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1998 村上天文同好会特別ページ
★ ジャコビニ群観測成功。JPLは群馬、伊藤班は長野、澤渡は新潟で観測。室橋、沼和は大雨に遭遇
★ 今回の反省をふまえ「しし群」に全力投球!!簡単な予備知識はJPLのコーナーを見て下さい。
ジャコビニ流星群観測資料
驚くべき10月の流星雨
By Joe Rao
Sky & Telescopeより脇屋訳
1933年10月9日のジャコビニ流星群は、ヨーロッパ中で目撃されました。ドラコニズとも呼ばれるこの流星群は龍座の頭付近から出現します。
流星の観測はリラックスでき、楽しむことが出来るにもかかわらず、潜在的に、劇的な現象でもあります。その魅力の1つは予想できないことにあるでしょう。 しかしながら、現在は、いくつかの具体的な予測を可能にしています。特に、ここでとりあげる2つの周期彗星については、異常な流星活動を伴う可能性のあることを示しています。
55P/Tempel-Tuttle彗星によって引き起こされる「しし座流星雨」については最も多くの予測が出されています。今年の11月17日あるいは18日の朝、あるいは1999年11月18日朝、1966年地球を覆ったような流星雨を再び見ることが出来るでしょう。
しし群のピークは1-2時間以上は続かないでしょう。しし座流星群が今年にあたるなら、東アジアは早朝流星を見ることになりますし、来年なら、東ヨーロッパと中央アジアが最も好ましい条件となります。しかし、予報は2-3時間の不確定さを持っているので、どこかが最良の場所となるでしょう。詳しいことは11月号に載る予定です。
しかし、もう1つの流星群がこっそりと近づいており、予期せぬ華麗なショウを見せてくれるかもしれません。
10月のジャコビニ流星群
周期彗星 21P/Giacobini-Zinner彗星から生まれるジャコビニ流星群は今世紀、2回、素晴らしい出現を見せました。1933年と1946年のことです。それよりも小規模な出現が1926年、1952年、1985年に見られました。
ほとんどの年、ジャコビニ流星群はほとんど出現を見せません。地球がGiacobini-Zinner彗星の軌道の内側を、彗星から少し遅れて通過したときにのみ、激しい流星群が見られるのです。明らかに、流星雨の原因となる流星物質は彗星の中心核から比較的近年放出されたものでだと考えられます。それらは、彗星の軌道全体にわたって散乱されるほどの時を経ていないわけです。流星物質は彗星からそれほど遠くまで先行していない、彗星の背後にある薄いリボンの中にそのまま残っています。
この理由ゆえに、流星観測グループは、彗星が回帰し、地球がそのそばを通る年、特殊な観測を計画しています。1998年10月、それは再び起こると予測されます。しかし、歴史が示すとおり、あなたは劇的な流星群に遭遇するかもしれないし、たった1個のジャコビニ流星群しか見ることができないかも知れません。
我々は現在、回帰してきたジャコビニ・ジンナー彗星が13等級であるのを観測しています。この彗星は1900年12月20日、フランスのニース天文台のM.
Giacobiniによって発見され、1913年10月23日、ドイツBambergのRemeis ObservatoryのErnst
Zinnerによって、再び、独立して発見されました。
軌道の変遷
Giacobini-Zinner彗星は6.6年の周期を持ち、遠日点は木星軌道のすぐ外側にあります。これは、この彗星が木星族に所属していることを意味しています。木星の重力の影響はこの彗星を我々が今日見る軌道へと変化させました。また、木星の強い重力はGiacobini-Zinner彗星の軌道を少しづつ乱し続けています。
流星物質は、軌道面内に薄いシートを形成します。地球がこの面につっこむと流星群を見るチャンスを得ることになります。我々が素晴らしいジャコビニ流星群に遭遇するか、まったく見えないかは、我々がどこを通過するかによってきまります。
私の計算は20世紀の間、Giacobini-Zinner彗星は、地球が流星群に遭遇するかどうかに影響を与えた、3回の著しい摂動を受けてきたことを示しています。
最初は、1910年2月、彗星が木星から1天文単位以内を通過したときに起こりました。この遭遇は彗星の近日点距離をわずかに増大させ、その軌道を地球の方へと引っ張り、流星群出現をもたらしました。
その後、1958年1月、彗星は木星から0.93天文単位以内のところを通過し、この遭遇は彗星の軌道を少し太陽よりに調整しました。彗星軌道と地球の距離はかなり増大し、ジャコビニ流星群は完全に地球の空から姿を消しました。
1969年9月、Giacobini-Zinner彗星は木星に0.58天文単位まで接近し、今世紀で最も木星に近づきました。この最も新しい摂動は彗星を地球に近づけました。そして、その後、ジャコビニ流星群は再び出現するようになったのです。
過去の出現状況
●1926年
地球とジャコビニ・ジンナー彗星の軌道はほとんど交わっており、その距離は0.0005 天文単位
(75,000 km)でしかありませんでした。もし2つの天体が同時にこの交点に到達するなら、彗星による大仕掛けな見せ物は空を燃え上がらせるでしょう!
地球は彗星に先駆けること69.1日にこの点を通過しました。しかし、この交差した領域は不発ではないことが明らかとなりました。
Stowmarket, Englandからの3時間にわたる観測に関して、勤勉なイギリスの観測者John
P. M. Prenticeは1時間に17個の流星を観測したと報告しています。しかしながら、What stole
the show over the British島ではたくさんの人々がジャコビニ群の火球に気付きました。流星はゆっくり動き、空を明るくし、30分間も存続した永続痕を残しました。
●1933年
最初のジャコビニ流星雨の出現は、1933年10月9日ヨーロッパの夕方に起こりました。 この日、地球は彗星の軌道面の内側を、軌道から0.0054天文単位(810,000
km) のところを通過したことになります。彗星に遅れること80.2日後のことでした。天文学者は何の準備もしていませんでしたが、夜のとばりがおりたとき、ヨーロッパ中の観測者は異常な出来事の始まりに気付きました。1時間もしない内に流星の数は劇的に増加し、20:08
UTまでに、今世紀で最良の流星雨の1つがピークに達しました。1時間に6000個以上の流星の出現が多くの観測者によって報告されました。最も数の追い報告は、Birchircara,
MaltaのR. Forbes-Bentleyによるものであり、1分間に480個というものでした。
その後1時間で流星数はピーク時の1/10に戻っています。流星雨はアメリカ東部に夜が訪れた3時間には完全に終了しました。流星雨の流星はゆっくりで、かなり暗く、黄色い色をしていたと記述されています。
●1939年
1939年10月、Giacobini-Zinner彗星の次の回帰の時、地球は彗星軌道の内側0.0013天文単位
(190,000 km) を通過することから、再び流星雨が見られることが期待されました。しかし、この時、地球は彗星に先駆けること136.2日前に交点に到達し・・・弱い活動さえも見せませんでした。
●1946年
この年、素晴らしいアウトバーストがセッティングされました。北アメリカ時間で10月9日の夕方、地球はGiacobini-Zinner彗星の軌道の内側を通過しました。2つの軌道の距離は0.0015
天文単位 (220,000 km) 、彗星から15日遅れて交点を通過したことになります。不幸にも、満月の夜であり、「月は流星の多くを消し去るだろう。」と1946
年10月号のSky and Telescope誌の中でRoy K. Marshallは述べていました。 また、皮肉を交えて、「我々は1時間に1000個くらいしか見られないだろう。」と言っています。この時、雑誌の指摘したとおり、ジャコビニ流星雨のタイミングはアメリカ人にとって最良のものでした。Sky
and Telescope は詳しい観測指示を発表しました。差し迫った流星雨は新聞などで報道され、世間の注目を集めました。ニューヨークタイムスは、10月7日号で、出現の2日前に、1面で記事を掲載しました。
天気が最大の問題でした。フロリダのハリケーンの名残がアメリカの東部のほとんどを雲でおおい、ちぎれた雲が中部アメリカを悩ませました。西部はほぼ良い天気に恵まれました。しかし、雲のすき間から流星雨を見ようと切望していた観測者達は失望させられることはなかったのです。
流星活動は暗くなったあと活発になり、3:50 UT頃、鋭いピークに達しました。満月にもかかわらず、この時、1分間に50-100個の流星が数えられました。
「 空の1/4の領域に流星が何も見られないということはなかった。」とSky and Telescopeへの手紙には書かれています。シカゴでは、Adler
PlanetariumのディレクターであるWagner Schlesingerが10分間に149個の「閃光を放つ投射物」を数えました。月光に照らされた空の80%が雲に覆われていたことを考えるとき、これは悪くない数字でしょう。Schlesingerは、雲を通して2つの明るい流星の輝きを見たといっています。
セントルイスでは、American Meteor Societyの地方のディレクターであるEdward M. Brooks
and Edwin E. Fritonが、小型の吹雪における雪片のような空を覆う高積雲にあいた穴を通して、たくさんのフラッシュを見ました。5時間の間に、Isabel
K. Williamsonの監督下にあったカナダの観測者達は、2000個を越える流星を数えました。
彼らは、選択領域のみを見る特別に作られたリングを用いて観測していたので(ラムカ法)、今日の標準的な方法を用いて得られる数よりもはるかに少なかったのです。
ABCラジオは予想されたピーク時間に、流星群についての15分間のライブ放送を計画していました。この賭けは、見事に現実しました。国全体にわたるラジオのリスナーは、流星群を自分自身で見るために大急ぎで外へでたといいます。雲の層の上に出るために、Sky
and Telescopeの編集者は観測が出来るクリアーなドームを持った2機のCoast Guardの飛行機に乗るHarvard大の天文学者に合流しました。
1933年の出現の時と同じく、1946年のジャコビニ流星群のピークはたった1時間ほどしかありませんでした。そこで、流星物質の幅は、地球の動く方向へ15万キロ以下と決定されました。観測者達は、流星が大気内の異常に高いところで出現すること、活動はすばやく減速すること、異常に短い痕を持つことを発見しました。これらの観測から、ジャコビニ流星群は主に、大変もろい、低密度の流星物質から成っていると我々は推測することが出来ます。
技術的に画期的な事件は、レーダー・エコー技術による流星群の検出でした。これらの観測の多くは、第2次世界大戦で作られたものであり、流星用に特別に改造されたものです。
戦争の間に、流星が受信機に特徴的な口笛を鳴らすことが発見されました。流星が上層大気にぶつかると、それは熱く電離した空気をその軌跡に残します。これが、我々の見る明るい光の線です。電離した円柱はそれを作った破片よりははるかに大きく、おそらく、最初2-3メートルあるでしょう。それは1-2秒の間に1キロ以上に膨張します。電離したガスは電気を作るので、金属の飛行機体のように電波を反射し、レーダーに検出されるのです。
●1952年
レーダーは、次の彗星の回帰の年1952年にジャコビニ流星群の大出現を検出しました。この年、地球は彗星に先行すること195.5日前に降交点を通過したため、天文学者は顕著な活動を期待してはいませんでした。実際、眼視では、ほんのわずかな流星の活動のヒントが観測されたのみです。しかし、イギリスのJodrell
Bank天文台では、電波エコーの観測装置が、突然、2時間の流星活動をを示しました。10月9日の昼間のことでした。それは、1946年に比べてはるかに少ないものでしたが、地球と彗星の幾何学的な位置を考えると、それは注目に値するものでした。
最近の流星群
ジャコビニ流星群の活動は、最近では1972年と1985年に観測されました。期待は、1972年には特に高まりました。
●1972年
地球とジャコビニ・ジンナー彗星の軌道が0.00074 天文単位(110,000km) しかはなれていなかったばかりでなく、地球は、軌道の交点を彗星に遅れることたった58.5日で通過したからです。多くの人が1933年と1946年の活動の再来を自信を持って予言しました。極大のタイミングは東アジアが最良でしたが、霧と低空の雲がこの領域を幅広く覆っていました。それでもなお、日本のRadio
Research Laboratoryの平磯天文台がピークを検出し、この時、10分間に84個のレーダー・エコーを検出しました。
どこでも、眼視観測では大きな失望をもたらしました。ほんの数個の流星が観測されただけだったのです。おそらく、この時、地球は彗星軌道のわずかに外側を通過したことがこの違いを生んだのでしょう。流星物質は一般に、母彗星からこぼれ落ちた後、太陽に向かって内側へと動くからです。
●1985
これに対して、1985年の見通しは有望ではなありませんでした。地球は、交点を彗星に遅れることほんの26.5日で通過するが、惑星の摂動は2つの軌道を1933年の時の6倍、1946年の時の20倍も遠方へと引き離していました。事実、世界のほとんどでは小さな活動しか目撃しませんでした。
しかし、日本の観測者達は正しい時刻にそれを見る正しい場所を偶然得ていました。彼らは10月8日9:40
UTころ、激しい活動を目撃しました。世界で最も勤勉な流星観測者の1人薮保男氏は、薄明の直後、流星数が1時間に200個へとすばやく衰えて行くのを報告しています。20分後には、流星数は100へと低下しました。ZHRへの修正は、600から800のピークがあったことを示唆しています。(ZHRは、6.5等級の星まで肉眼で見ることが出来るほど空が充分に暗く、輻射点が天頂にあったとき、1人の観測者が1時間に見ることの出来る流星の数を表す。)
Nippon Meteor Societyの長谷川一郎氏は、後に、1985年のジャコビニ流星群を「私が見た中では最も深い感銘を得たイベント」と言っています。イギリスの白昼のレーダー観測の結果もまた、注目に値する活動を示していました。
●1998年の複雑な予想●
1985年、NASAのJet Propulsion LaboratoryのDonald K. Yeomansは次の事実から著しいジャコビニ流星群の出現を示唆しました。
地球は、彗星の降交点まで、ジャコビニ・ジンナー彗星にぴったりと従う。
地球は彗星軌道に近づく。
地球は彗星軌道のすぐ内側を通過する。
1998年のジャコビニ流星群について、いくつかの良いニュースと悪いニュースがあります。良いニュースとしては、降交点において、地球は、未だ、彗星軌道の内側にいるということです。その軌道の間隔は1985年以来広がっていますが、未だそれほど大きなものではなく、0.0383天文単位(5,730,000km)です。しかしながら、最も重要な違いは、地球はこの降交点を彗星に先駆けること49.5日前に通過するということです。「この違いがどのように働くかを評価するのは大変難しい。」とオランダの流星の専門家であるMarco
Langbroekは述べています。「 すべてか、あるいは、何もない、かの違いかもしれない。」
何が起こるかを遠近法的に見るために、次の図について述べてみましょう。降交点における2つの軌道の間の距離は垂直方向で示されており、彗星よりどれくらい先に、あるいは後にこの点を地球が通過するかを横軸で示しています。17回の彗星の回帰について図に示されています。1933年、1946年1985年の主な流星群出現は「starburst」として示されています。それより出現数の少ないものは黒い点で、まったく見られなかったり、それに近かったときは白い丸で示してあります。
●いつ、どこで●
今年の場合は、10月8日の夕方にあたる、ヨーロッパ、あるいは西アジアが最もチャンスがある地域と思われます。
多くの流星群とは違って、ジャコビニ流星群は真夜中過ぎよりもむしろ、夕方の方が見やすいでしょう。その輻射点はりゅう座の頭近くにあります。この点は、北半球の中緯度地方で、夕方暗くなった後、最も空高くのぼります。それは夜が更けるにしたがって低くなって行き、夜明け前に地平線近くなります。
今年、地球はジャコビニ・ジンナー彗星の軌道を10月8日20:53 UTに通過します。この時、西部ヨーロッパが夕方を迎えています。しかし、1985年、活動のピークは、近日点通過の3時間?以上前に起こっています。流星物質は摂動によって彗星の軌道面のすぐ外側に移動させられているに違いありません。1998年にもこれが繰り返されるなら、ピークは17:20
UT近くであり、西アジアと東ヨーロッパ、東地中海地方が最良の観測条件となります。
北アメリカは、夜のとばりが大西洋を覆った後、ジャコビニの活動から数時間後に最良の眺めを得ることになるでしょう。月は半月よりも膨らんだ状態で、それは午後9時頃のぼってきます。幸運にも、北半球の中緯度地方では薄明終了から月の出までに60-90分の闇を持つところがあります。
暗くなり次第空の観察を始めましょう。特別な装置は必要ありません。開けた空と、リクライニング・チェアー、時計、ジャコビニ流星群の活動を記録するためにノート、テープレコーダーがあればよいでしょう。予報されている輻射点位置は赤経17h
22m、赤緯 +57°、りゅう座の頭近くです。流星群のメンバーはこの点を中心に出現する。科学的な係数観測をどのようにして行い、どのようにして報告するかについては、1997年8月号90ページを見るか、我々のウェッブサイトを見て下さい。
輻射点の位置から、この流星群は、時折、Draconidsとも呼ばれています。 イギリスの流星天文学者Alastair
McBeathは、「我々の中の詩人はこれらを龍の涙、あるいは猛火の息と考えたがっている」と述べています。
Draconidsと呼ばれるすべての流星 (いくつかの流星群が同じな眼を持っている)が、太陽系の公転面にほぼ垂直に、北から降ってきます。黄道の北極はりゅう座にります。この流星達はゆっくり動き、地球につっこんでくる速度はすべての流星群の中で最も遅く、20
km/sしかありません。「1998年、龍は燃え上がるだろうか?」とMcBeathは尋ねました。
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