今月へ [雪の結晶のように]12月31日 どんなことが雪の結晶の核のように記憶の断片の核になるかもしれない。 先日ユーロスペースで見た「ベルリンフィルと子供たち・ダンス編」で、 クラシックを聴いたこともなかった子供たちがオーケストラの生演奏と一緒 に春の祭典のダンスをしたシーンはすごかった。約200人の子供達の目が そこにない音楽のイメージをまざまざと見て、体と心をいっぱいに張りつめ てダンスをしているのだった。はじめはまともにむきあわなかった子供たち に音楽が浸透してゆき、芸術の表現、ダンスはせいいっぱい取り組めば人生 も変えられる、と言葉にだす先生のもとでみごとに変化した。私はなぜか映画 をみながらとてもリラックスしていった。呼吸が楽になり、疲れが消えてし まったような軽さを味わった。芸術は人生の飾りではない、空気のように 生きる私達とともにあるもの、と口にする人達がそばにいることは、なんて ほっとすることだろう。 今年も一年間、つきあってくださってありがとうございました。 どうぞ良いお年をお迎えください。 ゆりゆられ 完全版 北爪満喜 ホンモノとニセモノが体の中をゆらゆらする。 歩道橋を上りながら どこへ架けられた橋なのか中空で忘れてしまうワタシは、 ホンモノになったりニセモノになったり、水色になったり黄色になったり、 どちらともいえないゆらめきに、ゆられ続ける。 ゆりゆられ、青い波が打ち寄せてくる。 これは夏にオキナワへいったときの青かった澄んだ海からやってくる波。 その波を腰でリズムを打ってるショルダーバッグが回収している。 夏からずっとさげてるバッグ。 このバッグで行ったから、宝石のように青かった、 と主観的な無理を言うと、どっと高波に押し寄せられて、 あたりが真っ青になってしまった。 何度か回転したかと思うと、 ワタシはトウキョーの汚れた街路の舗道へ打ち上げられていた。 歩道橋を転げ落ちたらしい。 波が引くと舗道の端で水色と黄色の縞縞の熱帯魚になって跳ねていた。 はっとして踏まれるのはいやだから起きあがって歩いてゆく。 足元は灰色のコンクリートが気安さをどこまでも流すから、 知らないうちにずいぶんな距離を流されて歩いてしまっていた。 流すうちに洗われて、額が銀色になってくる。 ぎらっとビルの光を反射。 ワタシは灰色のコンクリートでナチュラル・ハイになるらしい。 坂道の途中から見渡せる立ち並ぶビルの海に向かって 「開かれよ」と映画のモーゼのように口の中で唱えれば、 ビルは右に左に退き、車の騒音も響かない静かな小道が現れた。 この道をいっても良いのだろうか。 遠い目をして見渡すと、彼方に本屋さんのマークが見えた。 ホンモノは開かれた本のことです、 と口を付いて出た言葉が、すっと、小道に沿って飛んでゆく。 [午後3時の枝]
12月24日 公園にサザンカが咲き乱れている。毎年それを撮りたくて歩く。 だんだん歩く人が多くなって、健康ブームなのを実感する。 私は午後の陽はどこか赤っぽいなと、もう少しすずしい感じの花なのに、 と思いながら仰向けて撮っている。水道があるのでホームレスの人が暮らして いる公園。シートの敷いてあるサザンカの大木も満開だ。自転車の荷台には ダンボールが結わえられている。ゲートウェイの牛柄の箱だ。だからどうと いうことないけれど、寒くなるから移動の日も近いのではないかと思った。 [冬なのに椿が咲く]
12月22日 今年ももうわずかになった。師走はやっぱり忙しい。れっきとした冬なのに 椿が咲いている。この椿はいつも春に咲くから寒椿じゃない。 「ゆりゆられ」は書いていて詩のかたちになりました。メールマガジン「さがな。」 のクリスマスの配信に載ります。 ゆりゆられ 抄 ホンモノとニセモノが体の中をゆらゆらする。 歩道橋を上りながら どこへ架けられた橋なのか中空で忘れてしまうワタシは、 ホンモノになったりニセモノになったり、水色になったり黄色になったり、 どちらともいえないゆらめきに、ゆられ続ける。 ゆりゆられ、青い波が打ち寄せてくる。 これは夏にオキナワへいったときの青かった澄んだ海からやってくる波。 その波を腰でリズムを打ってるショルダーバッグが回収している。 夏からずっとさげてるバッグ。 このバッグで行ったから、宝石のように青かった、 と主観的な無理を言うと、どっと高波に押し寄せられて、 あたりが真っ青になってしまった。 何度か回転したかと思うと、 ワタシはトウキョーの汚れた街路の舗道へ打ち上げられていた。 歩道橋を転げ落ちたらしい。 波が引くと舗道の端で水色と黄色の縞縞の熱帯魚になって跳ねていた。 【つづく [ゆりゆられ]
12月18日 ホンモノとニセモノのあいだをゆききする。歩道橋を上りながらどこへ架けられた 橋なのか中空で忘れてしまう。ワタシはホンモノになったりニセモノになったりどちら ともいえなかったり、ゆらゆらしている。 [さざんかならんで]
12月13日 空へ手を振っている、ひょうきんなはなびら。さざんかが、どことなく にぎやかな感じがするのは、こんな元気なはなびらのせいかも知れない。 先日、1999年コロラド州コロンバイン高校で起きた銃乱射事件をモチーフにした映画 『エレファント』を見た。同じ事件を映画にしたマイケル・ムーアの『ホーリング・ フォー・コロンバイン』も見たが、マイケル・ムーアはアメリカの銃社会の恐怖と 歪みをショッキングに暴いており、病的な銃社会を暴露した社会的な意味は大きい と思った。けれど、『エレファント』は淡々と高校生達のいつもと変わらない事件 の日の様子を追い、より高校生の近くへ肉薄していた。両親によるプレッシャーや 高校生活の苦しさが、ひとりひとりのなんでもない日常から叫びのようにやってくる 静かで美しいいい映画だった。実際の高校生たちがリアルに演じるそれぞれの時間が 事件へ向けて交差しながら収斂してゆくとき、緊迫感が激しくやってくる。脆い均衡 のなかにいる高校生たちの追いつめられた悲鳴が聞こえてくるようだった。確かに 通販で銃が買えるということはひどいことだと思ったが、そこまでゆく彼らの心の 襞が、結論もなく映し出されて、これは私達の事件でもある、と衝撃的に刻まれた。 [草の透き通るころ]
12月10日 緑色をしてころころと風にはじけていたときもいいけど、すっかり種を落として 冬の風にさわさわ透きとおるのもすがすがしい。雑草といってしまえばそれだけだ けれど、たちどまってみれば、どこか深い時間がながれる。 [であう]
12月7日 詩の言葉が、読まれているところ。言葉は、おかえりと迎えられただろうか。 はづきさん。来てくれてありがとう。サイトにいったら感想があり、読みました。 *はづきさんの日誌より (承諾してくれたので日誌の感想を引用しました) 銀座に出てきた。街はクリスマスモードで華やか。 「おかえり」展が行われているギャラリーは、そこだけ別世界に感じるほど 静かだった。静かな場所で、ふつふつと泉が湧き、滝が流れている。 ちょうど北爪満喜さんがいらっしゃっていたので、いろいろ案内をしてもらう。 吹き抜けから長い布に言葉を記した滝が流れている。足もとには言葉の泉。メン バーの方々がそれぞれ透明な箱に詩を収めている。その詩の1枚1枚は持ち帰れ るようになっている。 天気が良いのでテラスにも出る。テラスの足もとには水滴がある。透明な半球の 置物の下に、写真や言葉が挟まれている。 凄いなぁと思うことは、詩や写真やオブジェのいずれも、「見せる」「読んでも らう」ことに徹底的にこだわった配置がなされていること。メンバーの方々の作 品はそれぞれ独立しているように見えて、実は1つのテーマでつながっている感 がある。どの瞬間に、というのではないけれど、それがふっと理解できたとき、 わたしはここに「おかえり」と迎えてもらえたような気がした。 [おかえり展終了]
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12月6日 6日間。ほとんど毎日ギャラリーにゆき、案内などをした「おかえり」展。 いろいろなことに気付き、さまざまな方を迎えた。200人以上も来てくれたらしい。 ありがたいことです。聴かせていただいた感想を大切にしよう。 楽しんで読んでくださった、この場をいごこちよく思ってくださった人達が多く、 その点では成功したのではないかと思う。これから、ゆっくり考えたことをまとめたい。 桐田さんが感想を書いてくださった。桐田さんは「灰皿町」というネットの町の住人。 おなじく灰皿町の高田昭子さんと来てくださったのだった。