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新作「夜の歩道」  *詩集『P』より「パックバード」
夜の歩道              森ミキエ 道幅いっぱいに水たまりができていた。 陥没したのだろう。 買い物袋と広げた傘に両手を縛られたまま立ち止まる。 ピチピチと音をたて 生まれて消える小さな波紋をみていると 夜の深さと繋がっていく。 爪の切り屑を思う。 薄日のなかに弾かれて、たいていは見つからなくなる 人のかけら。 何処へいってしまうのだろう。 病室で病人の手足の爪を切ったとき つめきりはうれしい と出なくなった声で云った。 ほのかに照らす命の明るさ 日ごと身体を裂きながらたたかう人の武器にもならない 生きていることの痛みと安らぎを先端に溜めて 伸びつづける 痩せた爪のひとかけが 大きく弧を描いた… 青空を水平に突き抜けて 超高層ビルの真っ芯に旅客機が打ち込まれ 幾何学的に崩壊した 瓦礫 焼け沈んだ地の涯にも爪の切り屑はあるのだろうか。 …その行方を追うことができない。 ピチピチと爪切る音が一面に氾濫する。 口を開いた真っ暗な天の空無から 絶え間なく雨の粒が落ちてくる。 雨が散る 無数の爪の切り屑が降る。 近くの窓に灯る明かり。 光の雫が降り、弾け、 濡れる足元に縛る荷物を置き去りにしても 踏み込めない 渡りきれない。 人からはなれた幽かな花弁が 闇のなか愛しみながら降り積もって。 伸びる爪を切る。

*詩集『P』 より 「パックバード」をお読み下さい。

パックバード



うすく角張った鳥が並んでいる。かすかに揺れて、片翼をはためかす。硝子戸の
向こうは雨上がりのベランダ。物干し竿の上に停まり体を乾かしている。こほ…
こほ…翼がすれ合う。音楽が鳴っている。フォルテッシモ、風、角張った鳥たち
は飛ばされそうだ。私はもう少し休んでいたいので身をかがめ足指をきつく握る。
耳をすまして。瞳の中で空は停止したまま。

か み の つ ば さ

「人肌温度の牛乳は美容と健康に最適です」と雑誌の見出しを見て以来、牛乳を
飲むときには必ず温めてから飲みます。冷蔵庫から一リットル入りの牛乳パック
を取り出し裸になって膝を抱えて坐りそのあいだにはさみます。壊さないように
やわらかく腕をしめ包み込んでゆっくり何度も息を吐きかけながら温めます。か
らだが寒さを感じなくなるまで根気よく続けます。部屋の中は薄暗い方が効果的
です。時間はかかりますがたしかにここ数ヶ月体調は良いような気がします。注
ぎ口を指で押し開くとそこからまっ白な小型の鳩が首をもたげます。奇術師がシ
ルクハットから出すようにそっと取り出し手に停まらせると、こほ…こほ…翼を
軽く揺すり私の方を向きじっと目を見つめています。私は家中のカーテンを外し
ブラインドを上げ窓を開けます。玄関のドアを開けます。硝子戸を開けます。ま
っ白な鳩は自分を直感するように一瞬身をすくめると好きな方向へ飛び立ってい
きます。私はパジャマを着て眠ります。

ごご三時、雲間から陽が射してくる。鳥たちは陽射しを浴びて翼を広げ、淡い雫
をふり落とす。いく筋か小さく光る。切り開かれた乳白色の中側はシルクのよう
な艶を帯び、無限の外側と向き合っている。音楽が止んだ。鳥たちが体を揺らす。
翼がすれ合うごとに、空が拡がってゆく。私は立ち上がる、外出するために。

ひ ろ  が   る    そ     ら

「森林資源を守ります」と牛乳パックに書いてあるので、牛乳を飲んだ後にはリ
サイクルを心がけています。狭い台所のガスレンジの脇には注ぎ口を全開させ水
ですすいだカラの牛乳パックが七つ並んでいます。不安定で危ないので平らにし
なければいけません。ハサミで側面の一辺を折り目に沿って切り、底面の一辺を
切り、切り、切って、開いて洗ってよく乾かします。良質のパルプでできた牛乳
パックは再生に適した原料で鳩さえ生まれます。物干し竿に通したひも付き洗濯
バサミではさみます。乾かしていると、こほ…こほ…風に揺れて安らいでゆきま
す。私は靴箱から履く靴を取り出しそのドアを切り開き通路の行き止まりで乾か
します。マンションのエレベーターから降りそのドアを切り開きエントランスホ
ールで乾かします。待ち合わせする駅のロッカーから荷物を取り出しそのドアを
切り開き突風の渡るプラットホームで乾かします。ホテルのクローゼットから予
備の枕を取り出しそのドアを切り開き街を見下ろす非常階段で乾かします。真夜
中の海辺に停めた車から降り立ちそのドアを切り開き黒い海の上に広げて乾かし
ます。なめし革のように。私は裸で眠ります。

未明、帰巣するまっ白な鳩がいる。ベランダに角張った鳥たちはすでになく、物
干し竿に身を預けてククゥとなく。私は硝子戸を開けて招き入れ、音楽をかける。
背中線から私を切り開き水で洗う。塞いでいたものが弾け飛び、ねばついていた
ものが流れ出し、すべすべしたなめらかな面があらわれる。ベランダに立ち、乾
かして、外気に触れたその中側に、とりどりの音符を並べ、長い手紙を書いた。

こ と ば  う た い だ す