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[横浜トリエンナーレ・毎日森の人形]



11月23日
 横浜トリエンナーレへ行く。埠頭の倉庫まで紅白の旗の下を潜って
10分歩く。これも作品でところどころ点在するスピーカーから微かな
音楽が流れてくる。それが旗の明るさとは異なる浮遊感のある異空間
を醸し出す。埠頭の倉庫は、体験型の作品が多く、アートサーカスと
いうコンセプトらしい。何かメモ書いて悪夢や希望などコーナーの蚊帳
にピンで止めた。似顔絵を描く人は残念ながらいなかった。人形を作り
続けて、洗濯ばさみに下げてゆく毎日森はやっていた。人形は一人一つ
だけ1000円で連れて帰れる。この子だ、と思う人形がいたので、洗濯
ばさみから外し、係りの人にお願いする。係りの人がお金を受け取り、
「ピンがあるのでどこかに付けて返ってください」と指示をだした。
私はリュックにつけて帰った。電車の中で少女が何か感じたらしく、振り
返るときらきらした目で私のことを見た。
 絨毯の毛ばだちの続きのように、狐が頭を水面煮出して泳いでいるよ
うな姿や、栗鼠の姿などのある絨毯の作品がとても良かった。埃のような
ところから立ち現れるイメージやファンタジーに惹かれる。
 影になってラクダがビンの底を並んで歩いたり、窓枠を歩いたり、排水溝
の円の縁を輪になってあるいたり、ゾウの影が部屋を歩いたりしている作品
も引き込まれた。外の海沿いのスペースには胃袋のようなバーがあり、中で
コーヒーを飲んだ。消化中のようなクッションに座って、港をみながら、
少し休む。それから、工事現場の影はやはりとても不思議だった。白い作品
の壁に近づくと自分の影も作品に紛れ込める。時間は今なのに作品は過去。
影だから親和しやすく、刹那が積み重なって人の生きる時間になることを
伝えてくる。横浜中華街の中にも作品があった。「ヴィラ會芳亭」という
中国建築の四阿を囲ってホテルにした部屋へ入って見た。公園の中にあった
屋根がベットの天蓋になっていてとても不思議だった。内なのに外を感じ
ながら浮遊しているようだった。いつもの家から、知らない土地の人々の
家の途中にあるのがホテルだから、浮いている部屋というのはホテルの本質
かも知れない。それにしても絵や透かし彫りや彫刻が珍しくて美しかった。
泊まれるらしい。でも、予約はいっぱいというのも納得。
 アートの中にいると元気になる。
 


[秋の木]

11月22日
 きょうは、混線状態で頭がすっきりしないので、頭を冷やすために外へ出た。
児童公園で鉄棒を手で掴んでみた。こんな太さだったろうか。児童の頃、鉄棒の
練習を手が剥けるまでやったことを思いだす。そうしていると男児が一人走って
きて逆上がりをした。カメラで撮っていたから、その子も鉄棒の続きとして撮る
ことにした。すると母親がいて、私が撮っていることに気付いたので挨拶をした。
その子はそれから逆上がりがうまくできなかった。母親は中途半端な表情をして
いたので私も落ち着かないから、また中途半端な挨拶をして公園を離れた。やっ
ぱり子どもでも人を撮るのはやっかい。


[200ピース]

11月21日
 今年の夏から母が始めたパズル。200ピースでもとても私にはできない。そんな時間
が無いというより、面倒に思えてしまうから。でも母は好きみたいだ。ちょっとしたゲーム
が好きなのだな、といまごろ気付いた。高校を卒業して以来一緒に暮らしていないから、
人としての母のことはあまりよく解ってないらしい。母も私のことはほとんど知らないようだ。
でも子どもの頃に一緒に花火を見に行ったり、一緒に重いものを運んだり、おばあちゃんから
おかあさんへご飯作りが変わったとき、ご飯が美味しくなって嬉しかったのをくっきりと暖かい
クオリアとして思い出せる。母が私の詩や詩集には興味がないことなんてなんでもない。親が
詩を読めないなんてことは、まったくたいしたことではない。いま東京の老人ホームに来て
もらってから、私が通って母がいろいろ日々のなんでもないことを話すのを聞いている役だけれ
ど、それがどんなに些末なことでも、かまわない。信頼して向き合っていられるのは互いに
ほっとするひとときだ。あまりに同じことを繰り返されると疲れるけれど、元気で笑って
散歩したりお茶をのんだりする一日が大切。歩行器で歩けるからスーパーへ買い物にも
ゆける。手を取って少し高い棚のものを取るとき、私の手に母の体重が掛かる。文字ど
おり、母の支えになっているのだな、と思う。で、ぽろっと、母の昔の言葉が落ちてきて
一人でパソコンに向かって詩を書いているところに、すっと入ったりする。それで、充分
ではないかと思う。母を離れて、流れ星のように、言葉が落ちてくる。
私は、このところ締め切りなどで詩を書いてないので、ほんとうに、生の時間からの恵みの
ように思う。そんな言葉との偶然の出逢いが、詩のなかで必然になってゆくのところを、
これからも、すこしでも多く持てたら最高だ。


[クリスマスツリー]

11月16日
 女友達は、やっぱりいい。とてもひさしぶりに会って話した。いろいろ悩みや愚痴を
言い合い、聴き会う。解決作とかでなく、聴いてもらえるだけでホッとする。
 このあいだ「カナリア」を見て、私の好きな歌を由希という少女が何度も歌っていて
すごくびっくりした。ああ由希の親の世代が私達なのだな、と思ってあの頃の孤独と、
今の孤独の質がより厳しく変わってしまっていると思った。友達に「銀色の道」という
歌、知ってる、と聞くと、「とおい とおい 遙かな道は」と直ぐに返ってきて、言わ
れるまでまったく忘れていた、と驚いていた。二人で数小節を歌いながら雑踏を歩いた。
どこへ行くのかわからない、けれどどこまでもゆきたい、そんなことをぼんやり思いな
がら。


[サカナ待ち]
 
11月16日
 樋口えみこさんのウェブサイト「ぺんてか 言葉の処方箋」
の「ゲスト作品」のコーナーに詩集『青い影 緑の光』が紹介されました。
そして「裏ぺん」の掲示版で私の詩についていろいろ話されていました。
確かに読んくれている人がいる、と書き込まれた言葉に、励まされました。 


元木みゆき写真展が開かれてます。
動画の上映もやっていました。
牛飼いの家の日々の断片と言ってしまうと、いろいろなことが
抜け落ちてしまう写真や動画です。こんな風に見たこと無かった
という写真は、デジタル写真の目から放して撮れる自在さから
来ているもの。だから、いいのです。牛だけど牛じやないものが
せり上がってきたり、雪だけどいままでの雪でないものが白くある。
そんな、驚きが、ぴんっ、とやってくる。
私も撮ることに浸って撮りたい。


[暖かい]

11月11日
 ぽってりと太い樹の幹が、陽差しを溜めてあたたまる。その幹の太さと暖かさ
が、ほっとさせてくれる。

 野村尚志さんの詩集『声かけてやりたい』は、暖かいということは、どんなこと
か、ということを、鏡の汚れを拭き取るように、詩のことばで拭き取るようにして
映し出してみせてくれる。

 運動会で走る子どもを、カメラで撮影する親たちが一般的なことになっている。
でも、ほんとうは、そんなことじゃない、大切なことがある。

「声かけてやりたい」抄

 カメラより
 がんばれーって声かけてやりたい
 (略)
 あなたにないしょで
 玄関においてきたカメラ

 がんばれー
 がんばれー
 ふたりそろって声をかける
 あれ、カメラは?
 忘れた
 声かけたかったんでしょ
 うん
 (略)
 カメラなんてこどくなこと
 どうしてみんなするのかな

 ほんとはいっしょに走りたい
 そんなことはできないよ
 せめて
 がんばれーって声かけてやりたい



 他にも「クリスマス」という詩では花屋のおとうさんとおかあさん、が
忙しく働き、客に笑顔をふりまく。でも娘にはなにひとつ構わない。忙しさ
を知っている娘もあきらめて、合わせている。そのさみしいさ、冷たさを
詩の言葉はくっきりと掬い取る。説明でもなく、お話しでもなく、選び抜か
れた対比の生きる言葉でかかれている。だから、人の心を辿れる。こういう
ことが、さみしいということなんだ、と日常に曇った目を拭われる。

 花屋の娘はほんとはさみしい
 店の中は花であふれていても
 家の中に花はない
 おとうさんおかあさん
 お客さんには笑顔を向けても
 娘には笑いかけない
 からだの具合が悪くて寝込んでいても
 はやくなおして手伝ってくれないと
 なんて言われる

 そんなものさ
 しっかりものの娘は思う
 さみしい顔は親には見せない
 いつしかかくれてひとりで泣いてはいても
 お客さんには笑顔をふりまくことおぼえる

 おとうさんおかあさんは考えている
 こころざしをもって生きてることが
 子どもへの何よりのプレゼント
 それは
 確かにそうに違いはないが

 きょうはクリスマス
 花屋はとてもいそがしい
 てきぱきと花束にリボンを結ぶ娘
 さみしさをまぎらわすようにとりかえる水の冷たさ


 そう、この、水をとりかえるときに、娘の指にかかる12月の水の
冷たさこそが、さみしさ、そのもの。親のために、クリスマスの楽し
みをあきらめて働いている。そんなことに気付くまもなく親は忙殺さ
れている。無理もないところの、冷たく指を咬む、12月の水。

 親と子の
 こころざしとさみしさと
 おとうさんおかあさん
 きょうはクリスマス
 ひとときその手を休めて
 娘の髪に
 バラの花ひとつ
 さしてあげておくれ
 



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11月7日
きょうみつけた秋です。クリックされる方へ。すこし大きいです。


[前を走る車に火が燃えている]

11月5日
 車に乗せてもらっていて前を見ていたら、走る車に火が燃えている。
えっ。燃えてていいの!?そんなに開けた竈の口に火が燃えさかったまま環七を走って
いいの!? びっくりしてしまう。よくみると「やきいも」の文字がある。なるほど、
と思うけれど、側には薪まで積んでいるし、やっぱりすぐ後ろを走るのは怖い。