今月へ [ロックのライブに行っていた頃]5月31日 ルースターズの大江慎也の声が好きだった。歪みと精神性のある奥深くとどく声。 ルースターズのことを知っている人はどれほどあるだろう。大江慎也の声を聞くまでロックが こんなに繊細でやわらかく、激しいけれど暴力的なものとはかけはなれているものだとは知ら なかった。大江さんは途中で精神的に歌えない状態になることがあった。そんなときも望みを つないでもう一度ステージに戻ってくれることを祈ったりしたライブだった。 新宿のロフト、渋谷のクロコダイル、渋谷公会堂、芝浦などへ行った。大江さんが脱退する前 の何年かと少しだけカムバックした頃のライブだった。 1988年5月の同人誌『卵座』の「からから」というあとがきコーナーで私はルースターズの ライブへ行ったこを「ナーバス・ナイト」として書いた。 「シバウラへ、ルースターズのコンサートを聞きにいってきた。はじめから美しい歪みを予感し 信奉している足取りだから、会場までの運河も船も廃港のように輝いていた。腐った水の濁りが 胸を甘い蜜のように流れた。だからギグがはじまる頃はすっかり体はONされている。数十台のモ ニターが眩しくロフトを発光させて、VISUALと音に被爆する。 「怒り」の顔が次々に映る。「拳の腕」をふりあげている。アジアの中東の欧州の様々な人の 怒りの顔がアップになってはじけてゆく。《セカイジュウノヒトビトガ ネムレナイヨルヲ ス ゴシテイル》ほつれたようなボーカルの声。リフレインが記憶に巻きつき深層にジンジン降りて ゆく。もやのかかった瞳を焼いてジュルジュル溶岩が流れ出す。霧のような体の奥から、はっき りとした結晶体が回転しながらのぼってくる。「怒」「怒」「怒」私は「怒りたかったのだ」。 記憶の古層で肺魚をつかまえ飲み込んだ「怒り」をすべて吐かせる。」 [八重山・生き物]
二匹の蝶
通り雨のあとのハイビスカス
灯りのような花
イラストのような模様の葉
鳴き声がまるで雅楽のメロディーのようで驚く たぶん鳩
ヤドカリがいたるところでうごめいている磯
青色珊瑚がみえた
餌の小魚は白く水とみわけがつかない
大きな海牛、いえナマコだろうか 5月27日 光文社の『沖縄的人生』を乗り継ぎの那覇空港で買った。上野千鶴子さんの「ヤマトンチュから見たオキナワ」 がおもしろい。表玄関から入るオキナワと裏口があって、ヤマト嫁の話やトートーメー相続の家父長制や不条理、 フィリピンからインドネシアまでの島伝いの広がりを「ヤポネシア」と読んだ島尾敏雄さんの視点のことなど、 読み応えがある。吉江真理子さんの「おばぁの島ハーブ」もオキナワの女性たちが閉鎖的な伝統を切り開いて作った 文化にふれている。ハーブはおいしい、健康、という範囲だけでなくフェミニズムの起こりと繋がっているという。こうした 地域の生活改善に奮闘した婦人会のひとりひとりの勇気からだと知る。たとえば沖縄の長寿村について。芭蕉布の生産活動と、 戦時下、洗骨廃止運動と火葬場設置運動という近代化運動がはじまったのは同じ地域だということ。ショックな記述がある。 「この生活改善運動の中心となったのは、洗骨という沖縄独特の風習(遺体を数年後に取り出し、肉を削り、骨を洗い清めて 瓶に入れ、亀甲墓に納めること。そのショックから精神に異常をきたす女性もいた)をもっぱら担ってきた女性たちであり、 婦人会だった。」という。「洗骨という風習の廃止と伝統織物の復興・・。そこには、合理性を求める進取の気風と、独自の 伝統文化を大切に守ろうとする、一見、相矛盾するふたつのベクトルが共存している。」「たぶん、このふたつは沖縄の文化 としてワンセットで、女性たちに押しつけられてきたものだったと思う。それを自分たちで選びなおし、取捨選択しようとする しなやかな知性と勇気。」 この柔軟性のあるメンタリティは、ぜひ見習いたいものの一つだ。 男性優位社会でコトはそう簡単ではなかったと書かれているが、女性が生きやすい社会をいち早く切り開いてきた、沖縄の女性 のしたたかでしなやかな精神性は、ほんとうに、勇気づけられる。 [八重山・人々]
5月25日 わすれがたい人々。一人とデジカメの旅だったがメモリーカードをもっと用意しておけばよかった。 カメラをむけるとわざとおどけた顔のリアクションで答えてくれた島唄の店の人。 西表島から由布島まで水牛車で渡るとき三味線で島唄を歌う72才の水牛車の主。 竹富島の石垣のあいだをゆく水牛車の若い主はthe Boom が作ってくれた竹富島の歌を披露。 八重山フェリーのとなりの席に乗った土地の人。 石垣市の路地をあるいていたら理容店があった。カメラいいですかとジェスチャーするとピースサインで笑ってくれた主。 [石垣島へ]
5月16日から19日まで一人旅。石垣島へゆき八重山観光をしてきました。 [竹富島へ]
信じられない海の青い色。石垣島からフェリーで10分。竹富島へゆく。石垣市は都市。石垣の 積んである家は見えない。 [竹富島・コンドイビーチ]
珊瑚の砂は真っ白。海牛がいたるところにいる。引き潮の浜はどこまでいっても膝までしか水がない。 水着になって少し漬かる。あまり人もいない。静か。まぶしい光。強い陽差し。一人だけでも淋しくない。 [竹富島の石垣の町並]
町は観光客しか歩いていない。水牛車に乗って観光をしたあと、汗だくになって町を歩く。 静かな赤瓦の家を見て回る。人口は230人という。あまり店もなく、鶏や水牛や、レンタサイクル で観光する人達とすれ違う。 [月桃が咲いている]
これは月桃、げっとう、という花だと教わる。きれいな名前。 [御嶽・うたき]
竹富島にいくつかある御嶽の一つ。白い町中の道を少し入って、木々の枝の下の細道をゆくと こじんまりとした庭のような空間に出た。静かで木漏れ日がやさしい。どこか神聖な雰囲気が 漂うのを感じる。庭を囲むように高い木々が枝だをのばしているからか、涼しい。今回の旅行 で最も感動したのはこの御嶽へ歩いてはいったことだった。これといったモノは何もないけれ ど、なぜか心打たれる雰囲気に捉えられた。ふと足元を見ると、砂が竹箒で掃き清められてい る跡が残っていた。ここでユタと町の人が祈りを捧げるのだろう。蝋燭が溶けかかって供えられ ていた。 [石垣島・川平湾 かびら]
非常に本数の少ない路線バスでたどりつく。グラスボードにのって珊瑚をみる。青色珊瑚には目を みはる。原色の魚も美しい。グラスボードには他の観光客と相乗りになる。それが酒くさい初老の おじさん5人でにぎやかにはしゃいでいて、臭くて参った。珊瑚はうつくしかったけれど。 [石垣島の猫]
西表山猫の血が入っていそうな精悍な顔。台風が近づいていて、帰りの飛行機が心配。 でも石垣島の人たちはすこしもさわがずのんびりしている。ホテルの人も、ぜんぜん配慮してくれない。 テレビも台風情報を流さない。定刻の天気予報の番組で台風について触れるだけだった。こんな時、一人 は心細い。翌朝早く起きてANAに電話して、便の変更をお願いした。通常は変更できないチケットだった けれど、台風なので特別一回限りの変更をしてくれた。ANAの特別の配慮に感謝。夕方の便だったけれど お昼にフライトできた。気流の関係で飛行機は少し揺れた。雲がすごく出ていて形の変化が面白かった。 [左へ曲がります]
5月15日 クマが呼びかける。左へ曲がります。小さい子に気をつけてもらうための苦肉の策かもしれない。 淵上熊太郎さんのCD詩集『夜の森』をお送りいただいた。音楽と読む声と動く文字のデザインがある 画期的な詩集。音、言葉、デザインが短い言葉とぴったり。音楽を聴く感じに近い。もっと言葉をたくさん 読みたい気持ちもするが、読むというより味わうものなのかもしれない。音はアジアの町のノイズだったり ジャズだったり環境っぽいのだとかいろいろでとてもセンスがよかった。 夏目美智子さん『朗読の日』 成島亜紀さん『ベビーピンクの機関銃』 中谷アキコさんが改名してます。 森川雅美さん『くるぶしのふかい湖』 お送りくださってありがとうございます。 [着物自転車]
5月12日 郵便局で50円切手をかって歩いていると、舗道をびゅんッと着物が通り過ぎていった。 えっ、と振り向きざま、片手に持っていたデジカメで撮る。一瞬のことだった。急いでいた のだきっと。毅然と胸を張る着物自転車はかっこいい。 [水面]
5月11日 やわらかく反射する水面の木々の緑。ホームセンターの側に流れる川には いつもほっとする。水音がさらさら聞こえる。 [ハーブティー]
5月8日 灰皿町 布村浩一の家「喫茶店」にリンクしました。 布村さんの作品をエアパークにいただいてます。 リンクしていたつもりで、確かめたらしてなかった。遅くなってごめんなさい。 きょうは「香り・匂い」コラボレーションの書く日でした。今回のは「歌壇」用です。 大田さんの短歌も私の詩も今回は「ハープ」の香りがテーマです。 きょうはカモミール・ティーを入れて飲みました。 [飛ぶ]
5月7日 ジャンルを横断する画期的なサイト「Declinaison」が美術評論家の大嶋浩さんによって開かれています。 評論、写真、イラスト、などなど、これからも増殖します。コラボもどんどんあって目が離せません。 未知の方ですがガイガーカウンタンカの青木レフさんがリンクしてくださった。なんと写真系で。 私からもリンクを張りました。 [あと何度知るだろう]
5月6日 塀の上に顔をだしていた青い花がささやく。あと何度知るだろう。水の雫に濡れること。 暗くなって闇になってゆっくりと明るくなって光を浴び、しだいにまた暗くなってゆく波。 映画「ビタースウィート」がDVDになる。2003年9月のメモリーズでも触れたドイツの少女達の映画。 17才の女の子ステフィとカティは子供の頃からの親友で男の子のことや何もかも包み隠さず話せる仲。 ぬいぐるみを抱きしめ、ポケットにはコンドーム。アンバランスな時代には親友がどうしても必要なのだ。 でもステフィが父の不倫を見て、相手の女性の娘を罠に陥れ、罰しようとするところから、危険な世界に 足を踏み入れてしまう。ティーンエイジャーが晒されているこの世の中の危険と困難を、もう一度はっきり 見るべきだ。マリア監督は、多くの少女達に取材して話してもらった数々の実話から映画を作っている。 [埋もれる]
5月3日 おかめ蔦に這われ埋もれる。乗り捨てられたままなのか、環七の舗道なのに、誰も手をつけない。 持ってゆく人もいない。 [草の蔓]
5月2日 また注意されてしまった。ビルのなかで写真を撮っていると警備員の人が そおっと近づいてきて、撮影は遠慮してくださいとにこやかに耳打ちする。 きちっと制服制帽で。なんか、このごろは窮屈になってきてしまった。 ●映画・鈴木志郎康さんの「極私的に臨界2003」 イメージフォーラム・フェスティバルのDプログラムで鈴木志郎康さんの「極私的に臨界2003」 をみる。新潟の農家の敷地に海老塚さんの鉄板の彫刻を設置する準備、設置する 作業現場、鉄の彫刻作品が水と風と時間によって変化している展示後、という ふうに鈴木志郎康さんがわざわざ新潟まで訪れて撮っている。その新潟の光景と 自宅の庭の草や木の茂った一郭の映像が頻繁に往復する。庭には朝顔が花を咲かせる夏、 枯れ始める頃、すっかり枯れた蔓に朝顔の種がみっしりつまっている秋、などが 経過する。ナレーションでこの庭は心の領域、と語られる。枯れた紫陽花の枝から 芽が出、緑の新芽となり、葉が少しづつ生えて成長してゆく映像などは、しっかりと 私たちは時間の中を生きていることを伝え、同時に花が枯れて死ぬことと、は人の 開花や人の衰退、という人生の時間の変化へとイメージを進める。 私は、朝顔がみっしりと種を実らせている細く枯れたしおしおした蔓が、印象深かった。 枯れたようすとしっかりした種。そこへ鈴木志郎康さんという表現者が、若い人の表現へ 思い入れが強くなる、と語った。私はこの蔓は表現という花を咲かせるアサガオなのだと思った。 蔓はメタな蔓となり、その蔓は表現を支えるために生きて葉を伸ばし蔓をのばしした 言葉の仕事の蔓のように見えてきた。だからその蔓は思考の言葉で、言葉を通わせ道筋を つけた。ではあのみっしりとした種はなにだろうとじっと見ていた。すると、海老塚さん の鉄の彫刻を設置する海老塚さんと学生さんがスコップで土を掘っていた。そして鉄の 作品は地面に敷かれ、水や風にさらされ錆びて変化して、そばに生えていた栗の木 の葉に降られ、あたりと溶けこんでいた。作品は辺りに入って開かれていた。辺りとはそくで 暮らす人のいる環境。 そして鈴木志郎康さんが、表現には表現の中に閉じられたものと、開かれたものがある、と語った。 私は、唐突にそうか、と思った。 アサガオの蔓は表現者のスピリットの化身のようだから、あの蔓は世界に根を張って伸びて いて、そこから咲いた花が、枯れても種をむすんだのだから、あの種は学生さんへ、次の 表現のために渡されなければいけない、と。そのとき種はあの丸い殻を開いて土へ落ちる。 開く?そう開く。種の殻が開く。思考の言葉が開いて思考が土へ落ちる。若い身体へ言葉が 入る。身体の土へアサガオの種が落ちる。そうじゃなくちゃいけない。 土に置かれて開いていた海老塚さんのあの大きな鉄板の彫刻作品は、まるで開かれた一つぶの種 のようだ。学生や見に来た人の誰かの身体にはいるのだろう。 鈴木志郎康さんの種は映画として、詩の言葉として、表現についての授業の言葉として、落ち 続けている。背筋がのびる思いがする。 5月3日4日にDプログラム 横浜美術館 5月5日にDプログラム 新宿パークタワーホール 5月11日14日にDプログラム 京都ドイツ文化センター