「マトリックス 」
サイバー・パンクの復活である。あるいは、新たな誕生と言ってもいいかもしれない。
正直なところ、サイバー・パンクというのはマニアックなジャンル、あるいは文化だ。ID4、アルマゲンドンなどの影響で、昨今でこそ認められるようになった感のあるSF映画であるが、実際のところ、あれらは映画でこそすら受け、小説で同じ効果を上げることはできなかったであろう。そう言う意味では「映画起源」の、純然たる映画であるのがSF映画の常であった。
サイバー・パンクにもいろいろあろうが、単純に言って、映画にするには複雑過ぎたのであろう。複雑怪奇な世界設定、余人を受け付けない専門用語の嵐、現実を超越した電脳世界の表現。混乱と退廃、義理人情と裏切り、超技術と人間の魂。そういったものをごたまぜにした所にこそサイバーパンクの醍醐味があるのであって、それらはひとつの映画、長くても3時間という枠に収め、表現するにはあまりにも盛りだくさん過ぎ、そして技術的な限界点を持っていたのではないだろうか。
「マトリックス」は日本のアニメ、あるいは「マンガ」の影響を受けているという。それは僕も感じた。(まあ、そういうものに親しんでいる日本人なら、誰でも思うことではあろう。)
CMで流れる、トリニティが怪鳥(けちょう)のように舞い上がった瞬間を捕らえた映像、あれは、ダイナミックな見開きで描かれたコミックの表現そのものではないか。アニメはやはりアニメなのであって、いかに実現不可能なショットを連発したところで、それはアニメ(あるいはマンガ)特有のデフォルメの一種にすぎなかったのではないか。(悪いと言っているのではない。)それが実写映画に転化されたことによって、デフォルメをリアルに再転換した、新たな世界表現を作り出したのではないか、そういうふうに感じた。さて、そういう新しいスタイルで繰り広げられている世界観であるが、基本的な「スタイル」(あるいは「お約束」)を踏襲していてなかなか面白い。サイバースペースであるはずの「マトリックス」世界。にもかかわらず、そこへの出入りは「有線」の「形」をした「電話」を経由しなければならない。(当然、サイバースペース内なんだから、その「電話」だって仮想現実の一部の筈なんだが。)携帯電話で連絡は取れるのに、脱出には黒電話。「なんでなんだよ~!」という気にもなるのだが、まあ、それはそれとしておいて、そのアナログ臭さがサイバー・パンクっぽくていい。
アナログ臭いといえば、「マトリックス」空間内では黒尽くめでスタイリッシュなモーフィアス達も「リアル・ワールド」ではディーゼルオイルの匂いがしそうなボロボロ服で、その棲家も洗練のかけらもないような場所ときた。そのギャップがスパイスとして生きているようだ。サイバースペースではカッコイイヒーロー(あるいはヒロイン)が、リアル・ワールドではオタク人種だったっていうオチもよくある話。ま、ネットオカマでの例を取るまでもなく、サイバースペースでの姿をすべてと思って信じてはいけない。今既に。)ところで、死から蘇った救世主が奇跡を起こすのはキリストの伝説をそのままなぞった形であるが、バリバリのサイバー・スキルで敵をやっつける、というのではなく、なんかよくわからん超能力じみた、全能的な解決方法をとってしまうのがちょっと興ざめ。キアヌ・リーブス演じる主人公ネオは、「マトリックス世界」で裏世界のハッカーとして名をはせていたという設定だが、ま、その程度のスキルが通用するような相手ではないということか。(なにしろ100年のギャップがあるんだから当たり前か。)もっとも、プラグインでスキルを転送できるご時世、技術力を買われてっていうのもおかしな話なので、仕方がないといえば仕方がない。
それはそうと・・・・ですね・・・・・。ノキアの携帯電話を使うと、キアヌやローレンス・フィッシュバーンのように格好よく携帯が使えるのでしょうか? ま、少なくとも、今後僕が買う携帯は、ことごとく蓋が付いているかスライド式となりましょう。
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