天使の涙
監督:ウォン・カーウァイ

 原題は「堕落天使(Fallen Angels)」。日本語に訳せば「堕ちたる天使」となるだろうか。その方がこの映画のイメージを性格に伝えてくれるかもしれない。

 観ていて最初に思ったのは、うまく編集された海外ドキュメンタリー番組みたいだな、ということ。シティ・ドキュメンタリーもそうなんだけど、他にも、例えば、動物のドキュメンタリー番組でも編集で魅せる部分って、あると思う。まあ、そういう感じを受けた。良かれ悪しかれ。
 良かれ、というのは、この映画がとことん現実世界に根差したものであることがひどく強調されてくること。観客は、何度もいまの自分の視線がカメラの視線である事を意識させられる。それなのに、あるいはそれゆえに、僕は画面の中で空間だけを共有し、時間を共有していない人々の間の奇妙な感覚を意識せざるを得なかった。
 確かに、そういうことは良くあることなのだ。町中でも家どこでも、自分が今いる場所は(たとえそれがプライベートな場所であろうとも)、他の時間、他の瞬間には他人によって占有されていた空間なのだ。町で、店で、同じ人と何度もすれ違っている(かもしれない)。だがしかし、、その二人の(あるいはそれ以上の)人間の間に交流があることは、とても希だ。“友達にはなり得ない。もう何回もすれ違っている。服が擦り切れるほど。”
 その奇妙な感覚は、誰でも持つことができる。人によっては、その感覚を楽しむ人もいる。倒錯的な、しかし、純粋な感情の形。そこに言葉(ヴァーヴァル)は必要ない。むしろ、邪魔である。感情が言葉にされることがないから、自分の中で純化していく。会って、言葉にしようとすれば、ただ震える。会えば、言葉を使いたくなる。より相手を理解するため、より自分を理解してもらうため、言葉を使いたくなる。誰もがそう。この物語に出てくる殺し屋も、色っぽいエージェントも、そう。言葉をかわしたとたん(感情をわけあったとたん)、関係は変化する。

 モウという、言葉のない青年が出てくる。彼はコミュニケーションを欲しているのに、言葉のない彼を人は相手にしない。彼が出会う初恋の女性は、彼の前で電話をし、男にフられる。それは、言葉が持つ不自由さを象徴しているかのように見える。フられた女は、男を盗った女の名を叫び、探し回る。それは名は言葉に過ぎないことを象徴しているかのように見える。そして僕は、モウを通じて言葉以外でコミュニケーションする術があることを知る。結局、フられた女は言葉の世界に戻るのだが、その主題は、ラストシーンでもう一度繰り返される事になる。永遠を伴って。

 話がそれた。ドキュメンタリータッチなのが悪しかれ、というのは、全編を通じて挟まれる、登場人物のモノローグだ。おそらく、複雑で難解なタッチを避けようとしたのだろうが、これは、役者の演技と編集によって補うべきだったのではないだろうか。ちょうど“ブレードランナー”の通常版を観るような違和感を感じた。数年したら、モノローグなしの“ディレクターズ・カット”が上映されるよう期待したい(笑)。

 僕は別にこの映画を「他人との関係を恐れる現代人の病理が云々」なんて言うつもりはない。だが、少なくともこれはヒトとヒトの関係の物語だ。ゴム手袋をし、マスクをして殺し屋の部屋を掃除するエージェント。言葉のない関係が言葉を恐れさせ、触れることすら恐れさせる。言葉をかわすことと触れることが全く違うのだということは、ラストシーンで明らかにされる。
 金髪娘はそれを知っていたからこそ直情的に殺し屋を求めた。彼女にとって言葉は道具ですらない。口は、ただ感情が外にあふれ出すための排泄口に過ぎない。触れることが一番の近道だと知っている。それは本能と呼ぶものかもしれない。
 モウもそれに気づく。初恋と失恋によって。ただビデオの中だけの存在になった父親によって。自分の傍らにいた存在を喪失したことによって。

 素直になれなかった殺し屋は暗転した。

 失恋娘がスチュワーデスなのは、彼女が「別の言葉を使える・使っている」という事のレトリックなのか。

 ・・・・ずいぶん長くなった。もちろん、考えすぎの部分は多いかもしれない。どうやら僕も、言葉の世界で生きることをやめたくはないらしい。(周囲から槍を投げられるかもしれないが、そういう点では殺し屋に近い。・・なんて言ったら、あの役者のファンに殺されるかな(笑))
 映画の中で多用される鏡のように、この物語は人の心をとてもよく映す。(「広く見せるため」なんて言っているが、たぶん、ハズカしがってるんだよ、監督は。)そういう映画は、いい映画だと思う。

 最後に一つだけ。
 いいとかわるいとか置いておいて、まず、観てほしい。
 貴方には貴方なりの見方があるはずだ。
[EOF]

公式ホームページ http://www.PrenomH.com/Angel

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