「催眠」

 以前から主張していたことなのだが、「驚き」と「恐怖」は違うと思う。もっとわかりやすく言えば、「びっくりすること」は「恐怖」とは違う。
 びっくり箱を創るのは簡単だ。箱と、バネと、なかに入れるモノを決めればいい。中におばけを入れる必要はない。たとえドラえもんの人形であろうと、びっくり箱の素材としてはさして不適当であるとは言えまい。
 「恐怖」とは、それを予期しうる必然と、それに出逢わずにいられない好奇心の喚起と、何処までも残るその残滓によって構成されうる。そういう意味では、この映画は立派な恐怖映画であったろう。後悔するであろうと云う予期と、しかし観ずにはいられなかった好奇心と、何処までも残る怒りの残滓とによって。

 映画の冒頭、「催眠」についての「正しい知識」が、稲垣吾郎の、例の、いつも説明的な口調で語られる。なるほど、それは納得の行くものであった。「催眠」は本来、その人物が望まぬことをさせられないし、道徳観念をねじ曲げるようなことはできない。劇中も、稲垣吾郎演じる精神科医(?)は、非常にあたりまえな催眠だけを使い続ける。しかし、まあ、そこまで。

 冒頭で語られた「正しい知識」だけを元にしても、映画の中の「催眠」の表現が如何に荒唐無稽で無茶苦茶なものであるかが解るはずだ。単なるオカルトとしか思えない事態が「催眠」の名の下に起こされていく。その詳細をここで述べるのはやめておくが、少なくとも、納得がいくようなことは一つもなかった。積み重なる死体の中で、吾郎ちゃんが説明を付けたのは半分にも満たない。それ以外は、結局、原因不明の死体なのだ。少なくとも客観的には。
 サイコホラーとしてもストーリー・テリングも二流と云わざるを得ない。おそらくどんでん返しを狙ったつもりであろうが、それにしてはあからさまな伏線を中盤に使い過ぎた。思わせぶりに引っ張れば引っ張るほど、「そんなこと、分かってるのになぁ」的なシラケが、観ている方には感じられてくる。単純な繰り返しによって被害者が増えていくシチュエーション。「なぜ?」という問いをすべて棚上げにする結末。やれやれ。だったら、最初からあけっぴろげに答えを見せる、刑事コロンボ(あるいは古畑任三郎)方式で「謎解きの課程」を楽しんだ方がよっぽどよい。
 突然のカット挿入と特殊効果で「びっくり」を演出する。そんなありきたりのテクニックにさえほころびが見える。ストーリーの序盤、老人がガラス窓に突っ込むシーンで、砕けるガラスがCGによって表現されている。屋内から外へ向かって突っ込んだ老人は屋内に(CGの)ガラス片をまき散らしながら落下する!
 もうそれだけでも意識を失いそうな脱力感。やってられん。

 プログラムに書かれた、監督の言葉があることを説明する。曰く「催眠を扱う人達は(中略)かなりのことが出来るということを知っているのではないか、と思いました。だから、彼らはその可能性については語らない。特に医者の立場ならなおさら言わないと思います。たぶん、かなりのレベルまでいった専門家は可能性の拡大を模索しているはずです。(後略)」・・・あきれてものも言えない。心理学者や精神科医が、催眠で世界を牛耳ってたりするのだろうか。初耳だ。にしても、確か、いろいろなメディアで「心理学的にも正しい映画・・」と公告していたのではないか?
 そういえば、この映画にはどこかの専門家が監修をした、という話も聞かない。クレジットにもでていなかったような気がする。(気がするだけかも。)ひょっとすると誰か監修していたのかもしれないが、台本か、あるいは映画が上がってきたのを観て、泣きながら「監修の名前を消してくれ」と訴えたのかもしれない。プログラムによると、原作者は専門家なのだそうだが、臨床心理士っていつから国家資格になったのだ?こんな揚げ足取りをするつもりは無いのだが、ここまでくると、したくなってしまうよ。

 解離性人格障害と催眠、この二つの「流行の」心理学トピックをオカルトに貶め、その上「科学的」などと標榜する、その事に対する怒りにも似た感情だけが強く残る。
 勘違いしないでほしいのだが、別に、オカルト的トピックとして催眠術を扱う(エンターテイメントである映画の中で)ことに異議はないし、それで面白い映画を作ることもできただろう。(たとえB級ホラーであろうと、だ。)その方が潔いと言えるかもしれない。問題は、どっちつかずの態度で観客を混乱させ、マーケティングの中で意図的に誤解を与えている、という点だ。これは、もはや信義の問題であると思うのだが。

 ああ、ところで、菅野美穂の演技は想像以上によかった。複数の人格をうまく演じ分けていたと思うし、キャラクターのヘンさ加減もとてもよかったと思う。(あれ以上誇張するとコメディになってしまう。劇中のTV番組でそうだったように・・。)演出的にもよかったのだろう。ただ、他人だかSEかかった本人の声なのか分からないが、あからさまなアフレコが多用されている点はどうかと思う。日本の、ま、こーゆー映画にはよくあることなのだが。

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