今月へ
2005年1月分


[雫の通り道]

1月28日
 
☆「HAVE  WE  MET ?」1月30日まで。

「HAVE  WE  MET ?」というアジアの若い現代美術の人達の作品展を溜池山王駅すぐの
国際交流基金フォーラムへ見にゆきました。おもしろかったです。とても。
「どこかでお会いしたことがありますか?」という呼びかけのしなやかさどおり、
いかにもその国らしい、というのがない。インド、インドネシア、タイ、日本の14人が、
インドといえば・・タイといえば・・、というイメージから開放されて、遊び心のある、
そして鋭い驚きのある作品を展示している。触ってもいい作品もいくつかあって、
丸い銀のティーポットは尻尾がスイッチになっていて押すと四本の足で歩きだす。
歩いて転ぶところも可愛い。
またインドの音楽のコーナーにはインドの曲が流れ歌謡番組が映されている。でもなにか変。
よく見るとマイクを持って早い腰ふりダンスで踊り歌っているのはバービー人形。
ピンクのドレスを来たアメリカンなバービーがインドの歌謡曲を歌い踊っている。
映像作品が多くあっという仕掛けは一見の価値があります。1月30日までだけど、
おすすめです。

 兎さんやアヒルさんやクマさんの縫いぐるみがいろいろ話す作品があり、
 クッョンのところに座ってよくて、布の作品があって、真っ白な部屋もある。
 異質性とともに共通するものがあって、さわったりできる。
 そしてタイトルはあいさつの言葉。私は「おかえり」展の感じを思いだしました。
 
「HAVE  WE  MET ?」は大上段に「アジアとは?」と問うのではなく、カジュアル
で真摯な展示だったと思う。
「アジア」を語ることなく「アジア」を表象しようとする意欲的な試み。
・・を語ることなく・・を表象しようとする、に私は反応する。



[いっしょにゆこう]




1月27日
いつも家の中で寝ているところばかりを映していてごめん。
シロ、クロ、街をゆく。でも路上はやっぱりすこしこわごわ。
このあたりは猫密度が高いからね。なわばりがあまり広く持て
ないんだよね。ちょっと行くともう境界か、進めなくなって、
どこかの垣根の中へと消える。


[陽に向かう性質]

1月24日
 香港映画が好きなのは、ユーモアがあるからだ。ウォン・カーワァイ監修
エリック・コット監督でクリストファー・ドイルの撮影した「初恋」もそうだが、
そこにはキッチュさと並んでなんともいえないユーモアと愛がある。そういうのに
私は泣いてしまう。笑いながら泣いてしまう。香港の人は様々な苦難を乗り越え
てきた。だから機知やユーモアがあるのだ。とても豊かな心がある。それを美しく
破天荒な撮り方で撮れるクリストファー・ドイルも香港の人なのだ。
「ユーモアは多くの場合、苦痛、悲しみ、恐怖、不幸のような感情経験に関して、
それらを克服するために機知を働かせる心的産物である。」「ユーモアの作者は
機知を用いることによって、苦痛に打ちひしがれた自分を慰め、そこに愛情を
つけ加える努力によって、みずからの痛手を癒そうとしている。」と小此木啓吾
はフロイト思想のキーワードという本のなかで言っている。北欧の監督のアキ・
カウリスマキの映画にある独特の哀しみと可笑しさの機知も同じように苦難を
乗り越えているということがあると思った。それは、たぶん詩でも同じだ。


[懐かしいクリストファー・ドイル]



1月21日
 一昨年、香港を襲ったサーズは、香港の人にとってとても深刻な苦難だったらしい。
『1:99』という映画は一編が8分ほどの短いものだったけれど、どれも香港の人を元気
づけ励まそうとするものだった。そのワンシーン。サーズを克服したというお話のなか、
ビルの窓から人々がマスクを外して香港の街をみつめる。その窓の一つに、クリストファー
ドイルが映っていた。ウォン・カーウァイの映画のカメラマンとしてすてきに感性を刺激
する自由なカメラワークを披露してくれた人だった。とても懐かしい。香港は中国の統治
の影響のためか自由の活力が落ちてきている。あのカメラワークでもう一度香港を輝かせ
て欲しい。懐かしい姿に、しばらく一時停止のボタンを押した。


[どこを歩いてる]

1月20日
 ときどき足がぴくぴく、ヒゲがぴくぴく動く。眠りのなかで、いま、どこを
あるいてる、と聞きたくなる。猫の夢のなかの風景も昼に目にした映像の変形
なのだろうか。閉じた目のなかのそれでも見える映像の光とはどういうものな
のだろう。




[冬の朝・東へ向かって]


1月14日
 昨日の耳鼻咽喉科の医者はまるでやる気のない人だった。あまり見ずに
(抗生物質)と書いた薬の袋と(アレルギー)と書いた薬の袋を渡すので、びっくり。
一言で済まされてしまった。だからきょうは別の病院へいった。それなりに細やかに
看て説明をしてもらって処方も漢方を交えた気を配ったものをもらえた。

河津聖恵さんの詩集『青の太陽』を読む。

[マフラーがさがっている]

1月10日
 喉が痛くて、声がでない。喉が、気に掛かってばりいて、歩いていたら、マフラー
が冬の風景に喉からさがっている図が、マンガのように頭を巡った。このところ
苦しくて落ち込んでいたら、久しぶりに布村さんから「りずむ」がよかったという
メールをもらった。うれしかった。みてくれている人がいるのはうれしい。
 昨日、一ヶ月ぶりに「おかえり」展のみんなで会って新年会をした。芦田さんは
子供と一緒。川口さん、杉澤さん、みずたさん、西元さん、森さんと会って話せた。
いろいろ話して楽しかった。私は声が出ないので手ぶり身振りと、紙に書いて見て
もらった。だいたいのことなら、通じるみんな、なのがやっぱりほっとする。 
 暮れにメモリーズで書いた「ゆりゆられ」の詩を、みずたさんがとてもよかった、
と言ってくれた。伝わってよかった。みずたさんの詩集「箱と箱」を川口さんから
借りて読んで面白いと思っていて、こんどのコラボではじめて知り合ったのだ。はじ
めて知り合ったのは西元さんもそう。詩集「けもの王」をふむふむと立ち読みしてと
ても印象深かったのが本人と知り合えてラッキーだった。
 「おかえり」の展示はいろいろ反省するところもあって、自分のこれからの言葉と
写真を発表してゆくにあたって工夫やチャレンジが必要だと思うところも少し分かっ
てきた。


[りずむ]

1月8日
 手を振る。歩きながらリズムをとっている。手に缶を持って振っている。中身は
あとどれくらいあるのかな。手を顔の前に出して、振っている。ちがうの、そうじゃ
なくて、というつもり。手を振っているときに手には、そのときどきのリズムがある。
 手のリズムはその場と私の体とのやりとり。動きはおもしろい。


[歩くそばで]


1月6日
 どなふうに揺れて光のまえを通ったのだろう。揺れているのは私の身体だけかな。
それとも光も揺れているなのかな。信じて行くことはできるだろうか。生きているこ
とだけでいいのだ。ほんとうは。

 「ベルヴィル・ランデプー」というアニメーションをみにゆく。
なんかデフォルメが効いていて不思議な空間だった。おばあちゃんがスーパーおばあちゃん。
片足が短いので片足の靴底を厚くしてるって、すごくリアルなのに、超人的。足漕ぎのボート
で巨大な客船を追いかけて大海原へ。嵐も乗り越えベルビルへ拉致された自転車乗りの息子、じゃ
なくて孫を助けにゆく。孫のふくらはぎのすごい筋肉とか、アスリートの体のばかばかしい凄さも
うまく描いていて、そういうことを描き込むことが世界をつくってゆくのだなぁとわからせてくれる。
飼い犬がいつも着いてくるけれど犬は犬で擬人化も寵愛もされていない。でも、犬が夢をみるのよね。
犬の夢で犬が電車の機関部にのって高架橋の中空を回っているところが、すごく空間を深くしている。
異次元がベルヴィルの摩天楼のある世界にあつみをつけている。人間じゃなくて、犬の夢の深層がね、
って、このへんもすごくナンセンス。カタルシスはあるようなないような。この楽しく外れつづけて
ゆくところが新鮮でめずらしかった。 


[街を映して]

1月2日
 人通りのない舗道。ひっそりとグラスが街と空を映して、眠っている。しずかに
埃もふってくるだろう。また洗われて拭かれて、注がれるまで、すこしの間、お休み
なさい。透明な夢のように私もグラスの表面をつるりと滑って過ぎてゆく。

 初映画になったのはDVDでみた『下妻物語』。すごく面白かった。たくさん笑えた。
お正月映画にはぴったりかもしれない。
土屋アンナのヤンキーぶりは迫力があって体当たりの熱演。ロリータファションの深田
恭子の洋服以外には醒めきったところもよくて、二人のでこぼこな関係が妙に息がぴっ
たりなのも気分がよかった。コマーシャルを撮っていた監督の漫画のようなシーンが多い
映画だが、じっさいにアニメの部分も入っている映画は気持ちのよい友情物語でほっと
する。原作の嶽本のばらの小説の精神的な熱さは、刺繍のとこで発揮されていて、そこが
最も胸を打つ場面だったのもよかったと思う。それに、ここでこの音楽?というミスマッチ
もおかしく牛久大仏のうらで暴走族と闘うとき「美しく青きドナウ」が流れ、下妻の農道
を二人乗りのバイクで走るときサディステイク・ミカバンドの曲が流れるのも楽しかった。