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2005 4月分

[ヒカリの目・番外編]

4月30日
 きょうは搬入。ピンで写真を止めるのに硬い壁と格闘。指の力が足りなすぎる。
手伝ってくれた大塚さん。ありがとうございました。書家の大塚さんの絵はとても
面白い。山水画+ガンダムのような世界。みたことのない不思議な世界だ。画面に
は漢詩も書かれている。


[ヒカリの目・番外編]

4月28日
  
 「ヒカリの目」という写真の展示をします。ギャラリー志門で5月2日から7日まで
夜の会展での参加。その番外編でいくつか「ヒカリの目」をのせてゆきます。 



[突然、雷が鳴った]

4月26日
 ころころ天気が変わるおかしな一日だった。
 この間、コイズミアヤさんという箱の世界を作る造形作家の作品を見に行って思った
のだけれど、箱の中に山の地形がすっぽ入っていて、切り取られた山はグリーンの凹凸
が尾根と谷そのものでとてもひろびろしているので、みていて伸びやかな気分になり、
まるで天気のいい日に山を眺めているよで楽しく、これって表の風景と裏の風景がある
なとまで思い、箱のまわりをぐるっと歩いてまわり、楽しくて次ぎから次ぎへと、箱の
まわりを歩いて回った。箱の山は何て広いのだろうと、白っぽい砂のところはきっと川
が流れているだろうなんて見ていて、その山がぐるっと丸く崖がドーナッツ状に切り込み
を入れられているのが快感。丸い空きは隧道と名付けられて気持ちよく歩いて一周できそう
だし、他の箱の山などは山のまんなかが中庭みたいに四角く切り抜かれ、崖が中庭を囲んで
いてよく見ると、崖に矩形の小さな穴が開いていて、その穴は箱も貫通しているから、
箱の外から穴を覗くと視線は中庭を通り、箱の外へ抜けてしまって、それは箱と山の
両方を通った隧道なのだとわかって、くらっとしてしまう。箱の作品か私におよんで
きてスケール感を揺さぶってゆくから、くらっとして、自然の隆起が箱の直線と、隧道の
直線や円という自然にはない幾何学で切り取られていることが都市に暮らす自分に浸透
して快感を呼び起こすから、くらっとする。直線と曲線は脳のなかの世界に繋がっている
から箱の山たちは脳と自然の同時存在で、コイズミアヤさんの心でもあるわけで、とても
やさしい。箱の周りをまわりながら、旅行をしたように幸せになることなんてめったに
あるものではないし、これは、コイズミアヤさんの考えや感覚とともに遊ぶことができた
幸せなのだろうと思った。テーマの「山と隧道」が私へ入ってきて隧道なんて考えても
みなかったけれど、すごい空間だという広がりへと私へ風穴を開けてくれた。



[ことしもまたハナミズキが咲いた]


4月24日
 歩いているとあざやかな花に呼び止められる。チューリップが球根の長い眠りから
醒めて、目覚めるような花を咲かせている。アメリカハナミヅキは花びらが生長しな
がら、すこしづつ花が大きくなってゆくのが不思議。咲きながら伸びるなんて、なんて
ガッツのある花なのだろう。だからひとひらごとに形が違う。よくみると個性的でおも
しろい。

 
「ビフォア・サンセット」 がおもしろかった。
 9年ぶりにパリで再会した恋人が、飛行機で去ってしまうまでの85分間、ただそれだけなのだけど、
その貴重な85分間がリアルタイムで撮られているから、臨場感にのめり込んでみてしまう。物語は次ぎのよう。
 9年前、旅先で偶然に出会い強く惹かれ会ったセリーヌとジェシーは、ウィーンで半年後の再会を約束して
住所も教え会わずに別れてしまった。でも事情があってセリーヌはウイーンへ行けなくなってしまった。
再会できなかった二人は、別別の人生を歩んでいたが、心の底ではそのことを深く悔やんでいた。それが、
奇跡的にパリで会えたのだ。二人は会えなかったか事情や相手の今の本心を知りたい。というわけで、
セリーヌ役のジュリー・デルビーとジェシー役のイーサン・ホークは、会ってからずっとパリを歩きながら
話し続ける。弾む会話は途切れることなく、とてもとてもどきどきする。互いの仕事や環境問題や、人生や
セックスのことなど話題はあちこちに飛び、等身大の二人を写し出す。会話は息も合ってセンスがよく聞いて
いて引き込まれる。ほとんど会話だけでできてる映画なのに目が離せないほど面白い。どんどん時間が過ぎる
のに、なかなか本当に確かめたいことを聞き出せない二人がもどかしい。実は彼は思い出を小説にしてその講演
でパリにきて、彼女はそれを知って本を読み、講演の会場に会いにきたのだった。二人の間にフィクションが
入っていることも面白さをましている。前作の「恋人までの距離」の第二章なので、一作目のも見たくなった。



[90°]

4月18日
 たちあがるレンガ。これは壁? 影さえはっきりしないようすで斜めにのびる。


[コンクリートが割れる春]


4月16日
 咲きだそううというつよいパワーが、野の花のすみれやたんぽぽにも充満している。
「花」とう言葉や「咲く」という言葉は優しそうに見えていても、壊す力も隠れてい
るのだ。そして壊すことは悪いことばかりでもないのだった。

[何を支えているのか]

4月11日
 水色のパイプは何を支えているのかわからない。これだけでは。切り取ると
目にはいっているのはこんな変なようすなのだとわかる。分かったような目をして
いるけれど、純粋な目の水晶体をうらぎっている日々なのかも知れない。
 そこの猫、何を食べているのですか。 

 すこし休刊していた「詩学」がまた再開されたので、今月からふたたび気持ちを
引き締めて、投稿作品を読まなくては。


[馬と母と桜]
 


3月6日
 あっというまに桜が満開になっている。今日は母と馬のいる公園で花見を
した。グリーン・キャブというタクシーは迎えの料金をとらないサービス
をしているので助かる。ホームまで来てくれて車椅子の積み降ろしもてきぱき
としていただいた。このごろは伝い歩きならできるので、馬のいる柵に手を
かけ片手に杖を持ち、ぐるっと歩く練習をする。馬も来る人を見るのが楽し
そうに見える。馬のためにあたりに砂が敷いてあるので、足元がぐずっと沈む。
バランスをとらないと転ぶのでゆっくり、気をつけて歩く。つきそう私もきょう
は、はらはらしてけっこう気疲れ。でも母が楽しそうなのでよかった。帰りに
バスの中で居眠りして一駅乗り越してしまったというおまけがついた。


[ハーブの助け]

4月3日
 いつものコーヒーではなく赤いハーブのお茶を飲む。不安はどこからでもやってくる
からリラックス、リラックス。

映画「ブリジットジョーンズの日記 切れそうな私の12ヶ月」を見る

 日常に襲ってくる不安は、わりと人間関係からくるものが多いのだったと再確認。
そう思ってブリジットの身に起こることをみていると、こんなことあるな、と共感すること
が多い。好きな人とでも、育ってきた環境の違いから意見が合わなかったり、仕事をして
いる世界が違うと、相手の仲間のところで言っていいことと悪いことが異なったり、常識
や冗談までが通じなくて、失敗のもとになったりする。好きなのにけんかしてしまったり
相手の言動を自分の馴染んだ価値で測って誤解してしまったり。って、でも、そうしたら
誤解しないほうが難しい。推し量るしかないし、同じ人なんていないのだから。そう思うと
それでも良く人は、カップルになったり世間をなんとか作っているものだな、とかえって
驚いてしまう。ブリジットジョーンズの日記は私にとって苦笑いコメディーだった。 
 いろいろな出来事よりも、そんなことが起こってしまいかねない日常の背景の方が、
説得力をもっている映画だった。最後のハッピーエンドはとってつけたように確信犯的で、
いさぎよいほどラブコメディー。またしても私は苦笑い。


[ドラッグストアーにも寄って]


4月1日
 あまり話題にならないけれど、エイプリールフールなのでした。皆さん、
誰かに嘘をついてみましたか。わたしはやってみました。でもすぐ気付かれて
しまいました。
いつものように買い物をしてドラッグストアーにも寄ってみると、変わった
トイレットペーパーが出ていました。