村上天文同好会ホームページ


会報

「北天」

No.10 (1984年)

 

 ★ 久々のこれがぺルセだ!!
 
★ 84cm登場!’83星空への招待 
 
★ とうとう北天 No.10
 
★ 村天はじめてストーリー
 


写ったぺルセ群

写真班

 事前の周知が完全だったのか、いささかはっきりしないけれど、日時と場所が わかって都合がつけば、けっこうみんな集まるものなのでしょう。この時ばかりは村天の連体を感じうれしく思いました。

 さて、写真班は人数不足を予想し計画から沼澤1人が担当することになっていた。カメラはできるだけ多く、というよりは4連ほどを目安に、あと今回初のこころみとして85mm1.2の大口径レンズにダックVR−1000の高感度フィルムを使い幅射点方向をねらってみるつもりでいた。実際カメラは6台集まり16cm用架台に次のように同架した。
○ペンタックスMX 50mm f1.7
○ペンタックスMX 50mm f1.7
○ニコンF2 50mm f1.8
○キャノンA−1 50mm f1.4・コダック トライXフィルム
○キャノンAE−1+P 50mm f1.4
○キャノンF−1 85mm f1.2(開)・コダック VR−1000

 観測は、12/13と12/14と行い、撮影方法は24時00分から開始し露出は9分30秒?30秒でチャージ(実際はほぼ10秒)10分00秒から露出〜これをくりかえし、50分〜25時00分の間は休む。つまり1時間に5カット(各カメラ)撮ることになるが、6コマ目を空写しして、6コマ単位の目印とする。のくり返し。

 2日間、5連カメラは計160カットを撮影し、19個の流星をとらえた。
○現像はトライ−X パンド−ル(1:1)23°C13分で一定
 その中で12日27時13分01秒の流星(表紙)が最良(最大)のものである。この流星は、同時刻、『星空への招待』会場で富岡さんがキャッチしておられるというので一報して写真を送った。又、今回の目的の一つである新潟三点の同時観測−新潟上空100��−については、カメラを向けていたわけだが目ぼしい流星は流れなかった。なお、いくつかの流星については、今後、新潟天文研究会、その他のグループのデータと合わせ何らかの結果がでるかもしれない。

 さて初のこころみ85mmF1.2非球面レンズ+VR1000の軸射点写真であるが、これは、おどろくべき結果をもたらした。何と全32カット中、写った流星は16個、2コマに一つの割合ということになる。しかも、ほとんどが群であち合成すると別項の様に、かなりの精度で幅射点が求まる。 ただ、f1.2レンズではフィルムの平面性が大きく影響する。今回の写真のほとんどが1コマ中でどこか一部ボケていた。この問題解決が今後の課題である。
 とにかく、この軸射点写真は他の5連より意味があるのではないか、F1.2の大口径レンズプラス新種王SO−1000カラーネガフィルムの威力ともいえる。他の群についてもこれからトライしてみよう。85mmレンズによる軸射点は P7

今回ふりかえって 写真班

○人数が足りない。1人では6本のレリーズを同時におせない。
○準備の時間をもつととらなければならない。1日目準備に手間どった。
○今回は全カメラにカイロを付けた。昨年までの反省がやっと生かせた。
○16cm架台は実に安心して使えた。
○観測前もっとねむっておきたかった。
○連日、観測と仕事で体がもたない。
○私にとっては遠いが胎内平はよい所だ。

’83ペルセウス座流星群観測報告


夏だ!お盆だ!流星群!

 ’80年以来の絶好の条件の中、今年も8月11/12・12/13・13/14の3日にわたり。恒例ペルセウス座流星群の観測が行われました。
昨年は『星空への招待』で宴会観測となってしまいデータどころのさわぎではなかったので、今回は本来の『SKY WATCHER』精神を取りもどそうと、『星空への招待』は沼澤・伊藤が顔見せに10/11日参加しただけで、11日の夜からは、地元にもどって来てもらい北蒲原郡黒川村胎内平での観測となりました。
 さて、ペルセウス座流星群のここ数年の動きはというと、’82年母彗星スウィフト・タットル彗星の120年ぶりの回帰ということで大出現を期待させましたが肩すかしをくらって、HR60程度と結局’80年から減少の一途をたどり、今年はさらに減少かと予想されましたが、まあまあの出現だったようです。それにしても母彗星はどうしてしまったのか、周期の計算に20年ぐらいの誤差はあっても不思議はないと言うことなので、今後数年は、あたたかく見守っていきたいと思います。
 まあとにかく病気の3日間でしたが月齢・天候にも恵まれ充実した活動内容だったと思います。仕事を持っている人が大半のなってきた中、みなさんごくろうさまでした。”来年もやっていいかな!”..”・・・・。”
 ちなみに今回の観測に参加した会員12名、会員総数28名
 出現率=42.9%でした。



眼視班

8月11日

参加者、沼澤茂美、脇屋奈々代、本間康之、伊藤富士夫、松田隆、斉藤美穂子。計6名。何時かは憶えていない。私が沼沢氏より一足早く胎内平に着いた時、3人で苦しい雰囲気につつまれていた。1時間くらいして、沼沢氏と脇屋氏が到着。あいにくの悪条件。その場で仮眠。朝方解放。

8月12日

参加者、沼沢茂美、脇屋奈々代、沢渡智恵美、佐藤啓昭、須釜サチ子、本間康之、伊藤富士夫、鈴木龍雄、斉藤美穂子。計9名。

8月13日

参加者、沼沢茂美、脇屋奈々代、佐藤啓昭、本間康之、伊藤富士夫、長良樹、鈴木龍雄、松田隆、丸山由実子、斉藤美穂子。計10名。

反省点っとして、独断と偏見で言わしてもらえば、
1.人数不足。眼視には最低10人欲しい。これによって次項の練習不足はある程度
カバーできるはずだ。
2.練習不足。これについてはいくるか細分がある。

その1、なにより、データ用紙に、観測時刻(○○日○○時○○分〜○○日・・・)がまず入力されていなかった。(統計をとる時、伊藤氏と本間氏が大変苦労した。)
その2.星座のわからない人がいること。
その3.個人差が大きいこと。
その4.一流星を観測してから用紙にデータを書き終えるまで時間がかかりすぎる。
その5.観測者のエリアがはっきりしない。人のところの流星に気をとられすぎる人が多い。
3.観測開始時間がいまひとつ遅かった。
大きく分けてこのぐらいだろうと思う。またこれとは別に、個人的に頭に来たことを言わせてもらうと2つある。一つは、松田氏が相変わらず、どこかぬけていたことだ。ライトあびせても大声で呼んでも、一向に気付かぬようで、ちょっと会場一周しただけで帰ってしまうとは。後で本人に聞いたら、ライトあびせられたのはわかったというから始末が悪い。はっきり言って私は驚いた。あきれた。絶句した。本当の馬鹿とはあいうのことを言うのではないかと、その場に居合わせた全員が思ったに違いない。本当に奴はどっかおかしい。また、もう一つは、根性が無く途中で寝てしまった人が2人ほどいたことだ。気持ちはわからないではないけれども、他のメンバーだって、がまんして頑張っているのに、これはない、と思う。もう少し気合いを入れてやってほしかった。欲を言えばきりがなかったが、私としては、何年ぶりに眼視が成功したことが嬉しい。失礼だが、この人は参加できないだろうと思っていた人が来てくれたことや、条件のいいときに晴れてくれたこと、久々に同好会で観測会をしたという気分になったこと、本当に嬉しかった。欲は言わない。この次は、も少し大勢でやりたいものだ。

by F.Ito




ぼくの火星はじめて物語と村天の胎動&十五夜様ストーリィー

T.MUROHASHI
 
 9センチ反射経緯台で見たそれは、まるで線香花火の火玉のやうであった。プルプルゆれて小さくて・・・。もっとよく百科事典にのってるような像を期待していたのだが、極冠の白いのがチラッと見えたかなあという程度のものであったが、ともかく極冠の白いとこをスケッチした。めげずに5分、10分とプルプルゆれる火星をのぞきこんでいると、指でつまむとぶにょっとつぶれる様な気がしてきた。そのうちに横じまのようなものをかすかに見えた様な気がしたときは、うれしくなった。スケッチはタイトルにあるのとさほだど変化はない。つまり大ざっぱなのである。晴がつづき毎晩近くのグランドに出かける。火星をずっとみているとだんだん様子がはっきりしてきた。それではスケッチをと思った時、まわりが明るくなってきた。(火星の)グランドのカクテル光線がついたのである。火星の観測をつづけていたある日、弁当に火星がはいっていたのだ、これにはおどろいた。火星人はタコだから酢のものとか刺身で食べられるが、火星本星が食用にな
るとは思わなかった。少しこうばしかった。少し焦げがついているからである。そして油がのっていた。ぼくの弁当ばこは、四次元ポケットでもブラックホールでもない。弁当のおかずの火星の正体は、日本水産のソーセージの炒めものだったのである。弁当箱宇宙論はこれを起点としてはじまった。内包する宇宙というか、ひょっとするとアインシュタインもびっくりの大統一場理論のはしがけになるかもしれない。ブルーバックスを手あたりしだいに読みすすめてるうちに、アホなあつまりができた。『てんかん』という集まりで、天体観測及び相対論、UFOに関することを話す会のちぢめていってみただ
けなのである。4名の会員は、土曜日ごとに集まって時とは何かとか、光速の99、9999%でベガまで行くと宇宙船の中の人は年をとるかとか、三島由起夫が自殺したなあとか、やっていたのである。そうこうしているうちにジャコビニ流星群がやってきたのである。
 ここでぼくは運命的な出合いをするのである。夜諸上寺公園につくと、だれかがやっけをきて寝ているのである。この人はあとでラムカ観測をしていた。渡辺洋一(子供1人ユウキ君、おくさん真理子さん)とわかった。平山浩もいた。平山君は自作望遠鏡を写真にとって天文ガイドにのった村上ではじめての人である(と思う)のちに同じ望遠鏡をおんちゃまにゆずり、『兄のつくってくれた望遠鏡』いうみだしで天文ガイドにのったという記憶は鮮明である。
 この出合いがなければ村天は生まれなかった(・・・かもしれない。)カメラを空に向け、花火で遊んでいた。人がいたが、つかれて朝までねむってしまい、朝日がカメラにさしこんできたころ起きて、十数時間にわたる連続露出をパーにしてしまった。
 数年たち、村上高校に産休あけの美人教師木村澄枝というまるで芸名のような名前の先生が来て、地学の時間に地学サークルをつくりませうとよびかけ、40名くらい集まった。いろいろの活動の未クラブになり予算もたくさん出た。天文班の活動も黒点観測が主だったが本年の村高学園祭でも当時の記録が残っていた。
 ウェスト彗星が来たりさまざまな天体現象があり、だれ集まるとなしに村上天文同好会ができた気がする。
 よくブルース・リーのまねをして『アチョー』といっていた沼沢はドラゴンというあだなで親しまれた。そのドラゴンが学園祭のときに一晩でプラネタリウムの原稿を書きテープに録音してきたのには驚いた。そのテープは現在、ぼくのところとドラゴン(NUMAZAWA)のところにある。
 地学クラブにはいるまえ電波部というやくざな道にまよいこんだ。ぼくは、足をなかなか洗えず、地学部とかけもちになっていた。その後遺症が今も続き。マイコンで日食シュミレーションをやったりハレー彗星の予想などというくらい生活をしたりしている。そのたたりがまた来年きそうだ。ぺルセで3点同時観測のため3点を無線でつなぐというたたりだ。ナムアミダブツ・・・。

 最近の小学生は月を見てお月様とはいわない。月というのである。そういう人には月見そばを食べてもらいたくない。こんど月面そばというのを考えた。うずらの玉子をゆで玉子にして、からごと入れるのだ。うずらの月面そば、なかなかいいアイディアだと思う。ソーセージのあの火星にまさるともおとらない。こんなことを書いていたら幼少のころのお月様は、もっと大きかったような感じをうけたのを思い出した。夕日も今の何倍も大きかったようなそんな感じだ。
 月面スケッチもすばらしいけれど、だんごを食べたり、お月様をとおして、秋の風情を味わってみたらどうでしょう。



84cm登場!’83星空への招待

 今回のペルセウス座流星群観測(浄土平)は、行きはよいよい帰りはこわいっというやつで、行きは沼沢氏につれていってもらい、帰りは、帰りのバス代や電車代もてきとうに考え、あてずっぽでどうにか帰ってこられた!っというかんかくであり、13日はまだ帰って来た!!という実感がない!!まだテントの中の気分であった。そして数日後沼沢氏にくだらなくていいのでっと原稿をかけっといわれ、佐野氏に「おまえ先に書けてみせてくれ」っといったのだがなんだかんだでぼくが先に書いている今日このごろです。
 話はだいぶ変わり、10日の日、会場についておどろいたことには、もうだいぶの人がいることだった。そしてテントをはり、P-2を出し、くみたてようとすると、ない!ネジがない!沼沢氏にかりるしかない!!っとガチャゴチャやって、ようやくおわり、メシの用意。まず1日めはカップラーメン1ケ60秒ヌードルだった。・・・・・メシを食べながら、「会場までよく生きてこられた」などとつくずく思った。なぜかといいますとヘアピンカーブで頭を打ち、しまいには、ウサギだ!タヌキだ!などとわめいてブレーキをかけている。しまいにはタコだー!イカだー!クジラだー!のおっとっと!をにぎりしめているしまつ・・・・そしてこんなことをかんがえながら第2会場へ行き、写真をとった。そして、大きな流星がとぶと、ワンテンポおくれて、はくしゅかっさい「ワーワー」「ピーピー」
っとうるさい、そして、また眼視観測をつづける。・・・・・「あっながれた」「何座?」っと沼沢氏が聞くと、わからないやつが(ひとのことはいえないが)「エート」などといっているあいだに言うことをわすれてしまうのだろう。話がてきとうにきこえてくることがある。そして一人、二人ねていく(富氏夫氏はさいしょからねていたので人数に入れていない)沼沢氏もうとうとしはじめねてしまった。一時半ごろである。そして二人になり、それでも記録はぼくがとることになり、つづけられた。流星は10個流れると五分くらい流れなくなる。また五分くらいたつとながれる。そしてあたりにきこえるのはシャッターの音、そこえ「ブルルルルー」っと車のおとがきこえた。(みんながねてしまうまえも何回かあったが)そして光がさしこむ。そうするとあのしずけさはどこえ行ったのかと思われるほどうるさくなる。「写真撮ってんだぞー!!」「バカー!!」そしてそこにぼくが一言くわえる。「このヤロー!タコにするぞー!!」「おダコにするぞー!!」などという。なぜか知らんか゛ところどころでわらう声がする。そして2時ごろ、もう一人がうとうとしはじめた。「あと何分」「30分」などと話をしていると、ながれる、ながれる、流星がながれる。おましろうようにながれる。そしてあと10分でおしまいっていったときに沼沢氏が起きだした。「そろっとやめるか」「あとすこし」「富士夫まだねとるのかー」と沼沢氏がいう「あとでなんかおごらせよう」とHirosh氏、話がまとまりわが4人(沼沢氏と富士夫氏をぬけて)はテントへかえった。そして「さって星雲ても見るか」とHirosh氏がいったところ3人とも「おやすみなさーい」とつめたい。そして僕一人いじけながら見ていると、女の子のお客、ぼくのところへ!カンゲキ「星みせてー」ときたので、「まっいいか」っと思ったとたん返事もしないうちにP-2をつかわれた。そして、一時間くらい見て感動しながらねようとテントへもぐりこみゴロリっ ところが、ねるところがない。それでもむりやりもぐりこみ、ようやくねれた。
 佐野氏の朝は、おそろしく早かった。というわけで2日めに入るのであった。(11日の朝一番最初に思った事は、「あっ佐野が行方不明になった!」ということだった。この日の10時ころまで彼の行方がわからなかった!次の日から沼沢氏と富士夫氏はいなく、
ホタテをもって帰られてしまった。その次84cmの大望遠鏡がついた。チロの銅像もついた。望遠鏡の鏡は固定ざいでとめてあるだけでいつ鏡がおちるのかわからない。そして、その日の真夜中、84cmのボルトを1本僕がしめた。なぜ1本しかしめられなかったかというと、どっかのおっさんが「あまりやらんでくれーおれたちの分がなくなる!」
(これはたてまえだと僕は思う!!本音はこわれるとわるい!!ってところだろー)
そして2時すぎ佐野氏と、他の2名は、ねてしまった。だが、ぼくは、その日からいっそう燃えていた。!! 3時になってもビクともしない。3時半、コーヒーのおしうりがきたが、そのゆうわくにまけなかった! しかし4時、うとうとした。ダウン 日の出を見ながらテントの中へ ゴツリ! ゴツリ! ゴキブリみたい。 またねるところがない!
!っと思いながらも、ね場所をつくるのだった そして3日目をむかえるのだった。

 次の日の朝 またもやカップラーメン(パンつりもあったらしいがねていたのでわからなかった。)そして昼、2人組の1人をまくらにねていた。そして、夜、またしても84cmネジを一本しめて組み立ておわったのでアンドロメダ星雲を見た。それは想像をこえるほど明るかったが、でもあまりパッとしない。2人組は、ねむっていらい、まだ目をさまさない。だが佐野氏は、まだ起きている。そして見たあと写真を撮った。そして真夜中2人組がゴソゴソやってきた。そしてカメラをPー2につけて。シャッターをあけっぱなしにして、ボケーとしている。3時半ごろ2人組の目がやっとさめて目がギラギラしているのに、僕だけトローっとしてきた。フィルムもなくなった。ねるか!!ということでぼくだけねた。9時ごろみんなに起こされて、きのう僕がねたあとの話をきくと・・・・・僕を指さし『変死体だー!』といって顔にぬのをかけておいたところ、ぼくは息ぐるしくなってのたうち回っていたみたいだった。もがきまわっているうちに、ぬのが顔から落ちた。でもまたぬのをかぶせた。そしたらまたのたうちまわっていた。・・・・という話をきいて自分で自分のことをわらっていた。ところで話はかわるが、元プラネタリウムの山崎がいて、ぼくが大いりぶくろのことを話すと『はやくその金よこしてくれよー』と、もんくをつけた。
 そんなことしるかー
っということで、まじめに観測したのは二名ぐらいでしょっちゅうねていたのが一名と、10日に来て寝て帰ったのが一名、(富士夫氏のことじゃ〜)ボケーっとしているのが一名という星空への〜であった。   
注、2人組とは、野本氏と武田氏。

沼沢賞!?
沼沢賞、その存在は知っている人は少なくないと思うがどうなるのか?
沼沢賞とは沼沢氏がかいた絵で『木星』である。この絵、会場での商品の発表があったとき・・・・『新潟の郵便貯金会館プラネタリウムからの賞もあります』『わ〜わ〜わ〜』いうようなかんじ。いがいとどんな商品かもわからない人がまぎれて『わーわー』言っていただけの感じである。この賞品は14日僕たちの帰ったあ発表がああたのでよくわからないが説によると小石川さんがだだをこねて『これちょう〜だい?』『だーめ?』ということで小石川さんがうばっていったのでは?と思われている!?

 by Hiroshi Hanawa


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