ファーゴ
監督・脚本・制作:コーエン兄弟(笑)

 シネマライズ巡り第一弾。
 なんてったってアレですよ、アカデミー6部門だか7部門だかノミネートですからね。「映画の日」だったってのもありますが、すごい入りでしたよ。終了間際ってこともあるんでしょうけどね。入ってましたよ。

 で、ですね、感想なんですけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・・・いや、この映画を観て、なにか人間の心の奥底に潜むおかしいまでの哀しさを理解しろ、そうでなければいけないってんなら、俺様、とりあえず人間失格ですが(笑)。事実を元に、しかし、ドキュメンタリーには作ってないってんですが、なんというかこう、寒々とした、というか、白々とした、というか、もう画面見たまんま(なにしろ全編通じて真っ白な雪に覆われつづけている)の印象しかないんですよ、これ。ただまあなんというか、誰一人(それこそ猫の子一匹)すれ違わないような白原の中に、ただ状況が要請するだけの銃声が何発もこだまする、それは確かに哀しい。
 サイコな奴はサイコな奴なりに、チンピラはチンピラなりに、弱気な男は弱きな男なりに、それぞれの分を守りつづけてるっていうか、とにかくチンピラはずっとチンピラだし、弱きな男は最後まで情けないんですよ。そういう人々がある流れの中に放り込まれたときに生じる、ただひたすら状況だけが走りつづけるシチュエーションが哀しい、というならば、たしかにそれは哀しい。ただそれは、犯罪行為をセンセーショナルにはやしたてて喜んでいる僕らが、その状況だけをただ見つめたときに(普段センセーショナルにしか扱わないだけに)感じる、やるせなさにすぎないのじゃぁないだろうか。

 そう、どんな無茶苦茶な犯罪だって、それが行われている状況がただひたすら目の前でくり広げられたら、たぶんただ哀しくなるだけなんだろう。僕らは普段、何らかの犯罪の「結果」しか知らないし、その状況、ストーリーを知るのは大抵週刊誌とかワイドショーって事になる。たとえニュースのドキュメンタリーであっても、それは事実の冷静な観察とは違うだろう。「ファーゴ」は、事件の流れそのものを見せつけるものであるから、ある種、雪原の中に一人佇んでいるような寂しさを覚えることがあるんじゃないかと思う。そういう意味では、(この事件のあらましが事実を元にしている、という事からすれば)ひどく状況に味方された、この事件がこのシチュエーションでなければ成り立たない映画だったろうと思う。そうすると、この映画が真の意味でクリエイティブなものなのか、と考えると疑問が残る人がいるかもしれない。しかし、「犯罪もので映画を撮る」とすればともすれば「セブン」のような、ある意味過剰にドラマティックなものになってしまうことを考えると、あえてこのような映画を作って突きつけてみせるところに創造力が働いているのではないか、と思う。

 ・・しかし、この映画が大絶賛されるあたり、僕らが普段、いかに「事件」なるものの本質を見ていないか(見せられていないか)がわかるような気がして、それもそれで哀しい。
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