仕掛け花火が燃えると、咲く火がきらきら輝いたあと、煙がゆらめき昇ってゆく。
この街で上をみたことはなかった。想像しなかった上はマンホールみたいに穴が開いているのか
と思ったら、煙がゆらゆらあがってゆく先はとても青かった。
煙を追ってずっと青い高さのなかを見送ってゆくと、閉じていたはずの薄い瞼が、
開いてしまっているのだった。
早い朝のなかだった。
カーテンを開ければ、窓の外で、青い澄んだ空のなかをきっと鳥が飛んでいる。」



[台風のなか]

10月9日
 午後5時30分なのにあたりは夜のように暗い。台風の厚い雲に覆われている。
激しい雨と強い風。
 きのう道を歩いていたら甘酸っぱいいい匂いがして、金木犀!と気付き思わず
あたりを見回した。金木犀は香りはするけれど姿がみえない。すこし歩いていると
ビルの庭に金木犀の木が並んで植えられていて、オレンジ色の細かな十字が葉の奥
に咲き乱れていた。道にもオレンジの十字がぱらぱら落ちている。秋の入り口を思う。
この雨の激しさではみな落ちてしまう。あの香りも無くなってしまう。窓の外では
救急車かだろうか、サイレンを鳴らして走ってゆく。郵便受けには夕刊があった。
こんな時でも・・。風が唸っている。巨大な龍が走り抜けるように。
 


[川のそば]

10月5日
 とても肌寒い雨の一日。川沿いにしだれている萩が桃色の霧のように終わろう
としている。萩というと古典にでてくる鄙びた庵の軒先に煙るように咲く風景を
思い描いてしまう。吉田兼好の虫愛ずる姫君なんかが住んでいそうな住まいとも
似合うかも知れない。栗が好きで栗ばかり食べている姫君も似合いそうだ。おも
いっきり趣のあるところには、すこし変わった元気さが顔をのぞかせて欲しい。

 食べるといえばこの前、ケーキ食べ放題、を目撃。コーヒーとサンドイッチを頼んだ
私の隣りで、フルーツとシフォンケーキの皿、モンブラン、リンゴのタルトのコンポート、
モカケーキ、と四種類次々食べていた。いちいち覚えている私もなんだけど、私の前から
いたからもっと食べているのかも知れない。バイキング用のではないケーキ。すごい。


[菜園の道]

10月1日
 さわやかな一日。湿度が低いと体も楽になる。ひさしぶりに母を散歩へ連れ出す。
雨の合間は貴重。いつも通らない道まで散歩コースを伸ばすと、小さな公園があった。
車椅子から降りてもらって歩くリハビリをする。公園は花壇のまわりの土の上に木を
細かく粉砕したものが敷いてあり、歩くと少し押されて沈む。しっかり腕をとっていれ
ば歩けるし、いつもと違う柔らかな足の感触もいいかも知れない。二周してベンチに
掛けて休んでいると、蚊に刺されてかゆかった。

 チェーホフの『かもめ』を読んだ。チェーホフのこの物語では、女優のニーナが
とてもよかった。ぎりぎりのところで死なないで生きる。わたしはカモメ、と狂気の縁に
立ちながらもバランスを保って生き抜いてゆく。チェーホフは若いニーナを殺さなかった。
シェイクスピアはオフェーリアを殺して川に浮かべたけれど、チェーホフは若い女性
を殺さず、言葉を奪わなかった、と知った。多和田葉子さんは語る「オフェーリアが
言葉を話すのは、ハイナー・ミュラーのハムレットの中だけ」。ハイナー・ミュラー
はドイツの劇作家で彼の短い戯曲「ハムレットマシーン」(未来社刊)は戦慄的。