Airpark 作品などに立ち寄っていただくところです   

6月のゲスト  西元直子さんの詩   『世界、』  (2006年6月1日)                           ・第1詩集『けもの王』 書肆山田刊 2002年               西元さんの詩集『けもの王』の言葉は、ページの中に凛と立っている。              けっして横たわってはいない。立っているまっさらな少女。けものっぽい              直感で、きいきいと言葉を生け捕る。 生け捕られた言葉のパワーで場が              ぐーんと広がってゆく。その感じはいま書かれている詩も変わらない。              たとえば西元さんの詩「ことり」はこのようです。真っ白な見開きに一行。                                「精巧にできた頭を傾げていつもさえずっているいつも動いているときどき糞をしたりして、」                              ページを捲るとまた真っ白な見開きに一行。                                「身をよじりながら息をすう眼をみひらいて息をはく」              ページを捲るとまた真っ白な見開きの左側に七行。                                 「水を飲んだ。ひとりで飲んだ。そこは校舎の陰になっていて、ひんやりしていて、ひ                 なたから走りこんできたわたしはきゅうに水の底にもぐったみたいで、わたしの白い                 ブラウスもソックスもうす紫色になった。蛇口をひねってどんどん水をだした。手の                 ひらで水を受けて息がくるしくなるまでつづけて飲んだ。つづけて飲んでいるうちに                 あまく冷たく透きとおった物体はいつのまにかわたしになってゆく。顎をぬらしたま                   あまく冷たく透きとおった物体はいつのまにかわたしになってゆく。顎をぬらしたま                 ま顔をあげる。つぎはなにをしようか。昼休みはまだはじまったばかりで、それは頭                 のうえにある青いがらんどうとひとしく永遠のものだった。」              ページを捲るとまた真っ白な見開きの左側に  詩が続きます。 この空間の立ち上がり方は、特筆すべきものではないかと私は思ってます。         
毛利珠江さんの詩  『 無花果(イスタンブール)』 (2004.1.3) 「アロー」。日本からの電話は  ・・・  外国の知らない街を地図を握りしめて買い物にゆき返ってくる。             ただそれだけの間に、霧のように先の見えない切迫さや、買い             求めた無花果が、心に食い込んで、かつて少女だった「私」と「父」             の記憶を繋げてゆく。ただの無花果は、イメージとして、過去と今、             日本の湯舟の父・娘と、イスタンブールのジブシーの父・娘の花売り             を引き合わせる。私はこの詩を詩の合評会で初めて読んで、とても             感動してしまった。それは死という大きなものを扱っているからとい             ことではなかったように思う。この詩のイメージのダイナミックな             往復が時間と記憶と空間を、こころ、にそって繋ぎ直し、この詩を             書くことで、ついには、作者が深い流れに届き、ある苦しみから、             立ち上がるような、力を獲得しているのが、くっきり伝わってきた             からだと思う。それは詩を書くことが作者につよく生きられた証し             ではないか。              いきている言葉は、そうやすやすと詩を進めさせてくれない。真             剣に言葉をさがして、時間をかけなくてはいけないときがある。こ             の詩は、こうした種類の詩として、詩を書くという行為にはこんな             希望があるのだと改めて伝えてくれる。              そしてすべてが集まってゆくラストのたたみかけるような勢い。              皆さんは、この詩をどんなふうに読まれましたか。              どうぞ感想など、聞かせてください。            
布村浩一さんの詩  『門』(2003.9/17) 誰にでもあるこころの事件。いくらまっても現れないひと。その             濃くおちる影をすくいあげる、たいせつにすくいあげる、息づかい             と想い。たちつくすホームを通過する電車、そのように想いとは関係             なく街も人も動いている。でも、話しかけたことは本当に話しかけた             かったから。立ちつくすけれど、立ったままにはならないで、立ちつ             くしたことをさわやかな、記憶に刻んで進んでゆく。歩きつづける。             歩いてゆくと、たぶんいろいろな門と出会う、私たちも。             布村さんはやわらかな内側にしまっておくこころのことを、             自分のリズムに包んでそっと、手渡してくれる、そんな詩人です。
長田典子さんの詩  『パラソル』(2003.2/9) そこはどこなのか。母国ではない国の地下鉄をねぐらにしている女の子がいる。             外国からは帰ってくるという意識ではなく、行ったきり、になっていいという             人が登場している。ついにこうした事態になってきたのです。
新井啓子さんの詩  『風の記憶』  (2002.11/28) 新井さんの詩はいつも水のそばにある。ナチュラルな言葉だから一カ所でも激しさがあると、            はっとする。記憶を含みつつもその先へ、風が水の町を渡る。
森ミキエさんの詩 『夜の歩道』      (2002.8/1)            ていねいに身の回りの出来事や人や物へ触れてゆきながら独創的なイメージを出す森ミキエさん。            第二詩集『P』(七月堂)では、しずかにやさしく心の襞をたどってゆく言葉に浸されながら読んで            ゆくと、キラリと澄んだ意志の光が、闇を突っ切って、あっとさせられました。読んでいると詩を            書く楽しさが伝わってきます。新作も切ないけれど現在ときっちり向き合てます。            *詩集『P』より「パックバード」を載せました。  (2002.8/5)
山田咲生さんの詩 『桃』 (2002.7/2)          バリの詩で熱帯の空気感、物の質感を、リズムとともに立ちあげた山田さん。          山田さんのみずみずしい感覚の新作です        ●プロフィール 第1詩集「BALI」 書肆山田 2000年 2002年5月30日刊 短編小説集「夜」(驢馬出版) に参加。
川口晴美さんの詩 『ファミリーレストラン』(2001.9.10) 夏に出版した新詩集『EXIT.』(ふらんす堂)以降の新作です。ご期待どおり読み応えあります。
小笠原鳥類さんによる詩論  (2001.3.17)         詩誌「鐘楼」2号(2001年2月)掲載「最近の詩書・詩誌から――『公会堂の階段に坐って』」の改稿。              『断片、「言いまちがい」、「言いそこない」』
野村尚志さんの詩 『冬の、朝の』 (2000.11.18)          新作です。        野村さんはいまNHK首都圏ネットワークの宇都宮放送局のカメラマンをしています。         11月14日放送の「土呂部高原の秋」は野村さんの報告でした。声も野村さんです。   
杉澤加奈子さんによる覚え書き(2000.4.13) 「エメット」のことで、ゲストの杉澤さんとメールしていて拙詩の感想を書いてもらえることになりました。        『足があるということ     「ARROWHOTEL」「金魚」についての覚え書き』
水越聡美さんの詩 『黒い薔薇』 (2000.3.20更新)                  ドイツのベルリンと横浜を往復する生活を続けるなかでもたらされたものは?
小島きみ子さんによる詩論 (2000.1.19更新)                なぜ「ぼく」という人称を? というところから探られている詩論です。              彼女たちのなかの『少年』の存在    作田教子・本間淳子・北爪満喜     トランスジェンダーの視座によって自らを表象する詩人たち