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2011/2

[詩「交差点に真昼の三日月」]

2 月28日

交差点に真昼の三日月 


横断歩道の白線は 木琴のように 短く並び
歩行に打たれ 足音が響く
かすかな響きは白線の下 遠く
地下へ降ってゆく
地上の光をまといながら 
足音は厚い闇のなかを 遠い庭へ届いてゆく

藁の匂い 
麦フスマの匂い
納屋の隣に牛がきている
雌牛は濡れた大きな瞳で納屋の奧をのぞき込む

庭の隅の柿の木のそばの 下向きの円錐サイロはベージュ
輸入した牛たちの餌を蓄え 昼も夜もつったっていた
値段が為替レートによって変わる餌を トラックが毎月補充に来て
ミルクを溜めた容器を運ぶと両手が抜けそうに重かった
ときどき夕闇にのまれる父が庭から抜けた 夕方に
運ぶ母を手伝った
母の背骨を 日に日に 少しづつ痛めつけていたミルク

濃い匂いがやってくる 
玉蜀黍の刈られる匂い
機械で刈られた玉蜀黍は青臭く生々しい破片に割れる
骨が砕かれたらこんな匂いだ
機械で砕かれた玉蜀黍は 庭の隅にひととき積まれ
牛の口元へ運ばれる
雌牛が食べて出す白いチは とてもおいしい
人のために 
けれど白いチを出させるために必ず出産させている雌牛の
生まれたての仔牛には 母の乳房は許されない
小屋に入れられ調合されたミルクをバケツから飲んで
仔牛は大きな澄んだ目を開け
外や 庭草や空をみている
ときどきやってくる子どもをみている

ひょろひょろ細い仔牛に寄り添い
柵の間に手を差し入れて仔牛の頭を撫でてやる
自分の姿が映りこむ仔牛の大きな目をのぞきこむ
それが日課の
子どもからみれば
もうながい
ながすきる腕ながすぎる背中ながすぎるわたし
ながい体の先端はもうぼろぼろになっていて
ぼろぼろの足を靴に収めて渡ってゆく
白線を渡る
足音は
それでもかすかな光をまとい 
遠い納屋へ 庭へ 仔牛へ
しんしんと さらさらと 降ってゆく
寒い闇 
深い闇 雪の庭 

わたしがマトリョーシカだったなら 
開けたらきっと
子どもが出てくる

横断歩道の白線を 
あと少しで渡り終えるとき
白線が 二本 剥げて なかった
渡る木琴が二本なかった
つっかえて足が乱れて躓き
マトリョーシカの継ぎ目がずれて
躓いて開いた継ぎ目から
ちいさい子どもが 
ころがり出てきた   
ころがって アスファルトで額を打って
三日月の痣をつけている

ちいさい子どもは
出てきてしまった
アスファルトで打った額の 
三日月
イオと
とっさに呼んでいる 
月の模様をつけた雌牛に 変身させられた神話の女性 イオ

イオ 呼ぶ
イオ 
出てきてしまった ちいさい子どもは 
柵の中の仔牛の目をして
アスファルトに沿った汚れたビルや排気ガスの空を見上げる


大丈夫だからと呼んでいると
すこしたしかになったのはわたしで
陽のなかで透けて消えそうな
あぶなげなイオの方ではなかった

納屋の隣まで 雌牛がきていた
納屋の近くの囲いぎりぎり
電流が流れる囲いの前で 雌牛は鼻を突き出して 
生んだばかりの仔牛の匂いを確かめ 
しきりに嗅いでいる

長い舌で塩をなめたり
玉蜀黍を咀嚼しながら
懐かしむようにゆっくりと鼻先を空へむけた雌牛の
濡れた大きな瞳がもう
もう見えなくなってきた イオ

交差点に真昼の三日月

[ある日の交差点での夢想]

2月28日







[梅の一輪/クロ。ちょっと迷って、ジャンプの瞬間]





2月25日
 これだけは、マスクを外します。花粉がどうでも、梅の香りだけはかぎたい。
昔、実家にはたくさん梅の木があって、横様に伸びていた梅の木もあって
登って遊んでましたから、私の鼻は懐かしいといっております。

 クロちゃんは、かなり太めになってしまったので、ちょっとした跳躍も必死なのです。
どうしようかなー、と高さを目で測って、気合いを入れて、ジャンプ、なのです。



[詩 「みえない中心 黄金の日々」]

2月24日
みえない中心 黄金の日々    
                                   

テーブルの上のみえない蜜は
ひっそりと林檎の中心にある
それは 陽差しにあたためられた黄金の日々
 
林檎が成っていた木は 誰も知らない
育ってゆく林檎のなかで蜜がどうふえたかという光景も
みえない
みえないもののことは秘密です 
と林檎の重みが掌にのる

林檎っていうとかじられて
林檎っていうと白雪姫 毒で汚染されている
林檎っていうとイブ らしい アルファベットの国々では 

林檎をキッチンで
二つに切ると
林檎はコロンと左右にわかれ
わたしの中で言葉が割れた
左がアダムで右がイブ 
頭の中に
横書きであったらしい アダムとイブ

林檎の皮を剥いて食べる
おいしい
甘い
林檎を食べる かみしめるこの体にだって
みられない みえない 中心がある
まだ何にもなっていなかった日々

黄金の 晴れた日の道に 残っていた水溜まりを がばっと踏んだ
黄金の夏 海に行って 磯だまりの蟹に夢中になっていて
大きな波に体がさらわれ  溺れそうになったこと
強すぎるからと 一枚ぜんぶ
おもいっきり食べさせてもらえなかった板チョコ

まだ何にもなっていなかった日々 

皮膚の下の暗闇で 反射する黄金の輝きを抱え
そして 甘くない 秘密を抱えて
言葉で 
割ったり渡ったり
剥いたり 
かんだり届けたり

続ける
対岸へ 対岸へ

彼岸へではなく 対岸へ


*「みえない中心 黄金の日々」は 別冊「詩の発見」10号に掲載予定です。
これは大阪芸術大学文芸学科の学生さんたちとともに山田兼
2月23日
図書新聞で山尾悠子著『夢の遠近法』国書刊行会の書評を書きました。
まさに幻想空間です!
書店でみかけたらよろしくお願いします。

[電源]

2月7日
 御苗場、いよいよ明日搬入です。釘と金槌、たこ糸、メジャー、ドライバー、両面テープ
ガムテープ等等。作品は昨日送ったので、あとはブースで受け取ること。
 いろいろプリントして準備しました。ぜひパシフィコ横浜へいらしてください。
私のブースは121です。いろいろ面白いブースを回ってくださいね。
・・・見たあとは、中華街もちかいですよ。
 

2月1日
詩を書いて発表している私は、展示についてはわからないことばかり。
事務局に問い合わせたところ、フォトフレームの電源を有料で借りられる
といことでしたが、工事費など含まれ、高額なのでフォトフレームの展示は
とりやめます。