今月へ
2011/6
[北爪満喜 通路の詩と写真展 file.8]
6月23日
銀座3丁目の通路の「詩と写真展 file.8 」 搬入しまた。
タイトルは「記憶の遠くまで」9枚の写真と言葉です。
前回から、だいぶ開いてしまいました。震災後、ようやく元気を取り戻し、
少しづつ前へ進めなくてはと、新作を掛けました。
近くへ来られましたらぜひお立ち寄りください。
[練習 詩+写真] 6月12日 練習 使い古しのセーターに体を丸めて眠る猫 窓からの陽差しが猫の耳の形をなでる なにげない 眺めのなかの 限りない しあわせ なにげなく 書きはじめる 書くことで生まれる流れ 流れが曲げられたなら危うい 言葉から 危うくなる 掃除機で猫の蒲団になったセーターを吸い 抜け毛や毛についてきた花粉を吸い取ってゆく なにげない朝の始まりに 曲げられて言葉が出られなくなったらと想像して 恐怖が走る 書かれた言葉は外へ 誰かに読まれることを目指す 曲げることを余儀なくされるなら 書きたくない 読まれたくない ゲホッゲホッ と猫が吐く 春の猫は毛が抜けるから体を舐めてきれいにしているうちに胃の中に毛玉が詰まって 食べたものが流れない ゲホッ 消化されないキャットフードと毛玉が体液に絡んで出る 掃除機を止めてティッシュをとって 吐いたものを包んで捨てる 書く場が限られていた少し前の日本で 強制されて書いた ということが過去の詩人にあった 比喩で曖昧にして戦争詩を書いた詩人がいた いまはこのパソコンから自分の言葉を発信できる と思っている でもこのパソコンから書くことにも監視がくるのだろうか 同じ方向へ鼻を向けて書かなくてはいけないときが くるだろうか 網を握ってくるみえない指先 みえない みえない 危うい ゲホッ ゲーホッ 体中を波打たせて体液で包んで猫が吐く 体中を波打たせ 取り込んだばかりの言葉の粒から吐かなくてはいけない みえない粒を 想像で胃壁になって波打って捨てる練習をする 生きられる一行へと むける鼻 掃除機がうなっている朝
[梅雨の草木]
松葉
さくらんぼ
わからない花
6月8日 シャクヤクの花はこんな梅雨のはっきりしない天候のときは、みているだけで 夢幻な風情でよいです。編集者と原稿をやりとりしていて、ふっと編集者がシャクヤク が花開いたことを書いてくれて、私も見たくなって買ってきたのです。 最近のツイートです。 ・共同通信のコラム「詩はいま」に手塚敦史詩集『トンボ消息』(ふらんす堂刊)と 青木津奈江詩集『星降る岸辺の叙景』(ふらんす堂刊)について書きました。 地域の新聞に配信されましたらご覧いただければ幸いです。 ・江古田のポエム・カフェ『中庭ノ空』の空間は、やっぱり清々しい。 ほんとうに空が開いているような感じがします。また夏みかんジャム買いました。 来月こそは開店祝いをしなくちゃ。 ・新宿眼科画廊 の「皮膚と地図」展へ行ってきました。感覚すべてを使うことの おもしろさを改めて意識。水田紗弥子さんの「思考ノート」も惹かれます。 トルタのカード状の言葉による展示もよかったです。 「野川朗読会」についてのツイートです。 ・「野川朗読会」では一色さんの詩をテキストでみたとき以上に赤が見えて迫ってきてリアルでした。 岡島さんの詩を歌う声も印象深かったです。美しく音楽になったもの。 ・相沢正一郎さんの朗読。草野心平の詩も相沢さんの詩になって聞こえてきてびっくり。 鳥類さんには数年ぶりで会い、超速の読みにはかりしれない何かを感じ、伊藤浩子さん の速い朗読も夜の街の闇を駆け抜けるようですごかった。 ・野川で出会いが。約20年前に載った東京新聞のエッセイのコピーをお持ちになって、その言葉が ひっかかっていて、いつか詩集を読みたいと思っていたという方でした。感激です。ネットでみつけたと。 ネット、サンキューです。約20年前鈴木志郎康さんに撮っていただいた写真、懐かしかった。 ・またまた、過去の自分に、応援されたような気持ちがしました。というよりお尻を叩か れたような気分がしました。しっかりしろっとね。