今月へ
[雨あがり]
6月30日
渋谷のユーロスペースで『子猫をお願い』を見る。
『吠える犬は噛まない』のペ・ドゥナが独特のユーモアと繊細さと図太さが
好きなのだけれど、20才の女子5人の青春映画として、細かいところまで本音が
でていてとてもよかった。『猟奇的な彼女』をこえて韓国女性が選んだ最高の映画、
第一位、というのも納得。元気で活発で友情を求めるこの世代の韓国の
女子が、一人一人か抱えている生きづらさまで、すっかりその目線ででてくるから、
すごく分かる。高校を卒業後、親友だった5人は友情が消えないようにときどき
集まって会っている。ケータイで話したり、メールしたりして、繋がりあっている
シーンがいい。画面にメールのハングルが大きく流れ、彼女たちの部屋やバイト先
やオフィスをつないでゆく。ケータイと緊密な彼女達らしい。
赤いコートを鎧にして、わたしはみんなとは違うの、と証券会社へ通うへジュ。
留学を希望したが女の教育には金をかけたくない父親に拒否され、父親の店で
手伝わされ、家族のあいだで居場所のないテヒ。
テキスタイルを勉強したいが職場が倒産し無職になって、祖父母と貧しさの
なかにいるジヨン。など、それぞれ直面するものが違う彼女たちが、成長して
ゆく過程が生き生きと描かれている。
私は映画を見たあと、言葉でも読みたくなって本屋で文庫の「子猫をお願い」を
買った。脚本のチョン・ジェウンは女性だった。やはりいいはずだと思った。
直球でシンプルに今の事態と向き合ったシーンをつぎつぎ出してくる。
[ヤア、という]
6月28日
駒沢公園の水たまりへ舞い降りて、あたりを伺っている小鳥がいた。
水たまりには何が映るかいつも覗いてしまう。きょうもなんとなく水たまり
を見ていた。土のある所は公園くらいしかないけれど、水たまりはアスファルトの
上にも銀行の玄関のタイルにも出現する。で、土の水たまりらしくきょうは小鳥を
呼び寄せていた。
「一口、お水が飲みたいげれどだいじょうぶかな」とそんな感じ。
水たまりと周りを交互にみて、
ついに、飲んだ。土の水はおいしいのかも知れない。ミネラルが入っていたりするから
体にもいい。鳥や動物は自然にそういうことが分かっているみたいだ。でもこの小鳥、
デジカメを向けても怖がらない。ふつうなら飛び立ってしまうのに。デジカメだと
狙う姿勢にならないからかも知れない。子どもの頃、小鳥を飼っていたことがあって
小鳥をみると呼びかけたい気持ちがふとやってくる。以前、カメラで撮ることを撃つ
という比喩でいっていたけれど、違和感があった。デジタルカメラを持つようになって
姿勢も撃たなくてすむので嬉しい。小鳥へよびかけの言葉をかけずにデジカメで、ヤア、
と言う。
[パカッ]
6月26日
ペリカンみたいに口を開いてしまった。そのときパカッと音がしたかどうか。
もうすぐ夜になる。うすい黄緑色の反射が夜の風にゆらゆらゆれたら、ちょっと
不思議で楽しい。
[蛇イチゴ]
6月24日
どうしてこのような名前になったのだろう。可愛い赤い実なのに。
「蛇イチゴ」という名前の映画がある。28才の女性監督西川美和のホームドラマ。
つみきみほ、宮迫博之の兄妹のドラマでもあるけれど、何がスゴイかといって、これほど
いまのニホンの家庭の毒を、おおげさでなくリアルに描いている映画はかつて無かった。
いかにも普通の家なのが迫力がある。勘当同然の詐欺師の兄が、ひょっこり家に帰ってきて、
家をかきましてしまうのだが、うわべだけは幸せそうにしいてる家庭が破られ、毒が吹き
出すとき、家のなかの殺意が、ごく納得できる出方で現れてくる。戦争映画の迫力という
のがあるが、普通の暮らしも戦争映画ほど迫力がある。詐欺師の兄ととぼけている父が、
ブラックユーモアを湛えて、絶妙にホラーでなくホームドラマとなっている。ホラーになら
ないけれど、かなりホラーなのが家庭の中。的を射ている。
[雲のスプレー]
6月20日
遠くから台風が接近している。風がとても早く、空には不思議な雲が浮く。
まるでスプレーで吹き付けて描いたように、雲らしくないタッチをしている。
なんだか楽しい。
[手を洗う]
6月17日
ポンプの取っ手を握って押すと水が出た。この井戸はまだ生きている。
水の途切れないうちに両手を浸し手を洗った。
映画『深呼吸の必要』を見る。とても良かった。
沖縄の離島へ行ってサトウキビを刈る「きび狩り隊」のツアーで集まった7人の
若い男女が過ごす35日間が映される。
何かから逃れるようにやってきた若者たちは、始めはひどくぎくしゃくしている。
それが炎天下、さとうきび狩りの過酷な労働の日々を通して、かけがえのない一
体感をえてゆく。彼らを迎える農家のおじいとおばあの、言葉すくない暖かさと
包容力が絶品だった。見渡す限りのさとうきび畑。3メートルもある植物を一本
一本手作業で葉を削ぎ落とし、穂先と根本を叩き切ってさとうきびの棒にしてゆくのは
見ていても気が遠くなるほどの作業。映画はもくもくときび狩りする7人の働く
ようすを撮ってゆく。さまざまなドラマやアクシデントや、おじいとおばあの家の食事の
おいしそうな様子もさることながら、畑仕事のドキュメンタリーのような時間が
迫力があった。決められた日までに全部刈らないと、おじいとおばあの家計が大変な
ことになる。そのことをホントに肌身に感じるようになってからの7人たちの
心の動きが美しかった。
[ベリーだ、]
6月13日
住宅と住宅の間の狭い道を歩いていて、何気なく道に伸びている枝をみた。
たくさん丸い実がついている。よくみるとやわらかな果皮がつぶつぶしている。ベリーだ。
こんなところでこんなにベリーがなっているなんて。ぱっと緑の木々に覆われるような気がした。
いらいらしてしまったり、すっきりしないことや、なげつけられた言葉の澱が、ぱっと切り
離されてゆく。撮ってさえいれば、何度でも立ち返えれる。きっと、危うい縁、渡りきって。
[押さえている]
6月12日
地面に横たわったり寝ころんだりしている猫をみると、正気が戻る。
地上に押さえてもらっているような気がする。すると、そのまえは正気
ではなかったのか、というと普通にしていた。でも・・というところが
あり、やっかい。
今井義行さんの詩集『ほたるの光』。力作。手紙のようなところもあり
私は読む者として適役だったかどうか問われるような厳しさを感じた。言葉
について詳しい詩人にしか書けない詩だと思う。一つ一つの詩が書かれる内
容をくっきりできる言葉形を形成している。今井さんは、でもそれは内容を
最高にピュアにするために全身全霊で言葉を探し、形としたからだと思う。
ピュアに感じたのではなく、ピュアに詩の言葉の形を求めた詩集だと思った。
[雨歩き]
6月7日
曇り空を撮ろうとして歩きはじめた。雨が傘にぱらぱら響く。公園までのゆけば
広い曇り空があるとおもって歩いていると、草むらの野良猫や、コインランドリーの緑色
に濁った水槽の巨大金魚や、紫になり損ねた紫陽花の花や、葉についた水滴の思わぬ明るさ
に出会った。嫌な不安なことが胸を重くして悪夢を見たあとだったから、私は曇り空を撮り
たいのだと思っていた。でも、一歩、雨歩きを始めると、そんなことは頭のなかのことで、
水滴はヒカリ、花は瑞々しく、曇った空の雨雲は幾重にも雲を流し、ふくらみ、明暗の深い
コントラストでみあきないほど惹き込むばかりだった。自然は気持ちなんかと関係なく、い
まなのだった。そのとき雨粒が水たまりに輪を描き、いつまでも水面を揺らしつづけ、水た
まりに目を奪われた。水たまりのそばを歩く。呼吸が楽になる。私は知っている。水たまり
のことを。生まれて歩きだしたときから水たまりのそばを歩いてきているから。