スターウォーズ(特別編)「こんな映画を観た...」のメニューへ戻る
監督:ジョージ・ルーカス
出演:マーク・ハミル キャリー・フィッシャー ハリソン・フォード太古、神官あるいは詩人の語る伝説・伝承の類が、人々にとって最大の娯楽だった時代があったに違いない。昔々の、人類を超越した力を持つ神々、あるいは英雄たちによる、剣戟と魔法の光、巨大な怪物や恐ろしい化け物が織り成す物語を聞きながら、人々は想像の翼に乗って旅をしたのだろう。
今や我々は新しい神話を語る神官を迎えている。彼らの語る物語は、昔々の、あるいは遠い未来の、魔法のようなテクノロジーを駆使する英雄たちとロボットたちによる、ライトセイバーとレーザーガンの光がきらめき、巨大なスター・デストロイヤーやデス・スターとXウィングが戦う、壮大な「叙事詩」である。
ルーカスが20年前(日本公開からだと19年前)に語った伝説は、「特別編」という形で今日蘇った。スターウォーズのために作り出された特撮技術は、20年の歳月の中で様々な過程を経て進化してきたが、それらもこの映画を完成させるための進化だったのではないか、と思いたくなる。多少古めかしくは見えるが(20年前のデザインセンスの問題か?)違和感のない(あるいは違和感のないように修正された)昔のままの特撮。「イレイザー」や「ミッション・インポッシブル」でも特撮は多用されていたが、それらが非常に“特撮特撮”していたのに比べると対照的だ。それは現実には存在しない世界を扱うSFという舞台の持つ特徴ではあるが、ルーカスはそういう点を十分理解した上で数々の特撮を惜しみも無くつぎこんでいる。昔も、今も。前置きが長くなったが、もはやこの映画についてどうこう言うことはあるまい。私が娯楽映画礼賛派であることは前に「Movic Talk」で語ったことがあるが、この映画こそはその最右翼であろう。20年も前の作品だ。19年前、確かに観に行った記憶はあるのだが、思い出せるシーンはオビ・ワンが消滅するシーンだ。(当時からなぜ消えてしまったのかが謎であったが、それは今になっても謎である。)それ以降、テレビやビデオでみる機会は何度とあったが、たかだか20インチ少々の画面では、スター・デストロイヤーやデス・スターの巨大さを実感することはできなかったし、ルークやレイア姫、ハン・ソロの大冒険をこれほどまでにジッと見つめることは無かったように思う。冒険活劇にはやはりテンポというものがあって、CMに分断されるテレビ放映はもとより、いつでもその場を離れ得るビデオでも、その真髄を十分に堪能することはできないのだろう。映画館というクローズド・スペースの、巨大なスクリーンで観ることを前提に作られた映画。それを公開から20年もたった今日、より完璧な姿で観ることができる我々は幸いである。「テレビで観たから」とか「ストーリーを知っているから」という理由で観に行かないのは愚かなことであろう。
この映画は娯楽大作であると同時に、その裏側にある様々なテーマについて語られることが多い。また、数々の謎が提示され、解決されない点などが指摘され、そういう点でも多くのファンを楽しませている。もちろん、そういう楽しみ方も大いにアリだ。ひたすら冒険活劇を楽しむというのもアリだろう。ゴハンも山盛り、オカズも山盛り。それでいて栄養バランスバッチリの理想的な御弁当を、どうか劇場で観て欲しいと思う。[EOF]