帝国の逆襲<特別編>(スターウォーズ)
出演:マーク・ハミル、キャリー・フィッシャー、ハリソン・フォード 他

 もし今までに「スターウォーズ三部作」を見たことがなくて、今回なんとなく流行ってるんで観ている、という人たちは非常に幸運だ。なぜなら、最初っからルーカスが意図したとおりの(少なくともそれに最も近い)映像に触れられる他、三部作を最短のタイムロスで観ることができるのだから。渋谷や銀座に繰り出せば、三部作を一日で制覇することも可能だ!そんな贅沢があろうだろうか?
 前作“スターウォーズ”と“帝国の逆襲”の間のタイムラグは三年、その間に反乱同盟軍はにっちもさっちも行かないところに押し込まれ、物語は絶体絶命の緊迫感を終始持ったまま進む。そしてその緊張感はやり場を失ったままエンディングを迎える。次作“ジェダイの復讐”までに要する物語時間はわずか一年。登場人物たちはやり場のない気持ちを押さえつつも次の戦いに向かって己を鍛えることができるかもしれないが、観客はそうはいかなかった。オリジナルの公開当時、“ジェダイの復讐”上映までに要した時間は実に三年。映画の公開ペースとしては常識的かもしれないが、悶々たる気持ちを「帝国の逆襲」で抱え込んでしまった観客にとってみればたまらない。“帝国の逆襲”が「暗い」とか「だらだらしている」とか言われてしまうのもこのあたりに問題があるのかもしれない。

 しかし今<特別編>三部作を観るにあたってそのことを心配する必要はない。確かに“帝国の逆襲”は暗い話だし、今一つ盛り上がりにかけてだらだらしているかもしれない。が、反乱同盟軍にしてみれば“スターウォーズ”での勝利こそが奇跡的なものなのであり、“帝国の逆襲”のように追い回され、追い詰められる姿こそが普通の戦いなのだ。そんな中に身をおいているからこそレイアは素直になったのだろうし、ルークは「ジェダイ」となるべく立ち上がったのだろう。いわばこの部分は「下積み」の期間であって、それが“ジェダイの復讐”において予感される最終的奇跡的勝利へとつながっていくわけだ。某少年誌の合い言葉ではないが、「努力」「根性」「友情」の物語なのだ、これは。(翼だってドライブシュートを身につけるには努力をしたのだ・・)

 特撮については“帝国の逆襲”で大きな変化はない。クラウド・シティの風景が違うということだが、これは通して映画を観ていると「あってあたりまえ」のシーンに見え、全く違和感がない。これは前作にも言えたことだが、<特別編>にあたって差し替えたり追加したりしたシーンが浮いてしまったり不自然であったりすることはほとんど感じられない。普通、シーンの追加などすると大きく雰囲気が違ってしまったりするが、スターウォーズの場合、追加シーンが多いわりにはそれがない。まったく素晴らしい技術だ。日本の特撮というのは、どうも怪獣映画のノリが抜けないというか、それ以上ではないというか、なぜリアリティをあれほどまでに感じないのだろうか。単純にかけているお金の違いなのだろうか?そうだとしたら、それはそれで哀しいものだが・・。[EOF]

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