LEON(完全版)
監督:リュック・ベンソン
主演:ジャン・レノ ナタリー・ポートマン ゲイリー・オールドマン

 いや、それがですね・・。「次回予告」にも書いたんですが、僕、普通版観てないんですよ、LEON。そんなんで、感想、書いたもんかどうか迷ったんですけどね。まあ、わざわざ普通版観てから書くってのもなんなので、書いてしまいます。
 まあディテールについては置いておくとして、こーゆー映画はストーリーと演出ですからね。ちょっと思い出してみましょう。

 考えてみりゃ非常に単純な話なのよね。「大人にならざるを得ない、なろうとする少女(女)」と、「大人の男(プロ)であるのだが、大人に成長できなかった少年」な二人が絡む純愛物語。ね?こう言っちゃうと身も蓋もないでしょ。それどころか「そうじゃないよ!」ってメールが爆弾のように届きそう(笑)。

 でも、そうでしょ。だって、そーゆー話こそが「イケてる」話なんだもん。誰にとっても。それはある種、究極的に理想的な純愛なんであってさ。レオンとマチルダの間にあるものは、一見師弟関係やパートナー関係に見えるけど、実は互いへの共感だって事は最初の出合いのシーンで予見されてる訳でさ。そんなこと、観てる者はぜーんぶわかっちゃってるんだと思う。マチルダにとってもレオンにとっても、相手は自分の「失われた半身」なんだよね。

 いいよね、この、「失われた半身」イズム。これ嫌いな人絶対いないって。僕も好きだもの。それに、たいていの映画にはそういうモチーフが用いられてる。たとえば『スター・ウォーズ』のルークとダース・ヴェーダー(ミーハーな例ですまん(爆))。ヴェーダー卿にとってみれば息子ルークは光の中にいたころの自分であり、つまり「失った半身」なんですよ、ね。まあ、単純に言ってしまえばキー・キャラクター同士の性格、内面を正反対にしておく。そうすると、そいつらは引き合ってくっつくか、相手を潰そうとしてライバルになる。これ物語の常識アルね。おんなじ性格の奴出したって面白くないってことはあるだろうけどネ。ほら、ワタシ当り前の事しか言ってないアルよ。

 とはいえ、ハートフルなテーマを覆い隠すように、物語は淡々と進んでいく。そのあたりのギャップが、ハマっちゃった人たちには効くような気がする。なんというか、ドリフのコントの「幽霊屋敷」で、取り残された志村けんの背後に幽霊が出て、観客席はキャーキャー言ってるんだけど志村は気がつかない、みたいなのを観ている気分、それに近いような気分。(っておめぇ、自分で言ってること分かってんのか・・→自分(^^;))

 この物語がNYを舞台としたものだなんて、僕、全然忘れてました。スワット出てくるまで。NYを舞台にする必然性は、単に汚職警官とか多国籍都市のありようを、現在のアメリカの社会問題に絡めるためで、物語的に「そうである必要はなかった」んじゃないかと。(まあそれはそれでよい。)それ以外は(リトル・イタリーが主な舞台だったこともあってか)非常に異質な、「NYらしからぬ」所を意識して演出してたような気がする。そのことが「ハート」という赤面しそうなテーマを、なんというか、そう、SF的に?、包んでくれていると思う。

 そうそう、直感的に「おそらくここが追加されたか?」って思うシーンがひとつあって、それはレオンが自分の生い立ちを語るシーンなのだけど、多分あってるよね?で、マチルダとレオンのふれ合うシーンを一通り削除していくと、プロフェッショナルとしての「レオン」が見えてくるように思う。つまり物語の主題は、プロフェッショナル・レオンがマチルダとのふれ合いを通して人間らしさを取りもどす、というセラピスティックな部分になってくるんじゃないかと。言葉にするとあまり変わりなさそうだけど、実際にはおっそろしく違ってくるんじゃないかな。まあ、このあたりはそのうちテレビでやるらしい「レオン」を観て考えるとしよう。

 とか言ってたら、やってましたね。まあ、声優とかの問題もあるし、どこまでが映画のカットでどこからがテレビのカットだかわからんし。第一、全部観てないんだよなぁ。やっぱビデオで(以下略)
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