今月へ
2005年9月分


[見上げると]

9月30日

 見上げると
   


河原を降りてゆく
ピンクの木槿が咲いているところまで。

見上げると
秋の空から水色の光の滝がきた。水色の滝に淡いピンクの木槿の発光がゆれている。
うっとりすると光の粒へワタシは分解してしまい、
泡のように浮き立って、滝のなかへ交じってしまた。
光の泡でも体の内側、輪郭の中のはずなのに、光の泡は少しづつ河原を吹く風に飛ばされてゆく。
満ちながら、足りなくなってゆく。

片手で掲げた銀色のデジタルカメラの周りを巡ってトンボが飛び交い続けている。
うるさいほど何匹も、光る羽根が。
手ぶらな方の人差し指を、トンボの眼の前に立ててみる。
子どもの頃のようにしても、トンボは止まらない。
中味が泡になっている指などトンボにはわかってしまう。
トンボの眼も泡のように集まった複眼だから。わかってしまう。

河原の草むらに足首まで埋めて、立っていると、蜘蛛がはい上がってきた。
ワタシはいま光の泡になっていて
浮いて渦をまいていて、
ただ明るさだけの時空へとゆっくり気が遠のくところ。
なのに、ジーンズの裾からは、蜘蛛が這い上がってきて、
どこかで、巣をかけようとしている。
隙間を嗅ぎまわり、もうすぐきっと、探しあててしまうだろう。
こめかみのあたりまで登ってきた。
こめかみのあたりなのか。亀裂があるのは。

登ってきてしまった。

こめかみに開いた穴の淵へ、端から端へと巣をかける蜘蛛。
蜘蛛は黒い穴の下に光の渦をみるだろうか。
坂巻き流れる光の渦が銀河のようだったらいいのに。

ワタシは思い込む。
蜘蛛は、そこから飛んでくる獲物を巣に掛け食らうつもりだ。
もう喰われているかも知れない。
満ちながら、足りなくなっている。
光の泡のワタシが流れて。
光の、丸い粒が流れて。

丸い粒、と言うと急に、こめかみから流れる丸い粒が、
頬をつたって落ちたのを思い出して、はっとする。
はっとして気付くと、草むらに、しっかりと足が立っていた。

蜘蛛の糸にたくさんの水滴が掛かかり、揺れていた。
思い出すと、蜘蛛の糸が雫をたくさん付けている下は守られて、
濡れていないのだった。
細い細い糸を張って、蜘蛛はきっと守っているのだ。
忘れてはいけないことは、気を失っても無くさないよう。

光の泡が 少しづつ 河原を吹く風に飛ばされる


                 10.3




[時空の破れ]

9月28日
  まるで、銀のラインで、時空がきりとられいてるように思ってしまった。
光が変化しただけでも、いつもと違ったものが見える。



[とぶとゆれる・飛行の線も]


9月25日
 きっと大きくゆれている。直線にみえる飛行機も、上空の大気の中をおおきく揺れなが
ら進んでいるのだ。鳥の羽ばたきは目にあざやかで、楽しそうにさえみえる。

 きのうテレビの世界一受けたい授業に脳科学者の茂木健一郎さんが出ていた。
脳が活性化するアハ体験を実験した。変化する映像をみながら、何処が変化したのか
みつけるゲームだった。間違い探しのようなもの。例えばストリートの人の歩いてい
る舗道と車道を撮った写真を10秒間ほど見て、何が変化したか見つける。見つけられ
ないととてももやもやするが、見つかると、あっ、と思う。その気がつくこと、発見
することが、脳の活性化になっているという。答えは男性のジャンパーの色だった。
グレーからグリーンにゆっくり変化した。意外とわからない。この状況で変わるはず
が無い、という先入観があるので発見がむずかしい。つまり、日常のさまざまなとこ
ろに発見できることが潜在しているから、発見をして、閃きを自分から見つけてゆき
活性化した脳で、生きよう。ということだった。ゲームのように何問がやっていると
すっきりして軽くなった。

[食べていた]


9月23日
 三軒茶屋の住宅街をよく歩いている馬。初めはこんなところで
馬の姿を見るとは思わないのでとてもびっくりした。でも何度か
すれ違っている間に、愛着を感じるようになった。ちょとした
公園で飼い主が携帯電話を掛けている間、馬はそのへんの草を食べ
はじめた。草が食べ物になるということに、はっとする。

 あいかわらず体調がすっきりしない。きょうは詩学社へゆき、いとう
さんと私で投稿詩の選評をした。あらかじめ選ばれた38作品のうち11作品
について私は話すことになった。できるだけ精読して、詩の言葉に即して
批評させていただいているが、批評する言葉はとても難しいと力不足なのを
いつも実感する。投稿の詩から学ばせていただいているというところです。



[かぜくさ]

9月17日
 駐車場になつかしい草が生えていた。かぜくさ。
「かぜくさだ」と心のなかで呼んで葉をみていると、土の匂いがしてきて、子どもの頃、
一人で下校の道を歩いている感じが蘇った。
 今日は、歩いていると冷や汗がでてきて、とても辛くなってしまった。貧血のときのよ
うな、力が入らない感じ。倒れるとまずいのでなんとかハンバーガー屋さんまで辿り着
き、暖かい紅茶を飲んで休んだ。少し収まったのでゆっくり歩いて帰った。空を見ると
月がまんまるなので、立ち止まってしまった。満月だから、何かが狂ったのかも、と
にっこりしてみると、にっこりさせたのは自分なのに、つられて少し楽しくなった。

 
[涼しい]

9月16日
 とても涼しい。そろそろ秋かな。季節の変わりはじめる頃、失調する
人も多い。横断歩道で何か議論する声が聞こえて、携帯電話で話している
のかと思ったら、そうではなかった。長い髪を一つに結んだ40代ほどの
女の人が一人で議論するような調子で話しながら歩いているのだった。と
てもしっかりした足取りだった。


[動きを追う]

9月15日
 まばたきのない目は、動きに反応しているだけなのだろう。人の心を覗いている
ように思えてしまうのは、たぶん人の錯覚だろう。


[映していたい]

9月12日
 透明をうつしたい。透明なら、うつらない。それでも透明なものをうつしていたい。



[写真 北爪みよこ]

9月11日
 これは北爪みよこさんが撮ったもの。私が変なアングルで撮っていたら、もっと
花がたくさん咲いているところの方がいい、と言うのでカメラを渡した。


 増山美穂さんがギャラリーイマーゴで写真展をしている。
 とても不思議なのは、どれも曇った日に撮ったように見えること。晴れた日に撮ってい
ても、晴れた日の写真は一枚もないように思えるのだ。危険なものはなにも撮っていない
のに、危ない気配がする。ちょっと見ただけでは気付かないけれど、少しするとじわっと
失調して怖くなる。
 私は写真を撮っている人に個人誌を差し上げたり、なにかの折りには写真家さんたちの中で
自分の詩を朗読したりしてくる。それで、増山さんと話したら、キャベツの詩が面白かったと
覚えていてくれた。キャベツの詩とは今度の詩集に入れた「そしてしますか」。若い写真家の人
たちは、広田早智子さん、三宅章代さん、永沼敦子さん、野田陽彩子さんも、みな「メモリーズ」
の詩の言葉を面白がってくれる。すてきだ。そして詩ばかり持っていっては配る私を受け入れて
詩集を読んでくれた小林のりおさんや佐藤淳一さんや高橋明洋さんも凄い。大嶋浩さんは詩集
「ARROWHOTEL」の感想を分けて書いてくれるということで2回メールで送ってくれて、納得がい
かなくて完結篇は送れなかったというほど丁寧に読んでくださった。言葉とは距離を築いて日々
を送る写真家なのに。いえ、それだから、一般的な文脈ではない詩の言葉と向き合ってくれるの
だろうか。でも望月祐志さんは物理学の人だ。
 そしてつくづくサガだと思うのは、知り合った人にすぐ詩のことを話してしまうこと。映画
「三つの雲」の上映の後で知りあったT貴子さんは初対面だったけれど、たくさん詩の話をして
しまったのだった。あとで私のサイトを見てくれてなんと同人誌の「エメット」を注文してく
ださった。詩を書かれるようになるといいのになぁ、とますますサガがくすぐられる。
 でもこういうときの私は詩を書くときの私とはまた違うので、あとで入れ替わると、恥ずかしく
なったり、怖くなったりする。


[ふりかえると]

9月9日
  数日前、ふりかえると夕焼けが美しかった。

 詩集『青い影 緑の光』が刊行されました。(来週には紀伊国屋書店、ジュンク堂、
、ブックファーストなど大きな書店に並ぶと思います。)
 この詩集は日々の実践を形にしたもの。どんなふうに読んでいただけるだろうか。
淡々としようと思っても期待と不安が入り交じってしまう。並製にしたのは良かった
と思う。手になじむ。並製は第一詩集の『ルナダンス』以来だった。  


[しのばずの池に詩の言葉が流れていた]

9月5日
 昨日は、詩を読む人達の声が、上野の一郭に響いた。詩を読んだり、演じたり、叫んだり、熱気
が水上野外音楽堂の舞台からやってきた。体調があまりよくなくて、ふらりと行って、ふらりと帰る。
若い詩人たちの全身で訴えかける姿は心を打つものがある。8時間ぶっとおしのせいか、お祭り感が
あり、オープンな雰囲気がとてもよかったが、身を入れて聞きたい詩は、やっぱり活字が見たいなと
思ってしまった。聞き下手なのかも知れない。ボランティアでこの会を支えているたくさんの詩の
好きな人達がるのを目の当たりにして、嬉しくなってしまった。聞きに来ている人は幅広い年齢層だ
ったがやはり若い人が多かった。         「ウエノポエトリカンジャム3」



[かんざしのように]

9月2日
 塀の上から枝をのばす花がかんざしのように風にゆれる。風もすこし紫っぽい。
 クオリアについて書いていたら、茂木健一郎さんが、脳科学者なのに8月30日に、
小林秀雄賞を受賞したという。心のことは、いま脳科学が研究しているのだと思った。

 詩集の刷り見本ができたので、と、ふらんす堂の山岡さんが見本印刷を送ってくれた。
きれいに印刷できていてほっとする。本文はもちろん写真のカラーがとても心配だった。
色校は難しい。自分で写真の完全原稿を作ったが、色校でも、色彩の調節や掠れをなくすよう
自分でフォトショップで手を入れた。一度別の紙でプリントしたものを印刷所が送ってくれた
が、紙によって色はぜんぜん違うということなので、そのときの校正は一応言葉で送ったが
それだけだった。写真の色校は費用が高いので、本刷り用の紙では一回だけだ。二回も
出すほどお金をかけられなかった。なので、色校がでたら、紙の感じと、色の出方を掴んで、
データを調整するのだけれど、調整したあとはもう本刷り。ものすごく神経を使い緊張した。
 詩の校正は3回行った。詩だけの詩集つくりよりもとても行程が多く、力を注いだ。けれど
本としては手軽に持って読める並製の作りにした。読みたいときに電車の中などで、ふと開いて
いただければと思う。