今月へ

[2月の夕暮れ]



2月29日
 暖かい茜色に街路を染めてから、ゆっくり街に沈む。夕陽がちょうどビルとビルの間に落ち込む
ところだった。

[詩 窓へ向かって]


2月26日
 
   窓に向かって

 考えると、ワタシは心の上に建てられた家にいるのかもしれない。そっと床
の上に置いたピンポンのボールが、ころころころころ転がって隅のほうへ移動
してしまう、という傾いだ家のあることはよく耳にする。ワタシはピンポンの
ボールのように移動して窓を開けたと思ったら、いつのまにか気持ちが転がっ
て部屋の隅へ。クローゼットの扉の奥へ入ってしまいたくなっている。床はよ
く傾ぎ、いろいろな向きにぐらぐら傾ぎ、まるでレスキューのゴムボートに乗
っているみたいだ。果てのない海で救いあげられた溺れていた人のようだ。
 波を被って、レスキューのゴムボートで海を漂っていた。島影が遠くに見え
て、そこが近海であることはわかった。意識をしっかり持とうとする。でも誰
もいないボートのなかで、波がボートを打ってゆく音ばかりに永く囲まれていると
ワタシと言おうとしてもワタッ、シワッシワッ、タシタシタシッ、シシ、と波の
音に崩れてしまう。喉が渇いて痛く焼ける。やすみなく動いているのは水面だけ。
薄れた意識で見ていると、白いふやふやのビニール袋がクラゲのように流れてきて
ボートの縁に貼り付いた。透明な清涼飲料水のペットボトルが赤い雫を内側に
きらめかせながら、浮き沈みして、ボートのそばまで漂ってくる。昆布かなにかの
海草かと思ったら捨てられた七夕のくす玉のリボンが波にもまれて近づいてきた。
それらを間近に目にしたときだけ、ワタシはいます、とか、ワタシはすきです、
とか意識がはっきりする。
 ワタシは立ち上がる。揺れる床を波乗りするサーファーのようにバランスをと
って窓へゆく。窓ガラスから外をみると木の枝に花が咲いている。桃色のランプ
のような花。あれはカメリア。名前だって分かる。床はサーフボードじゃないのも
分かる。ならばあの、ワタシが崩れてぷかぷかしているときに来てくれた、白い
ビニール袋や、赤い雫のペットボトルや、七夕飾りのリボンは、何だったのだろう。
ワタシは大切なシンジツを、メッセージを取り逃してばかりいる。口をあけて
呼びかけけばよかった。ただしい呼び名てなくっても。渇いて火のように痛くても
喉を振るわせ、呼んでみればよかった。

                            (2月27日)




[Camellia]


2月25日
 木の春。たくさんの花をつけた椿は文字のとおり、いままさに木の春。葉を濡らす光は
きらめきやまない。

  
『死ぬまでにしたい10のこと』というタイトルの映画はスペイン・カナダ映画。
身も蓋もないタイトルはスペイン映画でよくみかける。この映画の監督はイザベル・コヘット。
『オール・アバウト・マイ・マザー』や『トーク・トゥー・ハー』の監督アルモバルドが制作
総指揮をしている。17歳で母親になったアンが病気のため2ヶ月の命と知ってから、はじめて
自分のために生きようとする。深夜のコーヒーショップでメモをとり初めて自分のしたいこと
を文字にする。1、2、3、・・なんて具体的でなんて若い。言葉になって並んでゆくことの
ひとつひとつの率直さに胸が打たれる。この映画のなかでこのメモのシーンほど大切なものは
ないとおもえる。人は言葉でできている、ということがてらいもなくやってくる。
 



[春の用意]



2月24日
 高い杉の木に二人登って枝を切っている。下では清掃車のような車が木の枝をゴミのように
車内へ巻き取って収集している。作業員の人が地上では枝を車に運ぶ。杉花粉はヒマラヤスギ
からも出るのだろうか。だとしたら剪定してもらうのは木のためばかりでなく人のためにもな
っている。

 歌人の大田美和さんから詩誌メモリーズの感想をいただいた。ありがとうございます。
 詩誌メモリーズ4号、まだ送っているところですが、ご希望の方、ご連絡いただければ
郵送します。

[朝の太陽、朝ごはんをもらった小学校の兎]



2月23日
 健康診断の関係で保健センターへ行った帰り、小学校の横を通りかかると、兎が
フェンスの向こう可愛い姿をあらわしていた。急いでカメラを取り出して撮る。撮って
いるときは気づかなかったけれど、ふと目をあげると兎のそばには世話をする係りの
女児が餌かなにかの入った容器を両手に持って立っていた。私は花粉症のマスクをして
帽子を被っていて、かなりあやしい姿なので、不審者と思って怖がらせてはいけないと
考え、目で笑って浅く頭を下げた。女の子も、驚いているような顔のまま、浅く頭を揺
らし挨拶を返してくれた。それで少しほっとする。変な人、と思っただろうけれど怖くは
ないだろう。こんな身近なところにも、凶悪な事件の緊張が影を落としてくる。世の中
の雰囲気が変ってしまっていることを感じた。


[鞍のような]


2月21日
 ときどきこのコーナーの感想をくださるあおばさん。あおばさんというとバイク。
そう思っていたところあおばさんが企画して即興詩集『浪速の三輪車』を作られた。
オート三輪とは懐かしい。インターネット投稿詩サイトのpoenique、即興詩投稿掲示版
でタイトルを出題して7人の人が「浪速の三輪車」の詩を書き投稿してきたところから
生まれた詩集という。斬新な生まれにびっくり。また、あおばさんのデジタル写真の
オート三輪のプリントなどが各詩に入っている。つまり、完全手作りプリント。根性
あります。いえ、出会いを大切にした愛情というべきでしょうか。
著者凸、あおば、Nacht Sieger、佐々宝砂、ちゃむ、芳賀梨花子、ピッピの方々。
 詩の数は少ないけれど、こうした過程でつくりたいから作るというところ、詩集の
イメージが変わってきました。そしてどの詩も楽しそうだ。それこそ乗って書いている。
いえオート三輪に乗せられてしまったか。おそるべし浪速の三輪車かつらぎ号。





[夕暮れ・アイコンタクト]


2月20日
 竹橋で「ヨハネス・イッテン」の展示をみる。色彩の分析だけでなく、
ニホンの南画にとても興味を持っていたことや、墨絵のような線で描いた百合
などもあり、墨の縦線で感情を表したものなどまるで細筆による書のようだった。
これほどくっきりと影響されていることに驚いてしまう。色彩分析の絵画と
対極のものへと晩年惹かれていったのはなぜだろう。
  

 夕暮れ、白鳥の二羽と目があった。首を傾げて見ているのは私だろうか
光るデジタルカメラだろうか。焦点を定めるときカメラから緑の細い光線が
対象へ延びる。白鳥はあれっと気になったのかも知れない。



[爪研ぎ]


2月18日
 ガリガリガリガリ、バッバッ、ガッガッガッ、バッバッバッバッバッバッ、バババババババッ。
爪研ぎ場なのだ。人はソファーとおもっているけれど。毛もたくさん付いてしまって、もう座れない。



[告げなかったけれど]


2月15日
  となりの女の子のストッキングがおもいきりデンセンしていた。告げなかった
けれど。こういうこと、なかなか言えない。気になったけれど。
  多和田葉子の『容疑者の夜行列車』をバッグにいれて歩いていたら、街でセール
をやっていた。ふとみると黄色い旗に「鉄道忘れ物品」と大きなゴチックで書いてあ
った。夜行列車で眠っていて、ハンブルグからパリにゆこうとしていた「わたし」が
国境で車掌に急に起こされ、「びっくりして記憶袋を床に落としてしまい、一瞬、自
分がどこにいるのかさえ分からなかった」というところを読んだばかりだったので、
「鉄道忘れ物品」に妙な袋がまぎれているかもしれないような、奇妙なゆらぎを感じ
くらりと一瞬、自分が今読んだ言葉と目にした言葉の境界で、どちらにいるのか分か
らなくなった。
 

[茶の香り]

2月14日
 ちょうど急須のなかへ陽が差しこんでいた。緑茶にお湯をそそいでいると湯気とともに
お茶の香りが乾いた鼻孔へ浸みてくる。細く針のようだったお茶の葉はゆるゆると広がり
はじめ、細やかな緑の色素と葉の味をお湯のなかに移し始める。匂いと味と緑の色が湯気
のなかからやってくる。


[まっているのですか]

2月12日
 アパートの階段にいるのは、二階の部屋の誰かが帰ってくるのを
まっているのですか。猫の目は写真を拡大してみると縦にほそくな
っていた。縦にほそいときは気分のいいとき。気に入った場所なの
だろう。

 あすは「香り匂い」のコラボレーション第三回目の詩・短歌を
書く日。大田美和さんも私も、明日は同じテーマへダッシュです。
    
(今回の詩は『歌壇』4月号に載ります。テーマは「キャベツ」
 で書きました。2月13日)


[ぼんやりと映る]

2月8日
 どういうものか、言葉について言葉で語ろうとすると、何度も書き直し
たくなって、読み直すたびに、このひとことは、別の言葉のほうが良くは
ないか、と気にかかり、何時間たっても書きあがらないような不安な気持ち
に襲われる。特に見知らぬ人の詩について書くとき、ニュアンスは伝わる
かしら、と心配になる。どこかで、どう読まれてもいいと開き直ることが
必要なのだろう。
 きのう『幸せになるためのイタリア語講座』という映画をみにいった。
初日なのでとても混雑していた。デンマークの映画は珍しい。一人一人の
あまりぱっとしない日常を淡々と追ってゆく前半はすこし沈んだ感じだった
けれど、そうした生活のなかからイタリア語講座に集まってくる人達の人間
関係が解ってくるにつれて、とても面白くなる。ユーモアがあって、ひかえ
めにロマンチックで、地味で、じわっと楽しい映画だった。とくべな照明を
使わないとか、いろいろルールのある撮り方らしい。手作り感があって
やさしい感じがした。


2月6日
 昨日の展望カフェに、お返事のメールを二ついただきました。
 一つは田代田さん。猫の写真などにはなにげない雰囲気があると、
展望カフェの写真には都会の雰囲気があると。ありがとうございます。
 もう一つは野村尚志さんより。キャロットタワーの女子高生の気持ち、
とてもよく分かります、と。僕も携帯に付いているカメラでならよく撮影
してます、と、野村さんの撮った携帯電話のカメラの映像を送ってくれま
した。野村さんの第一詩集『石英の夕刻』のタイトルの夕陽について思い巡ら
しました。

 ↑携帯電話のカメラの映像を送っていただたのは初めて。新鮮です。

 きょうは詩の合評会がありました。きょうの参加者は7人。
はじめての若い人がいらしてくれました。作品が多く読み切れなかった
ことなど残念でした。
 


[展望カフェで]
 

2月5日
 キャロットタワーの展望カフェへ寄ってみた。
 カメラの三脚を立てて、腰を屈め、時間をかけて窓の外を写真撮影している
初老の男の人のとなりで、片手で携帯電話をかかげ、窓へむけるミニスカート
の制服の高校生。彼女はすぐに撮り終わると携帯電話でメールを打ち始めた。
数分後には、外の映像は友達に届いているだろう。メディアはメッセージ…。
広がれ、繋がれ、浸透せよ…。マクルーハンの言葉がガラス窓を過ぎたような。


[飛ぶとき]


2月4日
 飛ぶときに鳥は月を見ることはあるのだろうか。
 このごろ詩誌を読んでいると、思いなおし、もう一度やってみよう、というベクトル
をいろいろな作品で目にする。閉塞感を書くひとも書くことで、もう一度やってみよう
という心になっているのかも知れない。



[日々のひとコマ、掃除して、水撒いて、買い物して]





2月1日
 家事をしていても。きょろきょろしている。能率はよくない。買い物の帰りに、
惑星直列のように猫直列の駐車所の横を通った。