詩集「虹で濁った水」より
詩集のページに戻る 手紙(アーチ・栽培)  のびた髪を切りにゆく                                           

手紙     Kアーチ 繰り返し 読みすぎてしまって 黄ばみ 角が擦れ破れかけているこの古い手紙を (わたしたちの手紙) とひとりで呼ぶ 引き出しを開け 取り出してしまっては わたしたちの手紙に また身をゆだねている 幾度でも注いだわたしの視線が あなたの記した濃い色の文字に 濃い あなたの緑の文字に 絡みつきもつれ 朽ちることができない 苦しくて 視線が 固く絡みつく軌跡をつよめ 抜け落ちた髪のようにしなる さらにきつく巻きつこうとするのに震える これでは汚くて あなたの はじめに記したことばが読みとれないわ 腐ってしまえばいい わたしなど 体じゅうで どろどろと泣いて 皮下を腐らせる 床に屈むと ゆすぶられるぬかるみの音が部屋に響いた こんなに雨を吸ったのだから  一度でいい 虹をみたい 腐ったわたしの体の底で孵した もの言えない飴色の幼虫が 光に飢え 暗い皮膚の覆いを食いやぶる激しい痛みを放つ かけあがる激痛に背を這われのけぞった 「痛み きっとこのひどい痛みがわたしの 虹」 皮下の暗いばらいろを食いやぶるため食べて食べて 幼虫は破裂した 光る粘液を せつなく細く引きながら わたしの皮膚の裂けめから 雫になって落下する きらきらと地下へ落ちてゆくのが見える そして消えはじめる部屋の床を 突き抜け なつかしく荒らしつづけた庭へ いとしく踏みにじりつづけた一角へ 雫が落ちる 銀に 光る 土に触れて 暗い緑の色ににじんだ (濃い色) みつづける目のなかで 雫はあなたの文字の色に変わった  (そう   ここ この庭に   あなたとわたしの骨を継いでつくったアーチがある   ばらの蔓をていねいに絡め這わせるアーチ   なにも示し合わせなくても   あなたの拾ってきた棒きれはわたしの骨   わたしの捜してきた棒きれはあなたの骨だった   納屋から汚れた紐をみつけてきてあなたがつぎつぎ骨を結わえ   わたしは盗んできたばらの枝を アーチの根本にひとつひとつ   ていねいに植えていった   そのために庭の草花をすべて踏みあらしているのに気付きもしなかった)  (アーチに 水をかけると   骨は珊瑚みたいに光る   まだ蔓の絡みきらない弧の下で 冷たい冬の星の光を名前も知らずに浴び   寒いからと抱き合うと   厚い冬服の布地を越して   互いの脈打つ鼓動が つよく高鳴り響き溢れた   鼓動だけが貧しく澄んで   枯れた庭の熾火だった   「枯れているね この庭はこんなに枯れている」   恐れに駆られ 青ざめた目と目でわたしたちは焔をたぐった   すると 暖まる四月のなだない庭に   アーチの蔓に 一輪だけ 焔のように灯って   ばらの花が咲きいでていた   あなたもわたしもたしかに赤く瞳を濡らし   その色を濃く映しあった)       L栽培 ぼくは (まだ訪れない森へ (深く (霧のような (いもうとに 妹に 手紙を書き送る それは 部屋に飾られた青い花の茎が 静かに満たされた花瓶の水を 吸い上げる 微かな音を 響かせてゆける この部屋でしか つづけることができない 最後の砦のように 籠もって ここからあなたの栽培を試みると 約束を誓う ぼくは  どこにもゆかず 青い茎を突き立て 身のうちを音をたててめぐる青い響きを 軋む闇のさなかで 記してゆく うつろいの岸に刺さり 記し いない妹へ手紙を書きつづけ やわらかい瞳の ゆるやかに光るもろい肩の 妹の生成を信じて 書いた手紙を 角が擦り切れた茶色い革の旅行鞄に 沈める          …そして          鍵をかけ 同じように鍵をかけ どこにもこぼれずに いたい    (…またきみに手紙を書きます    きみはどこで    どこかの室内で それとも風の渡る戸外で これを読むのか    どこでだってかまわない けれどよく聞いて欲しい    ………きみが手に持つ紙はぼくのからだ 記す文字は    ぼくのいのちそのものなのだ    ぼくはぼく自身をきみに送る) ぼくは妹に手紙を送る 妹が それをうけとって うれしそうに 頬のうぶげにぼくの手紙を押しあてる 金色に耀う 妹のうぶげのきらめきが ガラス窓を越えてやってくる 金木犀の細かな十字の花影のように…… ぼくは想いを描いてゆく だが 妹は ぼくの部屋の壁にうつろう 影になることは ないだろう          *          つぎつぎに妹が読み過ぎていったぼくは(手紙は          妹の踏み迷ってゆく危うい曲がり角ごとに落ち          下草にしっかりと絡まって 遠くなる妹の足音に聴覚を伸ばし          朽ちることなくいつまでも耐えていようとした          烏やコヨーテの潜む森ではパン屑を一つも失わずにいることが          難しいように 森でないこの森で 何一つ妹が失わずにいるのは          難しい          * 不安に震え 妹が 折りたたんだ手紙を開くかすれる音が 屈んだ 胸のあたりで響く 妹が森で不安にしている           *                  「アーチに           あなたとわたしの骨を継いでつくったアーチに           からむ蔓が枯れてしまったら?」           青ざめた妹の弱く歩く音がきこえる           * ぼくは書く    (アーチを潜りぬける遊びをするたび 必ず髪をひっかけて    外そうとすると鋭いとげが指を突いた    その ぼくときみの濃くつながれた位置には    くすんだ色の花がついた    その花は静かに深くくすんでいたから    枯れてしまったように映っただけ だ ただそれだけ)   ぼくは時を失いつづけ そしてぼくは書きつづける そう  もうすぐ 妹の不安が 蔓ばらの蔓のように部屋に食い込み ぼくの腕をきりきりと這いあがる 妹の恐れの渦を巻きつけにくる ぼくの右手は蔓ばらのとげで 堅く縛りつけられる 青ざめ 指先から冷たくなってゆく 部屋でくびれて枯れてゆくぼくの手首に ひびが入り かたん と床に落ちたとき 森のなかのぼくは(手紙は  白い球根の玉にまるまって 手紙の絶えた恐れにうちひしがれる妹を気遣い けれどもつぎの季節まで そうして眠らなければならない ここで
のびた髪を切りにゆく 自転車をこいで のびた髪を切りにゆく くるくる枯葉を絡めては 飼ってしまう悪い髪を ゆびにしならせつづけていたのを かぜが巻いて とりあげてゆく ゆれる 髪が 枝 分かれる かぜのなかに枝分かれする ながいあいだ乗らなかったグリーンの自転車はかたかた響く 細いバックミラーの鏡が割れたままになっている 細く割れた鏡のなかで 渦巻き 反響する道が 自転車に乗るわたしの視覚に崩れ積み上がってゆく 排気ガスを吸っちゃった ちりちりと肺に乱反射させ 冷えたコートを翻し 曲がり角の サザンカが咲く 生垣の縁をかすめて通る すばやく見返すサザンカの葉が わたしの肘を小刻みに噛む しなる 枝の ももいろがゆれて うっとり コートにしみ込んだ スピードを出すと コートの花は 叫び声を細く引いて 背筋のほうへよれていった コートの糸がほつれている ふるえる糸がひりひりと解けないレースを編んでゆくから わたしは一匹の蜘蛛になって 記憶のなかに紛れまさぐり 落としそこねて滞っていた涙の粒を ひとつ ひとつ こめかみから斜めに 蹴落としてゆく 糸が真珠でいっぱいになる ああきれい きらり 光   かぜ     自転車の銀の車輪を抜ける ざわめきが シナプスへ紡がれる けぶる 細い 糸のうち オハヨウ 幾重にも響く声 まるで反響のかけらのような鳥状の声が 意識のひだを わたしを くまなくめぐり飛ぶ わたしは声に呼びかける 髪を切りにゆくところなの さっきは何て言ってたの いつもオハヨウって聞こえる わたしに起こるさまざまなことを 鳥状の声はみのがさない 合わせ鏡にふっと浮く そんなような軽い速度で わたしのうちがわを滑空する オハヨウって また聞こえた 割れたままのバックミラーに不安な視線を注いで走る 氷のベルが響くように バス通りが折れ 渦になる 鏡の渦にかきまわされる視線の先が 浮力を起こす 浮上する 螺旋にわたしは回る さっきの声の残響は いまどのあたりを超えているのか ねじれた記憶の谷あいを 鳥状の声に追いついて 鳥状の声と並んで飛んで シナプスの網を突き破りたい キュキィキキキー  ブレーキがハンドルの首を激しく振り 自転車の車輪を止めようとする けれどわたしは自転車を止めない 爪先となじんだ左右のペダルもぐるぐる回転しつづける 絡む髪のとばりを破り はらはらと前髪を飛び立ってゆく 白いいろの鳥の羽根 あの羽根の航路を追いにゆくのだ バス通り 赤い滝をかぎつける怒号の警笛は 昂まりひらく
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