今月へ


[うつったり浮かんだり]


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11月29日

展示してある商品よりもショーウィンドゥに映っている木の枝や木の葉の影やライトの反射のほうが近しい
うつって時間をすべっているから
とどまった形をしていない
だれもかれも映って移る
うつろう
空だって光を変える 
何億年分の雲をすべてさがしてたって
一瞬たりとも同じだったことはないのだし
私は私の私の惹かれるほうへ顔をむける
靴の先をむける
うつむいていても 体のなかで
しずかに矢印がそちらをさしている
ほほえみのように
もうやさしいのはそんなみえない矢印だけかもしれない



・ ラフォーレハラジュクへ。デビット・リンチ展へ。

リンチの歌う音楽と裏庭で走り回る人々の狂気の映像。
異界への口がぱっくり開いていました。絵のなかの言葉と電球もリンチだった。 

そこで販売していたCDはもう持っている。その異界への口から入るのが私の
詩への近道になっている。リンチの言葉や映像そのものとは距離をおいたまま
闇の奥へ詩への道をすすんでゆく。







[駐車場の草/イェリネクの言葉のメモなど+ツアーの場5カ所]

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11月25日

どこかほっとする草です。

F/Tの「光のない。U」へ行きました。 新橋駅周辺の12か所をツアーしながら、聞く、
イェリネクのテキストはまさに詩でした。
まだ何も終わっていない。東京と福島は続いている。 
イェリネクの言葉は福島の女子高生の朗読する声で聞こえてきました。

「何ものでもないものをあとからさぐる」
「まだここにあるのか もうないのか」
「それはもうみえない」
「みえるものではない」
・・・
「悲しむものはみない」
・・・
「たべてはいけない野菜がみえる」
「すてなくてはいけない野菜がみえる」
・・・
「上司の上には上司」
・・・
「すべてに利潤がある」
・・・

このような言葉が12の場、それぞれの場でラジオの周波数を合わせると
福島の女子高生の声で聞こえてきて、迫ってきました。
この声を聞いた新橋のある広場からは東電本社のビルがみえました。
新橋のある街角のショーウインドゥには除染防護服と防毒マスクが展示
してありました。

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.......[月と私についてのあれこれ]

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11月15日

この月は10月24日の「月」。
夜だけでなくても夕暮れでも昼でも、空をみあげ月をさがしている。
もうずっと月を撮りたい気持ちが消えない。それは詩のなかにもしばしば現れる。

「月の頂点」「月の瞳」という詩が詩集『飛手の空、透ける街』(ひしゅのそら、すけるまち)に
入っている。

「月の頂点」は月光を放射状に降ろしていって、その光の線で地上の人や動物と「私」がつながるというもの。
光の線でつながる儚い瞬間。でもそのイメージをみつけたことで「私」は支えられてゆく。

「月の瞳」は、夜の空に輝く月は明るく強すぎて、うなだれるようなことがあった日の「私」は見つめることが
できない。だから、昼に見た「月」を呼び出す。昼の月の周りに点点と切り取り線を入れておいたから、
切り取って、煌々と輝く夜の月の上に、貼る・・・という詩。
昼の月には、月の瞳に見つめられて支えられていた「私」がいる。

月と自分の詩のことに触れていたら、そうだ、と思い出す。私は第一詩集『ルナダンス』のタイトルから、
もう詩のいちばんはじまりから「月」だったのだ。
詩「ルナダンス」
この頃の「月」は今の月とはまた違った出方をしているから、詩集の装幀にもそれは現れている。
ルナティックというニュアンスで、ピカデリーサーカスの上に赤い月が出ている(あれは太陽じゃなくて赤い月なのです)
空間が何層にもなっているコラージュ。コラージュは詩人の伊藤聚さんが作って、装幀までしてくださった。


これからも月はいろいろなかたちで、「私」を見守ってくれるような気がしている。



[お知らせ・風の朗読会]

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11月12日

昨日は歴程祭でした。賞状を贈呈者に渡すアシスタントで、ずっと皆さんの前の席にいたので
丸見え状態。こわばりました。野村喜和夫さんの挨拶のオイディプスの神話の新たな視点を
紹介してくれてた言葉が印象的でした。「スフィンクス」の謎を解いてしまったことで、謎本来の力が失われた。
今また「スフィンクス」に謎を、謎のもつ本来の豊かさを返す時がきている。というものでした。フランスの哲学者
の説で詳しくはわかりませんが、未来への一筋の光を感じる言葉だと受け取りました。

今週の日曜日。新宿での朗読会に参加します。
16日までオープンマイクご希望を受け付けております。ご希望の方は
問い合わせ先までメールをお願い致します。



.....[いつもの道で]

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11月10日

 いつも通る道のいつものカラス。
コーワコーワコーワと鳴いている声がもう耳になれている。
そして姿はみえないけれどカワンカワンカワンと鳴く猫もいる。
とぎどき散歩させられていたかわいいミニ馬はどうしたのだろう。
もうしばらく見ていないので散歩コースをかえたのかもしれない。


○お知らせ
共同通信コラム「詩はいま」11月に
島野律子詩集『むらさきのかわ』ふらんす堂
ヤリタミサコ詩集『私は母をうまなかった/ALLENとMAKOTOと肛門へ』水声社
小川三郎詩集『象とY字路』思潮社
について書きました。地域の新聞に配信されましたらよろしくお願いします。 




......[そうなのかもしれない雲のような]

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11月7日

 どうもはっきりした何かなんてないのかもしれない。
うごいているのが風。流れているのが雲。人の姿のイメージもゆれてながれていてはっきりしない。
ましてやどういう人かなんて。だから不安でこわいからこういう感じと輪郭を作って収まってもらう。
人にもモノにも生き物にも風景にも。
そしてさだまっていなくて不安でこわいところから、身のうちで頭のなかで書くことがちりっとはじまる
のかもしれない。小さな火花をたてて。



.......[いつもの夕方]

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11月5日

野菜や味噌や卵を買ってぶらさげながら歩いていて、ちょっと上を向く。
言葉がながれている電線をみているとインターネットは電線ネットだと思う。
電柱に上って電線の接続工事をして繋がる。全然バーチャルではない。
ひらっ、すーっとあっちにもこっちにも飛行機雲が短くよぎる。
眠そうな道の花に食材が重いよーと挨拶して通る。



..... [11月の花壇]

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11月3日

ニットのカーディガンをきるような季節になった。道路脇の花壇の花はどんな
表情をしているだろうとおもったら、それぞれ静かに植物の生活をしていた。
咲き出したばかりだったり、花を終えて種を抱えていたり、蜂に蜜をあげていたり。
みな生き生きしていて、なんだかうれしくなった。