sabakiのたわ言集。比較的大上段に構えた主張をまとめてあります。随時更新。
INDEX
格闘技でも、室内競技でも、対戦型の競技で必ず論じられるのが、「史上最強」である。碁の史上最強としては、私は迷わず趙治勲を挙げたい。高段者などから、「エーッ!?」という異論もあがろうかと思うが、これには注釈がいる。
格闘技の場合、「史上最強」とは、一番勝つ人をさすが、碁の場合は、少なくとも私が言っている意味においては必ずしもそうはならない。私がいう「史上最強」とは、いわゆる力の強さのことであり、インファイトの雄はだれか、という意味である。碁で一番勝つ人は、「史上最高」という言葉で表すこととしたい(こちらの方は、実はあまり興味がない)。
さて、それにしても趙治勲が「史上最強のインファイター」ということにも多くの異論があろう。彼は、どちらかいうと「現代最高」の棋士ではないか、という見方の方が一見妥当である。実際、メジャータイトルである「棋聖」「名人」「本因坊」を独占し、ことに「本因坊」については、前人未踏の10連覇を成し遂げている。そしてその棋風は、典型的なシノギ型であり、相手の石を取りにいくようなことはなく、むしろ逆に攻められてばかりいる碁である。ボクシングでいえば、「ボクサータイプ」の典型のように見える。彼自身も、著書『シノギの真髄』のはしがきで、「碁は、シノいでばかりいても、一回も攻めなくても勝てるという、不思議なゲームなのです」などといっている。しかし、ここにひとつの逆説がある。「攻める」とはどういうことか。通常、碁で「攻める」といえば、究極的には石を取ることにつながる行為=相手の石を攻めることをさす。無論、本当に取りにいくのは稀(一般的には、本気でトリカケにいかねばならないような場合は負けいくさである)であるが、相手が石を活きるために地を損するような手、働きのない手を打つことを強いることで、利得をはかることを、攻めという。しかし、本当に「攻める」ということは、そういうことなのだろうか。趙治勲は、別の著書『カベ攻めの極意』で、しきりに「モヨウを攻める」ことを強調している。上述の意味の「攻め」をあてはめて解釈したら意味不明である。この場合の「攻め」は、相手のモヨウの弱点をついて、モヨウが巨大地になることを妨げ、同時に自らの石はさしたる損もなくシノごうということなのである。碁が究極的に地を争うゲームである以上、「攻める」=「ポイントを上げる」こととは、じつはこういうことをいうのではないか。趙治勲の「シノギ」は、あきらかに他のシノギ型棋士とスタンスが違う。常に「攻め」を意識しているのである。相手の弱点をついてシノぐのは他の棋士もそうだが、これが常に攻めを考えているかというと、決してそんなことはない。ある碁で、相手のモヨウに単身突入しておいて、局後の感想戦で「このモヨウを攻めることばかり考えていた」と言い、「なんてひどいことをいう人なんだ」と相手を嘆かせている。こんな打ち方をできる人は、実際にものすごい戦闘力を必要とする。彼の戦闘力のすさまじさは、実際に序盤で乱戦になった碁での強さを見ればわかる。たとえば小林覚から棋聖位を奪回した7番勝負での星から小ゲイマガカリへのツケにハネコんでからの乱戦や、とりわけ対淡路修三戦(私はこれを現在の最高の好カードだと思っている)を見ればよい。ある雑誌で使っていた言葉を借りれば、趙治勲のシノギは、まさに「力のシノギ」なのである。
最近やらなくなったが、4歳の子供に碁を教えはじめた。9路盤の9子からはじめて、だんだん覚えていくうちに置石を減らし、なんとか4子までにした。しかしそこで疑問に思ったのが、このテーマである。いろいろやってみたが、どうも私の結論は「力量互角ならば白活きなし」に固まりつつあるが、自信を持って断言することもできない。例えば白が趙治勲で黒が私であれば、たやすくとはいかずとも活きられそうな気がする。ということは、自分の棋力ではこのテーマに答を出し得ないということなのだ。
初手は三間の真ん中に打ち込む。黒はコスミが最強だが、打ち込まれた辺の隣のどちらかの辺を一間トビしても堅い。黒コスミとして、白はコスミのない方の隅の隣の隅(つまりコスんだ隅の対角)にツケるなり策動をしていく…。しかし、黒がよほど味悪を打たないかぎり白が二眼を作ることは不可能なように思える。妻と打つとよく活きるが、それは明らかな悪手が出て黒のカナメが落ちたりした場合である。
しかし、上記の研究はまったく白紙に戻さざるを得ないことになった。happynobuさんの登場である。なにも趙治勲にお出まし頂くまでもなく、私のみならずyamasaki_kさん、sn056jpさんと、歴戦のつわものまでがあっさり活きられた。初手を3間の真ん中に打ち込むのがよくないのだ。happynobuさんはツケから入ってくる。これに対して、ノビで応えると、同じ辺の反対側にもう一度ツケ、そこから2線にコスめば一眼は確保できる。そこで反対の辺に同じ形を作ると、1眼+1眼で、つながれば2眼だ。切りに行くと、逆襲してどこかの黒をとってしまう。これは、happynobuさんと私くらいの力量差があれば容易である。
だが、問題は「力量互角ならどうなる?」である。途方もない力量差があれば活きるのは、じつは大したことではない。わかりきったことなのだ。これは、私ごときには解明不能であることを示したに過ぎない。そこで、toubiさんにお出まし願ってhappynobuさんを退治してもらったのだが、これは死んだ。初手のツケに対して、いきなりサガリで応じ、最後まで眼を作らせなかった。
やはり高段者同士ならば白活きないのだろうか? ますます謎は深まるばかりである。
私はどうも、13路盤は力戦派が有利なのではないかと思う。自分がシノギ派だからよく負ける言い訳をしているように映るかも知れないが、そのとおりである(笑)。
13路でシノギの碁を試みて、本当によく負けた。初めのうちは自分にシノギの力がないからだと思っていたが(もちろんそれもあるが)、そのうちどうもそれだけではないような気がしてきたのだ。
何回か対局を重ねると、相手の人の力量もわかってくるものだ。この人は19路だったらどのくらいの手合いか、ほぼ妥当な手合いも見えてくる。19路ならば向先、向二子あるいは向三子くらいまで打てそうな相手に、13路では互先でボロ負けするのだ。zarugoさんなど、オフ会で19路・七子で勝った(これは出来過ぎというか、不当なダマシもあった)にもかかわらず、13路で大敗した。それもまったく非の打ち所のない完璧さで、たった1手の悪手をとがめられての完敗である。これは番狂わせでも何でもない。
そもそも、13路盤では力戦派が有利なのではないか。棋力差よりも棋風の影響が大きいのではないだろうか(もっとも、あまりに棋力がかけ離れていればその限りではないが)。
「13路は力戦派有利、シノギ派不利」――その理由を挙げてみる。
1.活きるスペースが狭い
13路盤は、当然のことながら狭いので、這いずったりトビ出したりして活きに行くためのスペースが不足しがち。
2.すぐに全体戦に波及する
13路盤は、すぐに戦いの影響が全体に波及する。石の連携がはかりやすいのだ。これは、隅・辺にこもりがちなシノギ派にとって不利を意味する。
3.リカバリーがききにくい
13路盤は、19路ほど長丁場とならない。したがって、多少損しても終局までには他で挽回する、といった戦法が通用しない。1手ミスするとそれで終わってしまうこともザラである。シノギ派は、たとえ取られても味を残し、それをにらんで全局を支配することもよくあるが、13路ではそれができにくい(これは力量の問題か…)。
4.とにかく簡単に石が死ぬ
本当にいやになるぐらい、簡単に石が死ぬ。19路では「こんな石が」と思うような石が、あっけなく死んでしまうのだ。三々からの一間ジマリに下からノゾくなどといった手すらも気になってしょうがない。
以上、13路はハードパンチャーの天国である。ハードパンチャーに負けない秘策…今のところそれは、「ハードパンチャーとは13路で打たない」ことくらいしか考えつかないのが実情である。
最近、13路では置碁はやめるべきではないかと思いはじめている。
それは、下手にとって勉強にならないからである。
あまりに置石同士が接近しすぎている。
toubiさんと2子で打って1勝1敗くらいだったと思うが、どうも2子というのは、得るものが少ない気がする。19路だったら4子でもまず勝てないが、かと言って5子−天元に石がある−ともなるとどうもなんだかな、という気になってしまう。13路の2子となると、置石の間隔は5子の星と天元の関係である。
また、happynobuさんと13路4子で、これは勝ち負けよりも、シノギのテクニックを盗むつもりであえて不当な置石を要求したのだが、「どうシノぐんだろう」とわくわくしながら見ていた石があっさり死んでしまった。私がよくこういう形になる(そして死ぬ)という形だったので、興味津々だったのだが、やはり活きないのだということがわかった。要は、(4子でもないのに)そういう石を作る私の打ち方が悪いのだということがはっきりしたのだ。その碁で得るものはそれだけで、1回やればいい。
どんなに力量差があっても、あくまで先で突っ張っていく方がいいのではないだろうか。それでも、勝負の要素も励みとしていれたいのならば、コミをもらうことだ。19路では1子差10目と換算する荒っぽいやり方もあるが(これは実は手合い割りの問題が絡んでくる)、13路ではどうだろうか…。これは、上手に相談するのが最もいい。いわゆる「yahoo5強」クラスになると、大体1回打てば下手の力量もわかるので、最もためになるコミ(逆コミ)を提示してくれるはずだ。
ただし、勘違いしてならないのは、時として盤面でも上手に勝ってしまうことがあるが、これを「先で勝った」などと思わないことである。「白10目コミ出し」と「定先(コミなし)」とでは、まったく違う碁なのである。白は10目のコミを出すために当然無理もする。そこをたまたま下手がうまくとがめられたら、「定先だったら上手がこう(堅く)打った」場合に比べて、下手にいい結果が出るのは当然である。ましてや、13路では1手の損得がドラスティックなので、大きな差となってそれが現われ、結果的に盤面でも(コミを入れなくても)下手が勝ってしまうことがある。しかし、これは、あくまで「定先で上手に勝った」のとはぜんぜん違うのである。
また、逆コミを設けていない場合でも、明らかに「指導」ということを銘打った対局では、勝負は度外視するのが妥当である。なぜなら、「指導碁モード」では、上手は「いかに教えるか」という視点を最優先して着手を選ぶものであり、「いかに勝つか」などと考えてはいない。最善手をあえて打たず、「練習問題」を次々と出しているようなものである。そこで下手が正解を選ぶと、上手は喜ぶ。私がgenevaさんに指導を受けた際、白の大石が死んだが、これなどまさにその典型であろうと思っている。genevaさんはこの時、明らかに「指導碁モード」だったのだ。「この白取れますか?」と問いかけてきたわけだ。私はぜんぜん取れると思っていなかったが、白がどうシノぐのかを見たくてトリカケに行ったら、たまたま死んでしまったのである。仮に本当に白が見損じていたとしても、それはやはり「指導碁モード」だからである。指導する側はまったく勝負にこだわらないので、「どこに教材があるか」しか関心事になく、「この石が危ない」などという警戒心は、まったくないわけではないが「勝負モード」に比べて緩くなる。でもその時はそんなこと考えずに単純に喜んだけどね…。(^^;)
よくプロやアマ強豪の書いた本に、手合い割りの問題についての記述がある。
いわく、「偶数段差1子としないと互先がなくなる」というものである。
一般に使われている「1段差1子」を例に具体的に見てみよう。
1子すなわち定先は、「1子差」ではなく、「半子差」なのだという。本では難しい理論で書いてあるが、わかりやすくコミ碁を前提に話を進めていくと、「互先」は黒5目(半)コミ出しであり、定先の黒との差は5目である。大体1子10目というラフな換算を当てはめれば、まさに定先は「半子差」である。以下、先着アドバンテージを5目と換算し、表にしていくと…
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「置石効果」については、置石の数が増えるにしたがい「シナジー効果」が出てくるので、7子が70目という計算は本来成り立たないが、いずれにせよ、目数換算の差がきれいに10となっている。しかし、よくみると、「1段差10目」と仮定すれば、段差=1の時は、目数換算10になっていないとおかしい。すなわち、定先と2子の間・先二である。だいたい、5目のコミがなくなるだけということでは、1段差の場合、やけに下手が苦しいような気がしないだろうか。
また、この手合いでいくと、段差0の時の手合いが消滅してしまうのである。すなわち、「互先がなくなる」とは、このことである。よって、偶数段差1子(10目)の手合い割りが合理的、ということになる。
理屈はそのとおりだが、すでにアマの間で定着しており、日本棋院の免状もその体系でできている「1段差1子」の秩序をいまさら崩すことも到底不可能である。大学などで独自のランク付けを行なっているところは別だが。
石田芳夫プロは、「2分の1刻み」を解決策として提唱している。段の格付けを別にして、打ち込みの場合、「互先→定先→先二→二子→二三→三子」(得番5目半コミ出し)とすすむのである。これをあえて段にあてはめれば、
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となる。
じつは大学などで採用している「2段(級)差1子・手合いは(段級差+1)÷2」などといった体系は、この変形に他ならない(表2の「段差」を2倍したもの)。ただし、これでいくとあっという間に段差が拡大し、「選手部員」と「趣味部員」とでは2桁段差ということも生じる。だから、学生が「10級です」などと言ってきた時は、「どこで10級でした?」と確認しなければならない。大学によっては、プロの初段を「初段」とランク付けてるところもあるくらいである。この場合「10級」とはプロの初段に五六で互角に戦える棋力の持ち主ということになる。アマ初段クラスなど、10級台後半ということになってしまう。
話はそれたが、この「石田システム」を採用するとすれば、「2.5段」とかいうランクを作らなければならないのだろうか。面倒くさいなあ…。そのうち「カウント2.99」のノリで、「2.99段」などと名乗る人も出てきたりして…。(^^;)
ヒール。それは、私にとって美しい響き…。
ああ、なんて魅惑的な言葉の響きなんだろう(うっとり)…。
私も一度でいいから、ヒールと呼ばれてみたい。
などと馬鹿なことを言っているが、ヒールは、一種のロマンであり、生きざまである。その放つ光が決して眩しいものではなく、むしろ妖しい輝きのなかに、なんとも人をひきつけてやまないものがある。
さて、囲碁史上最高のヒールとは、誰であろうか。このページの冒頭では「史上最強」を趙治勲と決めつけたが、ヒールについても独断と偏見で断言したい。
囲碁史上最高のヒールは、橋本宇太郎である。本因坊丈和なども憎らしさは存分に発揮しているが、やはりその行動の大胆さ、そしてヒールとしての行動そのものが彼の人生をひときわ妖しい光に変えているという点で、私は誰がなんといおうと橋本宇太郎こそ、囲碁史上最高のヒールだと断言する。
彼の行動で世間をあっと言わせたのが、本因坊位持ち去り事件である。要は、本因坊位を奪取するや、関西にひきこもって「挑戦手合打たないけんね!」と、大声で宣言したのである。いまでこそこんなことやっても、あっさり「じゃあ不戦敗でタイトル移動」と片づけられてしまうが、当時は、まだ「本因坊」が家元からタイトルに移行して日が浅く、橋本の行動は大いにリアリティがあったのである。『棋道』かなんかでこの事件をとりあげ、「天下の曲者・橋本宇太郎してやったりの図」と書いているのを見たことがあるが、まさに秀逸な表現である。関係者の慌てふためくさまが目に浮かぶようで実に痛快である。当然当時はひんしゅくを買ったのであろうが、すったもんだのあげく、結局橋本は挑戦手合に応じている。ほとんど空想の世界であるが、これすべて、橋本の筋書きだったのではないだろうか。仮にそうだとすると、まさに橋本宇太郎こそ、空前のエンターテナー、ヒールの中のヒールである。こんな魅力的な棋士がかつていたのだ、ということがとても嬉しい。
問題図は、「黒先活」の詰め碁…というのは真っ赤な嘘で、「黒から2手打っても活きないようにするには白どう手を入れるのが正解か」というものである。
これは、2000.3.26の東京オフ決勝戦・「The
Great Sabaki対そらか」の一戦からとったものである。簡略化および私の記憶力(棋力)不足のため、実戦とはだいぶ違う形になっている。が、「2手続けて打っても黒が活きないようにする」という、問題の本質は変わらない。
なお、この碁は、そらかちゃんが初心者だったため、「9子・黒は1局中1回に限り2手続けて打てる」という特別ルールで行なわれた。
〈問題図〉
┌┬┬●┬┬┬
├●○○┼○┼
├●●┼○┼┼
○●┼┼┼┼┼
○●●○○┼┼
├○○┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼
さて、sabakiはここで間違えた。実戦とはまったく違う形だが、そこはsabakiの記憶力のなさ、勘弁してもらいたい。なお、白が2回手を抜いても黒活きがない形だが、「コウダテを作られたら負け」という前提で考えてもらいたい。
sabakiが打ったのは、失敗図の白1。この瞬間、黒に絶対のコウダテが発生している。すなわち、黒2・3と打って白3子がアタリになり、この瞬間逆転である。白は4と1目取るしかなく、黒5と打って活きである。「最後の最後まで絶対に“連打”を使わない」と決めていたそらかちゃんの見事な作戦勝ちである。
〈失敗図〉
┌21●4┬┬
├●○○┼○┼
├●●3○┼┼
○●┼5┼┼┼
○●●○○┼┼
├○○┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼
正解は、〈正解図〉の白1。これで黒から2手連打しても手はない。連打で1の石を取ってもスペースが狭すぎ問題にならない。実戦は、「手堅く」という意識が働いてハネよりサガリを選んでしまったのだろうが、かえってダメヅマリの悪手となっている。
〈正解図〉
┌1┬●┬┬┬
├●○○┼○┼
├●●┼○┼┼
○●┼┼┼┼┼
○●●○○┼┼
├○○┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼
「2手連打なんて邪道じゃないか」という声もあろうかと思うがそうではない。碁には「コウダテを作られたら負け」という場面もあるのだ。そんな時、本来手無しのところにも手を入れなければならず、そういう時の正確さも、大切な要素である。「形勢は大差で有利だが、そこを負けると逆転する、ばかでかい万年コウがある」局面だとでも思えばいい。
いかなるルールであろうと、決してうわ手にとって勉強にならないなどということはないのだ。
それにしても、やられる立場になって、2手連打の威力は、実際に発動された場合でなく、「いつ発動されるかわからない」というところに真価があるのだと実感した。白の使える手段が著しく限定され、本当に切られたら終わりのところなんか、ケイマ・一間トビはおろか、状況によってはタケフやコスミも打てないのだ。これは怖い…(^^;)
最近、『囲碁一期一会』なる本を買った(ブレーンセンター刊「なにわ塾叢書」)。
一瞬、「一碁一会」かと思ったがそうではなかった。
あまりなじみのない名前だが、「なにわ塾」なる対話講座があり、そこで5回にわたって橋本宇太郎が講座を行なっている。書店でも詰碁集が圧倒的に多い宇太郎であり、かねがね彼の半生記を読みたいと思っていたので、対話講座でも少しは宇太郎の人生がかいまみえるだろうと思い、ノータイムで買った。
読んでみると、抜群に面白い。ただ、ここではただ1点、上記「史上最高のヒール」の項で書いた「橋本宇太郎・本因坊位持ち去り事件」についてのみふれる。
日本棋院刊行の『囲碁クラブ』『棋道』などのみを読んで書いたため、日本棋院側から見た視点に偏ってしまったようだ。
『囲碁一期一会』の中では、なんと宇太郎その人が、同事件について言及している。本人によると、宇太郎はいつでも防衛戦を打つ用意があったというが、むしろ日本棋院側が「橋本と打たせるわけにはいかん」とこだわっていたようなのだ。当事者が言っていることなので、これが真相に違いない。その1年前に宇太郎が関西棋院を設立したことを日本棋院が根に持っていたのかもしれない。
こうしてみると、橋本宇太郎=究極のヒールという私のイメージは完全に崩壊してしまう!これはまいった。
しかし、わたしはやはり、ロマンを追いたい。ことの真相がどうであれ、私の中での物語はこうだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
当時、碁界は沈滞ムードに覆われていた。本因坊秀哉亡き後も、優れた打ち手は数多く現われたが、いかんせん、話題が盛り上がらない。一計を案じた橋本宇太郎は、突如「関西棋院」を旗揚げし、さらには「北海道棋院」「東北棋院」など、全国に棋院勢力が乱立するよう(まるで現代のプロレス多団体乱立のように)促した。しかし、北海道も東北も棋院独立はついに実現せず、またしても碁界は沈滞する…。
「このままではいかん」
橋本は、ここで決心する。やはり自らが悪役になるしかない!
かくて、極悪本因坊・橋本昭宇が「防衛戦拒否」を高らかに宣言したのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この方がやはり、ロマンがあると思いませんか? やっぱり橋本宇太郎は、あわてふためく碁界関係者を見て、高笑いしなくっちゃあ!
なお、『囲碁一期一会』について、もうひとつだけふれると、驚くべきことに、宇太郎自身が、「関西棋院は歴史的役目を終えた。これからの時代は日本棋院と一本になるべき」といった趣旨のことを発言しているのだ。関西の総帥みずからがである。なぜ大きな話題にならなかったのだろうか(少なくとも私の記憶にはない)。
宇太郎の碁は、とにかく意表をつく手が多いと言われる。『鬼手』(上村邦夫著)にも何回か宇太郎の手が登場しており、それぞれが大変すばらしい(とりわけ「びっくり度」において)。やはり彼の人生そのものも、意表をつくもの、鬼手の連続であってほしいなどというのは、無責任な野次馬根性だろうか。
昨日まで、初の2日制東京オフだった。
今回は総勢50名を超えるというかつてない規模に加え、プロの先生も参加という豪華なものとなった。
幹事のtakeyani君からも事前に、「楽しまれに来るので、無理に指導碁をお願いするなどといった行為は慎むように」との注意があったが、そこで私はとんでもないことをしてしまったのだ。
遠方からの参加者も多かったので、地元のベテラン(年齢的なことを言っているのではなく、オフ参加歴のことを言っているのだ)としては「とにかく初めて見る方には楽しんでいただかなくては…」と気を使い、何人かに「打ちましょうか?」と声をかけたりしていた。当然、ネットで遭遇したことがない人でも(むしろそういう人はより大事とも言える)同様に接することとなる。
そこまではよかった。しかし、私が声をかけた、見たことのないHNの方のうちの一人が、なんとプロ棋士だったのである。
私が「打ちませんか?」と言って、「いや、ちょっと…」と言われた時は、「疲れてるのかな」くらいにしか思わなかったが、どうも様子が変だな、と気になり出し、2日目の最後に囲碁サロン道玄坂のマスターから全体に紹介されて初めて「あっ、この人がプロだったのか…」と気づいて愕然とした。
無論鄭重に無礼は詫びてはおいたが、後から思い出すと、冷や汗が出る。そもそも、「無理に指導碁をお願いする」どころか、「打ちましょうか?」だから。いくらなんでも、プロに向かって「打ちましょうか?」はないだろう…(^_^;)
さらに考えると、「いいですよ」とでも言われていたら、もっと大恥をかくところだった。なぜなら、そうなると私の次のセリフは「何段くらいですか?」だから。もうこうなると周囲から爆笑を浴びること必至である。「八段です」とか言われて、「すごいですね。…では五子ですね」なんて言ったりして…。ここまで来るともうギャグである。そうならなかったのが不幸中の幸いである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ここで学生時代の悪夢がひとつ蘇った。我々にとっていかにプロ棋士が危険な存在であるかを理解してもらうために、恥を忍んでその出来事を紹介しよう。
なにかの大会で日本棋院に行っていた時に、暇つぶしに一緒に行っていた女の子と7子局を打っていた(無論私がうわ手である)ら、見知らぬおじいさんが寄って来て、終局後にその女の子に「1局打ちましょう」と、挑戦(?)してきた。おじいさんも7子置かせていたので、私は内心、「俺と同じくらいの棋力かな…」と思っていた。しばらく観戦していると、おじいさんはこちらを向いて「次はあなた打ちましょうね」と言ってきた。時間もあったので「いいですよ」と答えておいた。
おじいさんの勝利で終局し、いよいよ私の番になった。私は、「この子に自分と同じだけ石を置かせたのだから、互角の棋力」という思い込みで凝り固まっていたので、年寄りに気分よく打たせてやろうというつもりで、「黒ですか? 白ですか? 好きな方をどうぞ」ときいた。するとおじいさん、目を白黒させている。(いや、目を白黒させるんじゃなくて、どっちの石がいいかきいてるんだけどな…)などとバカなことを考えていたら、周囲の先輩たちの様子がおかしい。青い顔をしている同期生もいる。そこで思い直して、「手合いはいかがいたしましょう?」と質問を変えたら、「5子くらいで…」ときた。とたんに私は、当時若かったこともあって頭に血が昇った。
つぶす…密かな殺意(と言っても、急に口数が減ったからばれていたかもしれない。顔にも出ていた可能性がある)を胸に、私は序盤からガンガン取りに行った。しかし、惜しいところでするりと逃げられ、つかみ所がない。終始攻めの展開で、気分よく打っていたのだが、気がつくと地が全然足りない。途中で(じいさん、渋太さだけは一流だな。じゃあ、取りに行くまではしないで、地で勝とう)と戦略を変えていたのだが、今度は必死のトリカケにいかなければならなくなってしまった。しかし、シノギは難しくない状態だった。むしろ投げ場を求めたと言った方がいいだろう。
投了後、おじいさんが去った後で、先輩に、「今の人、知ってるんですか?」と聞いたら、ボソッ、と一言――「藤沢朋斎」。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今思い出しても赤面の失敗談である。改めて読み返してもらいたい。囲碁史上に輝く大巨人・藤沢朋斎(今は故人)に向かって、なんと無礼な発言のオンパレードであることか…(^_^;) さらに今回の東京オフである…。私の人生の2大赤っ恥になりそうだ。
人間なにが怖いって、恥ほど怖いものはない。やはりこの世に、プロほど危険な存在はない。
ここで私の名誉のために(?)、対プロ戦績を紹介しよう。
これまでにプロ棋士に指導碁を打ってもらったのは、通算3回で、いずれも5子局、すべて中押し負けである。そのうち1局が、上記の藤沢朋斎戦で、他は依田紀基と大平修三である。思えば依田プロ以外はいずれも故人になってしまった。藤沢朋斎はなんとなく憎めないいたずらじいさんという感じで、大平修三プロはじつに人柄の良さそうな方だった。
ここでは、一番惜しかった依田紀基プロとの一戦を、小説風に紹介してみよう。わかりやすいように、主人公も「鯖奇」という表現にする(当時はもちろんこの名は名乗っていなかった)。
鯖奇は、初めはこの某女子大囲碁部の合宿にあまり乗り気ではなかった。
鯖奇は生意気な学生で、女子大生の碁をバカにしきっていた。ましてや、9子局などはうわ手にとって「地獄の責め苦」だという思想に凝り固まっていた。しかし、その女子大囲碁部は鯖奇の所属する囲碁部と友好関係にあり、合宿時には何人か指導に行くのが恒例となっていた。
鯖奇にはもう一つ、参加を決めた理由があった。それは、女子大合宿には日頃なかなか打ってもらえない選手クラスの先輩・OBが数多く集まることである。鯖奇は、そんな諸先輩を内心「しょうがないなあ…(^_^;)」と思いながら、しっかりそういう習性を利用していたのだった。
そして実際に行ってみて、鯖奇は思わぬ幸運に恵まれた。それは、あの依田紀基プロが参加していたことである。さらに依田プロ自ら、「合宿に参加した人全員と打ちたい」と宣言したのである!
さすがに全員とサシで打つのは物理的に不可能なので、3人ずつ、3面打ちでの対局となった。そして鯖奇の順番がまわってきた。同時対局は女子大生2名であった。鯖奇は燃えに燃えた。序盤から積極的に攻勢をしかける。いつになく好調な打ち回しだと鯖奇は思った。これならいける、勝てそうだ。依田プロは3面を交互に見て忙しそうだ。中盤。相手は目下売り出し中の新進気鋭の棋士、そこは慎重に、しかし一歩も退くことなく全力で戦う。鯖奇のアドレナリン分泌量が極限に達した。依田プロ、どっちを見てる。あんたの相手はこのオレだ。こっちをむけ。ええい、むかないか。ならばふりむかせてやる。鯖奇の石音が大きく激しくなる。依田プロが一瞬きっ、となってふりむいた。そう見えた。そうだ、それでいい。他の2局は適当に打っても大丈夫なはずだ。俺の方だけを見るんだ。
ヨセ。比較的目算しやすい局面だ。勝ってる。さすが依田プロ、5目程度の差まで追い上げている。いつの間に…。しかし、細かいながらも厚い形勢だ。やった、対プロ初勝利だ…。鯖奇は勝ちを確信した。
異変はその時起こった。依田プロが何気なく打った隅のデに、鯖奇は少考した。ユルメるかオサエるか…。ユルめても1目の損なので勝ちは動かない。しかし、オサエて頑張れないのか。いくら厚いと言っても、必然性がない譲歩を重ねれば逆転してしまう。そしてその時の鯖奇の闘争本能が、一切の妥協を許さなかった。鯖奇はオサエた。とたんに隅が手になってしまう。なぜこんな簡単な手を読めなかったのだ…。鯖奇は天を仰いだ。
投了後の依田プロの「黒勝ってたじゃないですか…」がさらに追い討ちをかけた。
なお、大平プロとの1局は、社会人になった後のことである。当時は上記のようなおごった考えは持っていなかったし、棋力も学生の頃とは比べるべくもないことはわかっていた。
それでも手合いは5子となった。当然、「勝ちに行く」のではなく「教えてもらう」ことに専念するほかなかった。序盤で周囲の人がいっせいに「ええっ!?」と疑問の声をあげた好戦的な手が唯一先生に褒められたのが自慢である。自分としては、一方的に縮こまって守るのではなく、白の石も切断しに行った方がかえって安全だと、経験上知っていたし、また、「教えてもらう」以上、とにかく積極果敢に玉砕精神でいくべきだと思ったまでである。
プロには勝ちに行ってはいけない、相手が本気で負かしに来たら9子置いたって絶対に勝てっこないのだから、というのが私の持論である。