今月へ

2009/7月分

[出会った一コマ]



7月30日
 代々木から新宿まで歩いた。教わったばかりの道を歩くと、
街が知らない顔を現す。路地では簀の子を何枚も洗濯バサミで
つまんで干す飲食店の人がいる。自動販売機をトラックの荷台
にくくりつけたばかりの人がいる。携帯電話で営業トークを
丁寧にしている人がいる。私は顔は見ないけれど、そうした
人々の日常の積み重なりを感じてゆく。この街がしっかりしてゆく
ように、人々が支えている繰り返しの厚みを希望のように思う。

詩誌『酒乱』3号を読む。
特集80年代を考える。80年代を特集することはこれまでなかった
ので画期的。「シンポジウム80年代詩を読む」を熟読。

杉澤加奈子個人誌『207G』、詩誌『ひょうたん』、詩誌『雲の巣』
読みました。

[洗濯と掃除]

7月26日
洗濯と掃除でほとんど終わってしまった一日。
買い物の帰りに上をみると、三日月がでていた。
本の片付けをしてアキをつくる。少女漫画も何冊も
袋につめた。これは古本屋さんにもってゆこう。
本を開いてしまってまた本をしまい込む。これでは
なかなか片付けられない。

きょうのシロ。
何かおいしいものをちょうだい、と言っているのだろう。


森ミキエさんの新詩集『沿線植物』を読んでいる。
「モクレン」まで読んで、言葉の勢いにつれてゆかれる。
気持ちが、いたかも知れない別の自分との並行描写によって
くっきりとつたわってくる。
同人誌『てふてふ』を読む。独立した詩の連詩がおもしろかった。
白井明大さんの冊子を読む。「おれの地球で戦争すんな。」の
巨大文字の一行がよかった。


[お知らせ・17日金曜日 朗読します]

●「よるのひるね」で朗読します。
 「3月の呼吸」の上映もします。


サウンド&ポエトリーリーディング

「真夏の夜の・・・それとも甘美なささやき」
 〜ぬくぬくと生きないために!言葉と音楽の夕べ〜

ロックと詩のコラボレート、冷えたビイルとギターの音、カフォンの響き
蒸し暑く梅雨の明けない日々を振り払う音楽と詩の夕べを企画しました。
ゲベスタ先生降臨! 真夏の夜のリズムと言葉が、阿佐ヶ谷でどんな夢を見るのか

7月17日(金)19時〜22時  入場料1000円 ドリンク500円
出演 音楽 ボーカル・小文吾、パーカッション・間所直哉 ほか
   詩  五十嵐倫子、くろゑかれん、小島浩二、白鳥信也、田辺武、
      ドロシー、北爪満喜、ほか (50音順)
会場 カフェ「よるのひるね」 杉並区阿佐谷北2−13−4 1階
 



[多和田葉子・高瀬アキ/「種だけじゃ人は生まれないでしょ」]

7月14日
 日曜日のポエケットではひさしぶりの人に会えたり、SNSで
リンクしている詩人と始めて会えたり、はげまされるひととき
でした。たくさんの個性的な詩誌があふれ、私も幾つか買えました。

ゲストの朗読ではTOLTA、新井高子さん、共に大変聞き応え
がありました。TOLTAはほとんどパフォーマンス。演劇の男女が
一人づつ詩を演じて、きゅうに床に倒れ込んだり声の調子が
変わったり、詩がセリフ化していた。

 朗読パフォーマンスといえば多和田葉子さんと音楽の高瀬アキさん
そしてダンスの川口ゆいさんの「横浜発−鏡像」をみたばかりだった。
多和田さんの朗読は言葉が言葉としておもしろいだけでなく、抑圧的
な日本的な表現を批判している部分が、耳に突き入ってくるところが
最高だった。たとえば、"横浜の港へ残す女の腹に種を宿して、外国へ旅立つ"
というような鴎外の表現に対して、「種だけじゃ人は生まれないでしょ」と
返すところなど、そうとも、と言いたくなる。気付かずに読んでいた
文豪達の表現には、こうした女性の人間性を無視した言い方があり、
それは疑問もなく当然のことのように見過ごされて読まれているのだった。
意識せずに女性を抑圧する表現のある近代文学を読んできた私達は、
どこが変なのかよほど意識化しなければ、内面化された女性への抑圧を
跳ね返すことは容易なことではないと、多和田さんの何気ない鋭い切り
込みで、つくづく身に浸みたのでした。





[余白のブーケ]

7月3日
これからが主役 
閉店後 とりどりに咲く
花たちの色と形の声が輝く 


ぼけぼけです。ある人を群馬の詩人と間違えました。
新井高子さんがいて、私は群馬の人が3人そろい
ましたね、なんて言ってしまった。新井さんは困ったように
その人を差し東京、と言いました。そしてようやく人違い
に気付きましたが、間違われた人の怪訝な様子は溶けません
でした。ああ四コマ漫画です。
先日平田俊子さんの朗読とお話を聞きにゆきました。
理由はガダルカナルへ行ったお話をするというからです。
戦死した叔父の慰霊をしにガダルカナルへ行ったときの
過酷な旅や、遺骨がまだまだみつかる現地は、人と人が
自然とともに素朴に生きていて心が洗われるということ
が印象的でした。私の父は激戦地から生還しましたがパラオ諸島の
ペリリュー島へ行っていました。奇跡的に助かって、
隊は玉砕したのでした。子どもの頃からパラオなど南の島
の地名は独特に響いていたのです。昨年、現代美術の照屋勇賢
がパラオの写真を展示していたのでした。林や森のなに
鳥居が立って埋もれている光景などです。
代官山ヒルサイドフォーラムで開催された
「アトミック・サンシャインの中へ―日本国平和憲法第九条下
における戦後美術」展でみたものです。

父の忘れ難い言葉を反芻するために聞きに行ったのかもしれません。
戦争の否定、強い自己否定の言葉でした。まだ7歳か8歳の私に
戦争の悪を伝えてくれました。その頃は戦争へ行ったことを自慢話
として語る大人が多かったので、私がそれを真に受けないように
ゆっくり丁寧に子どもにわかるように話してくれました。そのとき
世界は平面ではなくてもう一層の世界があるのだと体感したので
した。もちろんそうした言葉で理解したのでなく感触だったわけ
です。