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パラソル              長田典子 カサ,カサいりませんか 地下鉄に駆け込む観光客に声をかける 地中海からの急激な湿気が 空に煙幕のような雲を立ち上らせ 生温い湿気をわたしの肌が懐かしむように賛辞する わたしは歌うように声をかける カサ,いりませんか 真冬の雨期 ユーラシア大陸の最西端の国で 今日は 何回虹が空を彩っただろうか ・・・2回・・・3回・・・4回・・・ああ忘れてしまうほど 虹は石でできた古い建物の上に美しい橋をかけて 消える すぐに消えて また 雨 カサ,いりませんか 雨はすぐに止む 虹が出る 青空が石畳に映えて  小さな矩形の鏡に虹が無数に宿る どの虹の下にもわたしはいる どの,虹の下にも,わたしは宿る 観光客が突然の土砂降りに驚いてカサを買ってくれる だから 今日はカサ売り カサ売りは寒い日にはショールを売る ショール売りは暑い日には帽子を売る 帽子は直接頭につける小さなカサの形をしていて  晴雨両用できる仕組み 原色のパラソル 浮かれた観光客はこれが一番すき こんなにすぐに壊れてしまう帽子にお金を出すなんて わからない 数日しか使わない物を簡単に買うなんて わたしにはわからないけど もうすぐクリスマス リベルダーデ大通りのブティックには綺麗なパーティドレスが並べられ いつかわたしも買うんだ あんな風にすてきなドレス 気違いじみたカサの帽子をたくさん売って いつか あの パーティドレスを買うんだ クリスマスにはあの人とディナーに行きたいな それからダンスを踊ろう くるくるドレスの裾を翻して 宝石みたいに光るパーティ会場で あの人と いつか あの人と 原色のドレスを着て パラソルみたいにくるくる裾が回って わたしは目を回してしまうんだわ きっと あの人は助けてくれる いつも知らんぷりをして前を通りすぎるのは わたしが好きだから わたしから決してカサもショールも帽子も買わないのは わたしのことをよく知っているから 終電車の通り終わる頃地下鉄の階段に脚を投げ出し 座り込んでうとうとしていたとき わたしの靴の先にあの人の靴がひっかかって 初めて目が合った 肌が黒くて針金みたいに痩せた男 いつもスーツを着て四角い黒鞄を持って走るように歩いている あれは,わたしをいつかパーティに誘ってあげるっていう意味だから   カサ,カサいりませんか きのうから 向かいのホテルに泊まっているニッポンの女が 立ち止まってわたしを見ている 懐かしそうな顔をして 目の奥に昏い哀れみの表情を浮かべてわたしを値踏みするから あなたがニッポン人だとわかる どこからきたの?あなたはそのうちわたしに聞くわ 覚えたばかりの下手なポルトガル語で 東洋の黄色い顔をしているからって ニッポン人はすぐに聞くの わたしは前からここにいる 気がついたら地下鉄の階段がねぐらだった それだけ 帰る場所なんて 知らない カサ,いりませんか 「パラソル,ヤスイネ,傘,カッテ」 ほうら あんたのジャケットの裾から 長い根っこがはみ出しているよ パラソル パラレル パラレル わたし,ドレスがほしいの 宝石みたいに光るパーティ会場で くるくる裾が回る くるくる目を回す ドレスを買うの あの人と いつか あの人と だから パラソル パラレル パラレル
 長田典子さんの詩集 『おりこうさんのキャシイ』横浜詩人会賞 ・『夜に白鳥が剥がれる』(ともに書肆山田刊)