Memories ここでは日々のなかで気付いたことをなどを載せてゆきます。
2010年 [雨上がり]   3月10日 昼過ぎに小雨が上がった。道路には水溜まり。見ていると青空へ落ちてゆく。光の方へ。  暗闇に覆われていると体が暗くなる。辛さで痛くなる。光を望むのは私だろうか体だろうか。 [記憶に溶け込む] 3月7日 気温の低い朝、光のなかでうつむいて咲く椿はいま記憶に溶け込むところ。 「もーあしび」の朗読会が5月29日に決まりました。 新宿眼科画廊です。

山田消児さんの評論『短歌が人を騙すとき』を読んでいて、
作者と作品中の「私」の関係が、短歌では通常作者本人と結びつけて読まれ
ているということを知る。作品の「私」=作者と読まれてしまうのは、苦しいこと
ではないだろうか。フィクションとしての「私」、を短歌に取り入れてまもない
ようすは、穂村弘論に詳しくある。



[鑑賞者に感謝]
3月4日
うつうつとしていました。この一枚という写真がみつけてもみつけても
見つからないのです。CDやDVDを何枚開いても、肩がまた痛くなっても。
ためしにプリントしたら、各色のインクが一つずつどんどん終わって
買いにいったら近くになくて、渋谷のビックカメラまでゆくはめに。
とても高い。高いです。10年使ったプリンターが壊れて新しいのを
購入したのですがこんなにランニングコストがかかるなんて。絶句です。
ある色は渋谷になくて、新宿のビックカメラへいってやっとありました。
時間もかかる。うー。
そんなとき、
ミクシィ経由で知りました。マイミクのゆういちさんが通路の詩と写真展を
見にいってくれたとき、ちょうど先客がいて40代くらいの女性が見ていた
ということです。すると何を見ているのかと30代くらいのカップルが加わって
一つ一つ見ていってくれたということです。励みになります。
ゆういちさんは「いつか見た夢のように 水のなかを滑ってゆく」を
気に入ってくださった。ありがとうございました。


お知らせ
・土曜美術社『詩と思想』3月号、巻頭詩に私の詩「写真」が載りました。
これは特集「百科詩典」とういテーマで名詞のタイトルをつけて
詩を書くということを100人が行った特集です。
書店でみかけたら、お手に取ってみてください。

・野木京子さん達の詩誌『スーハ!』6号の特集「私の街角」に写真とエッセイで
参加しました。同人もゲストもみな自分で取った街角の写真を載せ、エッセイを
書いてます。特別な街角はみな記憶と深く結びついているのが発見でした。



[指先の風]

2月28日
どこででも指先で風にふれることができる。
おもいっきり吸い込んで息を吐く、何度か繰り返す。
体のなかを風が通ってゆく。

 バンクーバーオリンピック、もうすぐ閉幕ですね。
私はフィギュア・スケートの高橋大輔のフリーが最も好きでした。
フェデリコ・フェリーニ監督の映画「道」は、
旅廻りの大道芸人ザンパーノの無骨さと、ジュリエッタ・マシーナ演じる
ジェルソミーナの純粋さと素朴さが、切なく胸を振るわせる物語でした。
あの世界がスケートでこんなに表現されるなんて、ほんとうに驚きました。
何度も見たくなります。
 


[2002-2003の頃はデジタル写真と言っていた・小林のりおキッチンコラボレーション]


2月23日
7、8年前にはデジタルカメラの写真のことをデジタル写真と言っていた。
画面はウェブで写真のコラボレーションを率先して行っていた小林のりおさんの
「デジタルキッチン/キッチンコラボレーション」の投稿画面。写真とタイトルは別にあった。
小林のりおさん以前は、ウェブで写真のコラボをする人はいなかったので創始者になる。
写真が大きく変わろうとしていた時期だった。それはウェブとともに写真に限らず
表現者が一歩踏みだそうと模索していた時期。
私は、その画期的な開放感に惹かれいてた。日々更新されるエンドレスのコラボの伴走
をしながら、表現の自由を直感し、私も参加させていただいた。
写真と詩の狭間に身を乗り出すきっかになった出来事でした。

maki [tea]2/21の投稿は、朝に入れた緑茶の急須にまどからの光が差し込んだ光景。





[言葉と写真]

2月17日
 私の中の別々の扉を開けて、現れてきた詩と写真について、
ふたつの言葉と捉えたらどうだろうか。詩の言葉と、写真の言葉あるいは声。
もちろん写真は言葉ではないし、言葉でおきかえられない映像の本質をもっている。
にもかかわらずそこには詩と肉薄するような言葉化する以前の詩の言葉が声が聞こえる。
多和田葉子の『エクソホニー 母語の外へ出る旅』を読んでいて、こんな文章に出会った。


 「わたしはバイリンガルで育ったわけではないが、頭の中にある
二つの言語が互いに邪魔しあって、何もしないでいると、日本語が
歪み、ドイツ語がほつれてくる危機感を絶えず感じながら生きている。
放っておくと、わたしの日本語は平均的な日本人の日本語以下、そして
わたしのドイツ語は平均的なドイツ人のドイツ語以下ということになっ
てしまう。その代わり、毎日両方の言語を意識的かつ情熱的に耕して
いると、相互刺激のおかげで、どちらの言語も、単元語時代とは
比較にならない精密さと表現力を獲得していくことが分かった」

ドイツ語と日本語の二つの言葉で同時に同じ小説を書いてゆくことを
実践している多和田さんならではの手応えを書かれていてはっとする内容だ。
こうした危機感は私にとっては詩と写真の間に走っている。
二つの言語を毎日耕すことの厳しさは想像を超えるだろう。
詩と写真、を二つの言葉というなら私はどれだけこの厳しさに耐えて
ゆけるだろうか。耕してゆけるだろうか。




[ポエムコンシェルジュの選んだ一篇、に選ばれる]
2月15日
 ミクシイ経由でイダヅカマコトさんからメールをいただきました。
毎日! 一篇の詩を取り上げるほぼ日刊のブログ、「ポエムコンシェルジュが選んだ一篇」
に詩集『青い影 緑の光』から「どの手がすきか」が選ばれました。
日々、興味深い更新があります。吉原幸子の詩もあり、ポエムコンシェルジュ
という想いが形になってゆきつつあるブログのようです。

 昨日から腰痛。せっかく体調戻ってきたのに。
 コルセットしてます。・・お風呂の中で咳をしたらなってしまつた! ナンデ?


[リンクや感謝]

2月11日
トルタウェブ
ブログとは別にあるトルタウェブと相互リンクしました。

詩誌「ひょうたん」39号40号を水嶋きょうこさんから送っていただいた。
充実した内容が読み応えあります。
森ミキエ詩集『沿線植物』の川口晴美さんの批評がおもしろい。ヨン様!とは。


通路の詩と写真の展示に、お寄りくださった皆さん。ありがとうございます。
野木京子さん、平田俊子さん、下関から上京のときに寄ってくださった長谷部奈美江さん
ご感想をお送りくださってありがとうございました。平田さんからは小説『私の赤くて
柔らかな部分』をいただきました。郊外の個性ある食堂がでてきてかもめ食堂のように
関係がうまれておもしろい小説でした。ありがとうございました。
また詩のコミュニティ「なにぬねの?」の風の族さん。静岡から、感謝です。
感想もありがとうございました。

[たのしい写真展 永沼敦子]
2月9日
 まだいってないのです。
でもとてもたのしそうな展示のようすが永沼敦子さんのブログにあります。
切り紙の蝶やなにかがぶらぶらしてたり、部屋の角を写真が消していたり。
「人間が言葉を使い始める前、世界はどのようにつながっていたのだろう」
というまなざし、についていろいろ見てきたい。
ガーディアン・ガーデンの永沼敦子展『目くばせ』



[葉の裏に咲く/ブリングル御田さんの詩集『次ぎ曲がります』]

2月7日
 まるで陽差しにあたりたくないように葉裏に花開く椿。鳥にたべられないように
なのだろうか。枝のしたにくぐって赤い光をみる。

 ブリングル御田さんの第一詩集『次ぎ曲がります』を読む。
 母体の体感や詩人母のまなざしが言葉の勢いにのって、あっけらかんと出てきて
のうのうと詩に収まってしまった作品をこれまで読んだことがないと思う。おもしろい。
詩「にもの」はむすこがじゃがいものにものになる、と言うから母は私はあなたにとって
は何か、という実は厳しい質問を、かーさんはなんだろう、とサラッとむすこにたずねる。
そして姉はあなたにとっては何かという実は厳しい質問を、かさねている。
あたりまえの日常としてこどもとのおしゃべりのおもしろさから書いている
けれど家族関係図になっている。そのところは作者は意識しているが、
それが実は厳しい質問だということはあまり意識してないのではないか。
その家庭の信頼が今回はうまく作用しているようだ。
詩「冬虫夏草」は「わたしからのびた草をあなたにひきぬかせた/
根と共にふたつの乳房と子宮まで/ずるり引き抜かれていく」という体感が
気持ちのよいほど共感できる。「あなた」に「あらかたひっこぬかれて」「とても楽チン」
になってしまえるしたたかさ。言葉化を手に入れられてきた自信がかいま見られる。
また、いくら信頼といっても個としての違和感はある。少しずつ狂気が現れ出る
詩「でかけてきます」が一冊のなかでもっともゾッとする。
信頼と狂気のミックスがこれからの作者の鉱脈か、とおもったりする。
 

[季刊びーぐる6号]
2月4日
 びーぐるが出ました。「アンケート・異境の詩」で参加してます。
「写真、詩への水門」書店で見かけたらお手にとっていただければ幸いです。
たわだようこさんの詩は横浜のパフォーマンスで実際に聞いたもの。
ここからずっと先まで詩の言葉は続いていて、これは冒頭の詩。
たわださんは、名前をひらがなにして詩を発表するようです。
目次


[雪で思い出すクリーム]

ゆっくりと溶けて水にかえってゆく


花びらをのせている さっきまでは雪だったこまかな氷のつぶつぶ


あの花と雪の色彩からすうーと遠くの記憶へ滑って
ジャムとクリームを思い出した。
伊豆のテディベア博物館のティールームでスコーンを頼んだらついてきた
クリーム。

冷たさの方へいってもよかったし、白の風景へいってもよかったのだけれど。



[歌っている/もーあしびは収穫期]

1月29日
 透き通る声で歌っている。姿が花の色や形、すべてが歌。
 夫の仕事の撮影の手伝いでお台場へ行って出会った花です。

「もーあしび」20号を読んでから、呉生さんの生々しいはずの手術台に
のってからの意識が、幾重にもまなざしの意識で織られていること、緊張と
不安のあいだをユーモアの光が織っていることに、人ってそうなのだ、と
いう目が覚めるようなしなやかさとことばの切実を受け取った。

「もーあしび」はいま収穫が多く、五十嵐倫子さんが詩集『トリドリの夜』
森ミキエさんが詩集『沿線植物』、渡辺十絲子さんが川口晴美さんと
言葉と詩の教本『ことばを深呼吸』(川口さんは詩集『半島の地図』)を刊行している。

そんななか、川上亜紀さんは『グリーン・カルテ』と
いう小説を刊行。そこでも長期の入院の病室のこまごまとした
まなざしや、同室の患者の関心と自分の関心の距離や、治療のめんどうな
作業を毎日しなくてはならない中に、紛れ込むおかしみが、意識=言葉
の触手によってくすぐられ、したたかな入院風景がうまれている。
 ともに病からひらけているものを読みながら、言葉の行くところ行きたいところ
を進ませる力に手を引かれながら、さまざまな厚みのある時間を共にすごした。
「もーあしび」のブリングル御田さんは第一詩集『次ぎ曲がります』を出されて
いる。こちらは言葉の勢いに引かれて読もう。

私も今年は新詩集を出します!


[モーアシビ20号/トルタとリンク/詩と写真展file.6]

1月22日

白鳥信也さん主宰の総合誌「モーアシビ」20号が出来上がりました。
20号記念で、特集「最近気になること、好きなもの」のコーナーが
あります。ご購入希望の方はご連絡ください。頒価500円です。
よろしければ年間購読もどうぞ。
私は特集と詩「月の瞳」+写真で参加してます。

いまトルタは活気ある若手の詩のグループとして注目してます。
河野聡子さんが主に運営するトルタブログとリンクしました。
ことばのアート、バーバル・アートという視点でひろくトルタブログは
開かれて興味深いです。

通路の「詩と写真展」file.6 の様子です。
和紙をアクリルに入れたので、通路が広く感じられて別の空間になりました。
ぜひ、お立ち寄りください。
(通路の隣は水出しコーヒー店どんぱ、向かいは
チョコレートショップです)

搬入はやはり痛い肩にきました。少し肩が良くなったから、気になって
いた掛け替えを行ったのです。新作はまだ肩が辛くて、映像を選ぶこと
ができないので、昨年のパリ展のを展示しました。




[ポエニークの詩誌評]

1月14日
ポエニークの4wheelsで詩誌評がアップされました。

今年初のアップです。これを書いていた新年のろこはあまり体調がよくなくて
批評が短めになっております。


[わたしもいます]

1月10日
 いつもシロばりだったのでクロの姿も登場させます。
ちょっとメタボぎみですけど、元気です。
 このところつづけて近所の人などに、猫ちゃんが子供ですね、
と言われて、そうなんです、と答えたのですが、あなたには子供が
いないけれどカワイイ猫がいるから寂しくないですねという
思いやりなのはわかるけれど、やっぱり、そうなんですと
いいながら、違和感が。カワイイけどね。やっぱりベットです。
子供というほどでは。いえ人間じゃなくて動物だからこそ
いっしょにいていいところがたくさんあるのです。比べられないです。



[飼い猫は見た]

1月8日
 いったい何を見られてしまったのだろう。
 掃除をしているところだろうか。ミカンをたべてるところだろうか。
洗い物をしている背中かもしれない。朝だったらショウガをすりおろして
いるところかもしれない。ショウガ汁に蜂蜜をいれてお湯でわって飲むと
体温が高めに維持されるらしいから、なるべく作るようにしたい。

もうすぐポエニークの詩誌評がアップされると思います。
アップされたらまたリンクを張ります。

遅ればせながら、『ポエトロゴス2』を読んでいます。
トルタの人達と瀬尾育生さんが書いている。
首都大学東京現代詩センター発行となっているので瀬尾さんが教えている学生達と
発行されたのだ。渋野義一さんの「〈セカイ系〉論」は読みたかったセカイ系とは、
ということについて書かれていて示唆が多いです。
 


[朝の月/鏑木清方展/DOMANI・明日展]

1月6日
 きょうは品川へ肩の治療に行きました。家の近くの治療院は頻繁に通って
いるのですが、痛みをとってくれて、即元気になれるのは品川の治療院なのです。

 で、どうも空をみてしまうのです。
この月は朝7時50分頃にでていた月です。
 帰りに恵比寿から六本木に出て友達にもらったチケットで鏑木清方展を見ました。
サントリー美術館が10時に開くとすぐに入館。97パーセント女性が観覧してます。
「朝涼」が特に心に残りました。朝の月が淡い色調の草色のような青のような空に浮かび
草々が伸びやかに繁る中に睡蓮の花。すずしそうな着物の少女が、ゆったりと歩いていて
ノスタルジックでさわやなか甘さに、朝の月が夢幻を添えているような、そんな絵でした。
もうひとつは盲目になった滝沢馬琴が盲目の息子の嫁に文を教えている絵が凄かったです。
暗めの畳の部屋に吸い込まれるような迫力で、皺寄った馬琴の眉間や目、皺寄った手指、
きりっとしたまなざしの若い嫁の顔がシーンを深めていました。
 そして、やはり治療が効いたのでしょう。歩いて国立新美術館へ行ってみることにしました。
「DOMANI・明日展」をみました。コミュニケーションや他者のなかの自分の位置をつねに意識
している呉亜沙さんの絵に惹かれました。他者を兎で現しているのが不思議です。壁に俯瞰した
街の絵が並んでいて、それぞれに黒い兎がちらほらいるのは童話風でもあるけれど、「私」が
雲にのった少女の姿で天井から中空に吊られていて、一枚の絵に一人づつ「私」人形があって
それぞれの絵を凝視しているのです。他者の雑踏に埋没できる都市の開放感があるとしたら、
こうした俯瞰を生きることはどんな感じがするのだろう。けっして後ろ向きではないけれど
ある種の苦しさを抱えている感じが伝わってくるようです。



[夕暮れの公園]

1月2日
 きょうはお雑煮を食べてから夫と義母と私の3人で近くの駒留神社に
初詣。義母は去年の御札を収めて、今年の干支の人形を買う。私たちは
その介助という役どころでしょうか。今年は道路に例年になく車が走っていて
いつもはがらがらな都内なのに何か変です。
 私は運動不足の解消のため公園まで歩いてゆくともう夕暮れ。暖かい茜色。
 撮ろうとすると攣れて肩は痛むけれど、そんなことは言ってられない光です。

 昨年の暮れに、川上未映子のエッセイ本をぱらぱら本屋さんで見ていたら、多和田葉子
のエッセイ『溶ける街 透ける路』について絶賛していて、本の存在を知り、
急いで本屋さんに注文。そのときは来年になります、と言われたけれど昨年内に届いたのでした。
日経新聞で連載されていた頃からときどき読んでいたけれど、ほんとうに味わいふかいです。



[昼の月]

1月1日
 あけましておめでとうございます。皆様のご多幸をお祈りいたます。
 今年は肩がすっかり治りますように。
 肩といえば、昨年の暮れに肩の治療で品川へ行った帰り、恵比寿の映画館へ
寄ったのですが、そこでばったりヤリタミサコさんと出会ったのでした。
 こんな偶然があるなんて。多くの映画館があるのに、ヤリタさんが見終わって
出てきたところで、これから見ようとチケットを買いに私が入っていったのです。
嬉しかったです。次ぎの上映までの30分ほど、いろいろ近況などおしゃべり
しました。見たのは「千年の祈り」。中国人の父と娘の話で、ニューヨークに
暮らす娘のところへ中国からやってきた父が、ぎくしゃくしながらも娘との関係
をとりもどしてゆこうとする会話劇でした。

 詩の雑誌「びーぐる」の次号に原稿を書いたのですが、この号には尊敬する多和田葉子
さんや、漫画家の高野文子さんが執筆されていると知り、感激。出来上がりがとても楽し
みです。
 



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