メモリーズへ
2013年2月分
Down Beat 創刊記念シンポジウム&朗読会 「生身と幽体のポエジー『象とY字路』&『生家へ』を巡って」 のシンポジウムに参加します。よかったらいらしてください。
[遊離して]
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2月9日
光の切れ端。
特定の場所から、特定の時間から、解き放たれている。 光の切れ端。詩のまなざし。
今日撮ったものをファイルに仕舞っているときにふと気づいた。 何気なく映りこんでいた街路にいる普段着の中年男性の横顔がいやに白い。 どうみても白いお面をつけている。ヘルメットもかぶっている。いろんな 人がいるものです。
・お知らせ
共同通信コラム「詩はいま」2月に、『カメリアジャポニカ』高塚謙太郎(思潮社)、
『ローマで犬だった』石井辰彦(書肆山田)、について書きました。地域の新聞に配信されましたらよろしくお願いします。
[うろこ雲/角川『短歌』2月号、佐藤弓生さんの短歌] ....... 2月1日 角川『短歌』2月号で佐藤弓生さんが、巻頭作品10首「そ ら は る す」の中で 「詩人の北爪満喜さんによる「詩と写真展file.10」の印象三首」を 書いてくださいました。42ページです。書店でみかけたらよろしくお願いします。 佐藤弓生さんが春に「薄い街」展をしたとき、一つの言葉から短歌を書き贈ってくれるパフォーマンス をなさっていました。私は「泥の羽根」という言葉をお渡ししました。そこから、 「青天を爪ひからするものもののくだりては地に溶けてゆきたり」 ・・この星とあそぶ夏を。 と書いてくださったのですが、この言葉に私とても励まされたのでした。 そして今回は、私の詩「風と」の「まっすぐ見つめる目があった/見つめられたこともあった」を元に 「きみはいた 草生でふかく膝を折る雌のけものが見つめる先に」 という一首を書いてくださった。そして再び私はとても支えられました。 私は地上(そこ)にいたのだと。 作品として「きみ」が作者の私を差しているものだとは思いませんが、 短歌という形式を持った言葉だからこそ、すっと受け止められ 存在を見い出し、確認してもらえた、というふうに感じることができました。 これは短歌の力でしょう。
他の歌は次ぎの二首です。
「水か空かわからなくなる 風立ちて ただうろこなすいちめんとなる」
「冬の日のうぶすな知らず半月の冥いところにこころを伏せて」