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2014年 7月から12月

[朝日新聞に詩が掲載されました]


12月9日

詩集をだしてから、すこしずつ動きはじめています。
きょうは朝日新聞の「あるきだす言葉たち」に私の詩「鼓動」が掲載されました。

【お知らせ】
現代詩手帖2015年度の詩誌月評を私が担当するこになりました。
詩誌やフリーペーパーなどたくさん読みこなす日々がはじまり、目と体調に
気をつけなくてはと思います。
2015年1月号の詩誌月評は「詩誌の輪郭」というところから、自分にとって
詩誌はどういったものだったかということから書きはじめました。
かつて詩誌「卵座」を納品書を携え、「ぱろうる」に納品にいったことなど
懐かしい経験などにも触れてます。


[白のコスモス/お知らせ]


11月27日

12月25日「毎日新聞」夕刊、詩の月評で城戸朱理さんが
北爪満喜詩集『奇妙な祝福』を取り上げてくれました。
ありがとうございます。毎日新聞とってないのでまだ読んでませんが、はやく読んでみたいです。

2015年度 『現代詩手帖』で詩誌月評を担当します。
詩誌やフリーペーパーなどをぜひ思潮社へお送りください。


思潮社 「現代詩手帖」12月号 現代詩年鑑2015のなかで

・2014年代表詩選に『奇妙な祝福』のなかの詩「鏡面」が掲載されました。

・北川朱美さんが詩集の展望で北爪満喜『奇妙な祝福』について取り上げてくれました。
ある物理学者の言葉「時間は物質で、川のように流れ去るものではなく、積み重なっていくものだ」
を引き、詩「鏡面」を引用してくださいました。詩「鏡面」はちょうど本号に掲載されてます。

・ほしおさなえさんが書評を書いてくれました。
「カーテンが崩れ去って」 北爪満喜『奇妙な祝福』

くっきりしたご批評。丁寧に受け取ってもらえました。
『暁:少女』のことも引き出していただいて、ずっと詩を見てくれていた存在を実感し
とても感激しました!

・「今年度の収穫」に私の詩集を多くの方に上げていただいてました! 
ありがとうごさいました。
はずらしい詩集がたくさん出ていたそのなかで、上げていただけたことがとても嬉しいです。




[詩集『奇妙な祝福』より   「家の周りをぐるっとまわって」]

11月23日

「メモリーズ」のコーナーで詩集から、一編づつ発表してみます。
読んでいただけたら嬉しいです。



家の周りをぐるっとまわって



枯れた蔓の絡まった椿の木に
赤く花が咲いている

誰も住まない家の庭の
乾いた風に開いた花は
プラスティックの光沢でも
触れると冷たく柔らかい

枯れ草に覆われた家の周りに
投げ捨てられた空き缶やペットボトルを拾い集める
コーヒーコーラジュースお茶
拾い集める きょうはよい日

投げ捨てられた
古新聞 雑誌 ライター ビニール袋
たばこの空き箱は同じ銘柄ばかり 
拾い集める きょうはよい日

雨漏りがあって押し入れがぬれた
ぬれた布団や毛布や何か
ぜんぶ庭に出して広げた
あれから
屋根の瓦の間を白い漆喰で塗り固めてもらった
継ぎ当てされたような家には

むかし祖母が住んでいた
母が住んでいた
父が住んでいた
私も住んでいた
トムもいた トムちゃん
クロもいた クロちゃん

少しの家畜も 牛や鶏 黄色いひよこ

幽かに漂うそれらの行き交う
きょうはよい日
乾いて晴れた日

白い長靴でゆっくりと父が裏庭をすぎてゆく
遠い日差しのようにかすかに 笑って話す母の声
きょうはよい日
乾いて晴れた日

家の周りをぐるっとまわって
コンビニで買ったパンを食べ
ペットボトルの飲み物を飲む









[お知らせ 風の朗読会/『文學界』]



11月12日

●11月16日日曜日、新宿ラバンデリアで南川優子さん主催で、ヤリタミサコさん、浦 歌無子さんたちと
「風の朗読会」をひらきます。ぜひお越しください。 よろしくお願いします。

『文學界』12月号に扉詩を書きました。
詩「まなざしの 降りたところに」
本屋さんに並んでますので、お手にとっていただけるとうれしいです。




[詩集『奇妙な祝福』より「奇妙な祝福」]

11月10日

「メモリーズ」のコーナーで詩集から、一編づつ発表してみます。
読んでいただけたら嬉しいです。



奇妙な祝福



雨が降っている
ばしゃばしゃいう土に跳ねる音

雨の中に黄色や緑のくだものが落ちてきて
泥に沈んでゆく

そして 
あの家へ 飛んだ

縁側に頭を向けて
畳に横たわっている父と
向き合うようにハの字になって
横たわっている母が
何か楽しそうに話している
腕枕の二人の目が
庭の青年を見ると
知らない青年は目を輝かせ
もうすぐ生まれるんだという
私も目を見た

父の目と母の目と私の目が重なると発光する光源になった

白い洗濯物が暁光に染められて
風にゆれる

腕が温かい
大きな赤ちゃんが 抱かれていた
私の腕が暖かく抱いていた
しっとりする重みと暖かさを
そおっと胸に抱き寄せる
 
すると
沈んで

坂になった

坂を上ってくる女が手のひらに
小さい赤ちゃんをのせてやってきた

洗濯物は曇り空に陰りながら
風にゆれ
カーテンが赤い花のデザインになってゆれた

女は「この子は残念だけれどロボットとして育てようと思う」と言った

おどろいていると
また生まれたら また別に育てられる
と手のひらを窪ませる


どっと 浮上するように
目がさめた
きょうは私の誕生日だった

なかった私が
あるようになって

あの家で
育ててくれた父や母が死んでしまったあとで
生まれようとして生まれた大きな赤ちゃんと
小さな赤ちゃん

それが何かではなく
もたらされ 腕が暖かく抱いたということ








[いくつかお知らせなど]



10月30日

詩集への暖かいご感想をいただいてます。
ほんとうにありがとうございます。
なんと言っていいかわからないほど嬉しいです。
今回の詩集はこれまでと違っていて、詩の形が
あったからこそ、書けた言葉でした。
とても励まされます。



新詩集『奇妙な祝福』こちらから購入していただけます。

思潮社

アマゾンで予約開始になりました|   携帯URL


[お知らせ]
 『詩と思想』11月号に、5月に行われたマエバシ詩学校の私の講演内容が掲載さました。
毎月ひとコマずつ誌面に掲載されていた、今回、順番が巡ってきました。「詩と写真」です。
詩も二編載っております。よろしくお願いします。

[お知らせ]  詩集を読んでくださった文藝春秋社の編集者さんから「文学界」の扉詩を依頼されました。
12月号に載ります。11月7日発売です。
本屋さんで見かけたら手にとっていただけると嬉しいです!


[お知らせ]  『現代詩手帖』11月号の詩書月評で 『奇妙な祝福』を取り上げていただきました。
水島英己さん。ご批評、ありがとうございます。励みになります。嬉しいです。




I.Kさんと、F.Kさんとちいさな出版のお祝いをしました。
出てきたお皿に「出版おめでとうございます」の文字。
サプライズで嬉しかったです!



[新詩集『奇妙な祝福』]



10月2日
新詩集が出来上がりました。

装幀は コイズミアヤさんの作品です。装幀は伊勢功治さん。

私は詩と写真の表現をつづけていますが、今回の詩集は詩、言葉のみで構成しました。
約160ページほどのソフトカバーです。
読んでみようと思われる方はぜひご連絡ください。
2800円送料160円
kz-maki2@dream.jp
よろしくお願いします。

北爪満喜詩集『奇妙な祝福』 (思潮社)

目次


奇妙な祝福
家の周りをぐるっとまわって
「ワン」
掃除
交差点に真昼の三日月
火事場
日本刀           
夕闇が長い舌を出していた 
薔薇園のベンチ
微かなものが払われて
桑の葉
黄金のいびつな天使の輪


鏡面
糸で編まれたくたくたのネット
あやとりと 浮かんでくる
掌が泳いでゆく
女の子 男の子 飛ぶはっぱ
神秘が咲くのは
ハンドルから両手を離して
白のメモ


交差
南・十字・星
鴨居の写真
駅までの道沿いに
糸の先に結わえた靴
12月 君子蘭 牛の庭


小さな包み
雨、咲いてゆく、ひとりの歩行
呼吸の跡
シーツを掴みます
哀しいことがたくさん
ぽつんとしていた
納屋の音
唐突な音
母語の時間 そして
ヘアーサロンで
あの光る海の波というのは
プラネタリウムの記憶を貼る
ガラスノハナ
窓は水色の枠

あとがき


[お知らせです]

 新詩集を出します。 北爪満喜詩集『奇妙な祝福』(思潮社) です。
現代詩手帖10月号、出版案内に新詩集『奇妙な祝福』が掲載されました。


[コイズミアヤ展]



8月6日
コイズミアヤ展「容量と天体」を見に、新潟の内野まで行ってきました。
本を細かな文字の紙片に切るところから関わる時間も含めてアートだった。
実に細かい紙片を、繊細に繊細に貼ってゆく行為の核にあるのは人としての本への返礼。
膨大なアーティストの手作業の時間と行為が連れ出す、見たことのなかった世界。
それが薄い震え続ける紙の立体となって目の前に。
平面になる予想を裏切って極薄の鉢のように広がる内側には、文字が細かく星屑と散っていて、
近づけば、文字が読めるがそれは天体のなかの星屑。もう星屑にしか見えない。
内側が宇宙的な容量に思えるのは、言葉が散っているから。そして、言葉には果てがないから。
モノではない言葉はどこまでも広がってゆくのだ。
本の表題は「ギフト」。一冊が作家を通して私にギフトをくれた。
コイズミアヤさんは、箱のなかに階段や回廊を作っていらしたころから、このような境地に出られたのだ。
現在の時間、呼吸する時間も浸透し、しかもどこまでも澄み切っている。