ボルケーノ
監督:ミック・ジャクソン
出演:トミー・リー・ジョーンズ、アン・ヘイチ他

 さて、火山である。正直に言ってしまおう。思った程、悪いものじゃなかった。
 溶岩がな。

 まあ、考えてみれば仕方のないことなんである。今まで我々が見せられてきたスーパーCGテクノロジーでフィルムに「再現」されたものといえば、恐竜だの竜巻きだの、あるいは「再現」ではなく「幻」にすぎないSFシーンだったりした。当然ながら、どれもが「正解」と云うものがあり得ない。まあ竜巻きは実在するんだが、日本であれだけ巨大な竜巻きは起こらないし、ましてや(アメリカでのように)それをどうこうしなければならない、とゆーものでもなかろう。そういう「実感」という面で、「溢れ出る溶岩」という題材は、日本人の(少なくとも僕の)感性にはマッチした。爆発と共に噴出するマグマは三原山で見せつけられたものだし、雲仙の噴火は、あるいは富士もかくやという不安を僕らに与えずにはいなかった。もちろん、その再現性が高いということもあるのだが、非常に実感がこもって観れた、という気がする。(もっとも、「東京で噴火が起こるかも」なんてレベルの実感ではないが。)

 そんな訳で、溶岩をひとしきり誉めたところで感想の八割は終わりだ。だって映画そのものは・・まあどうでもいいものだ。
 この映画は、溶岩の姿がそうであるようにリアルでなくてはならなかったろう。その割には御都合主義的部分が多すぎてどうにもならない。端役は簡単に燃え上がるのに、主人公は溶岩直上数メートルに宙づりにされても火がつかない。大通りで溶岩をせき止めりゃ路地やビルを通って溢れるだろうが、その気配もない。地下鉄道を走り「行き止まりになると噴火する」はずの溶岩流は「トンネルが崩れれば時間が稼げる」(その時点で噴火しちまわないのか?)。などなど、ちょっと考えればわかりそうな間違い探しがゴロゴロしている(パズル好きにはたまらんかもしれないがな)。これは娯楽映画には違いないが、「インデペンデンス・デイ」とか「フィフス・エレメント」みたいな「大ウソ」が許される類いの物でもあるまい。その辺にかなりの不満を感じざるを得ないのである。(「ロサンゼルス消滅」なんて、宣伝みたいなことにはならないしさ。)

 アメリカの風土それ自体を風刺したようなシーンも多くある(人種問題とか離婚とか)が、それぞれが本来の筋とは遊離してしまってむちゃくちゃみえみえなのである。それが面白い映画もあるのだが、この映画はそうではあるまい。「科学的な」映画と云っても(本来は)過言ではあるまい。そういう映画のラストシーンで、(離婚したばかりの)主人公が娘の前で新しい恋人といちゃついている、とゆーのはどうなんだろうか。(まあ、それがアメリカらしいっちゅーのはあるかもしらんが。)どうも、そういったバランス感覚がよろしくない。お弁当についてたミカンを一緒に温めちまったみたいな、違和感を感じてしまうのだ。もうちょっと、そーゆーサブ・ストーリー的な部分をしっかり作り込んで、うまく本編にからめてほしかったと思う。

 まあ、でも、ひさしぶりに特殊効果が「ハマった」映画ではあった。

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