今月へ

[赤く飛ぶ]
1月31日

詩  赤く飛ぶ



首がいたくなるほど反る
反りあげて
あく口

空へあく
口のなかは真っ赤
赤く舌が動く



声が
口から出るときに
言葉となるなら ほんとうは赤い色だって知っていますか
血の色 血潮の色
血が騒ぐ 
舌から離れた瞬間 
でも言葉の赤い色はみえなくなる 
なぜだろう

叫びは色ではありません 叫びは裂け目だから



反りあげきった首と背中
こんどは反対にまるめてゆく
胸の中へ鼻をうずめる うつむいて うつむいて
巻ききってゆく ほんとうのことへ 巻いてゆく

あなたはほんとうはどう思っているのわたしを
ほんとうはあなたはどうわたしを思っているの
あなたのほんとうはどう思っているのわたしを




胸の底から
あなたへ飛んでゆく赤い言葉
胸の底を通ってゆくから口からでないから
赤いままの言葉
それが わたしへと帰ってくる
返ってくる
胸の谷のその奈落

ほんとうはわたしはどうあなたを思っているの
わたしはほんとうはあなたをどう思っているの
どう思っているのわたしはあなたをほんとうは




[すこしずれて]



1月29日
なにも疑いがないように見える年輪を重ねた樹木でさえ、すこしずれた露出のな
かで、もうあやうく蒼に溶けだしている。漂い出すときの、地上から切れる感じ
は、澄んでゆく。


[開花]

1月29日
27日の土曜日に、この一年間選評を担当させていただいた詩学の投稿詩から撰ばれた
詩学新人賞の受賞式があった。詩学最優秀新人賞は犬飼愛生さん、文月悠光さん。
新人賞はかみいとおほさん、島野律子さん、出縄由貴さん、市松獨朗さん、高木敏次さん。
 
御徒町で待ち合わせていたとき詩学編集長の寺西さんが来る前に、かみいとおほさんと
犬飼愛生さんが到着していた。犬飼さんは詩学最優秀新人賞を受賞され、大阪から来てく
ださった。詩作品で知っていた詩人とはじめて会うのでどきどきしていたけれど、すっきりと
した視線の犬飼さんがさわやかで会えてよかったとすっと思えた。かみいとおほさんは
昨年開催した「ただいま」展のギャラリーへ来てくれたときと同じく、目が明るく力を持っ
ていて、これからもどんど詩をかきます、という感じ。少しして、一緒に選者をしたいとおさんや
島野律子さんが見えた。島野さんとも「ただいま」展などで何度かお会いしていたのですぐにうち
とける。それから寺西さんと、詩学第一回目の最優秀新人賞のクロラさんがみえた。お店につき、
乾杯をしてすぐに贈賞。
どうしても来られなかった北海道の文月悠光さんは、中学三年生。高校受験をひかえて
いるからとのこと。なんて若い!! 知ってはいたけれど、実感。文月さんは、わざわざ
店に確認の電話を入れた後、電報を送ってくださった。なにかみんなで感動したのでした。
詩学を売っている書店を解るようにしよう、という話しを熱心にしていた犬飼さんの
おおきなカバンからはたくさんの詩の本がのぞいていた。島野さんやかみいさんの
詩誌の作り方などを聞いたり、とさまざまな話題で盛り上がった。後から詩学の扉の
デザイン画を描いている森本ゆふさんもみえた。そして二次会になって昨年の新人賞の
みずたさやこさんが仕事帰りにかけつけてくれた。
とにかく、みな若い。そしてパワフル。これから、きっと活躍なさることと期待される。





[見て]


1月26日

詩  見て

見て、鋭く光ってる、

指さしたのは街路樹の枝
すなおに立ち止まることができなくて
とおりすぎると
ビルの後ろにはいって 光っていたものが消える
消えてしまうとみたくなって
また数歩 後戻り

どこだろう
見上げると
街路樹の枝は まだ三日月を指さしていた
冬枯れの鋭い爪で
細い三日月を刺して
三日月の端に小さく穴があく

穴があいた三日月は掌にのせてみたい気がする
あいた穴に細い鎖を通すと
光る三日月のイヤリングになった

遠い
ところに離れている
空の顔の
右耳と左耳
 
映り出す顔はおおきさがない

三日月に光るイヤリング ひとつ
ひとつだけのイヤリングは
片方失ったようで寂しい

宵の空にもう一つ 
光っている星を探して
宵の明星に
穴をあけ 細い鎖を通しておこう

遠いところに離れている
もう触れることもない 顔
空の顔の
両耳に
月と星のイヤリングをつける

映り出す
ふと目を上げた 夕暮れの空いっぱいに

三日月も星もよくにあう
と言ってみたら届くだろうか 

鋭く、
指が伸びてしまう、
映る頬に
触れようとして

  (1/28)


[白いシャツが眩しい]

1月23日
 クラブ活動の帰りだろうか。なにか話しながら歩く中学生達の白いシャツが眩しい。
晴れた日の校庭で、白いシャツが輝いて、眩しいと思ったことがあった。ずっと忘れ
ていたのにふと蘇ってくる。ふと意識した男子の白いシャツがホントに眩しかったのか、
笑いながら話している姿が目のなかでハレーションをおこしたのか、ほんとうのことは
わからない。

コマガネトモオさんの『背丈ほどあるワレモコウ』を読んだ。
一冊になるとコマガネさんの言葉の感触がくっきり輪郭をもってくる感じがした。
「おや、おまえいつからそこにいた?」の「おや、」という発見の感じがとてもしっくりする。
「あれっ」でも「えっ」でもない「おや、」。すこし日常が見え方によって詩の発想の世界へ
ずれ込むときの反応の感覚だ。ここでは、(風呂場は思いのほかやわらかく、ブラシに沿って/磨けば伸びる)という
ぐにゃりとしたところから、その場がぐにゃりとなって、記憶が浮き出てくる。それを整理しよ
うとするようにブラシを動かし、アクションをするように、出てきてしまった(前に着ていた ねまき)
を着たり、と言葉で反応してゆく。そこに真剣さが現れすぎないようにユーモアが見張っている。少し斜交いに。
その、ユーモアが見張っているところに、詩を書くことへの作者のスタンスが象徴的に現れていると思った。
(覚えのないページだが、端が目印に折られていね/しょうがない、愛したページから朽ちていく)という
言葉も好きだった。
そしてその斜交いの感じと、巻頭の詩「ヌル」とが関わっているのではないだろうか。
爪と指との隙間のようなわずかな裂け目からも出る、激しく生え広がろうとするものや、かすかでも
肌を焼いてしまう光のようなつよく降りそそぐもの。出ようとする、降り注ごうとする直なパワーに
警戒してゆくベクトルがある。(仰いだ人は顔を焼かれた。/八方いずれも真向きであってはならない。)
この言葉が、ずっと響いてゆく。一冊を通して印象を残す。



[シロやクロがいなかったときがあったのだ]




1月20日
シロやクロがまだいなかった頃の感じが、もうよくわからなくなっている。
餌を催促されたり、遊ぼうと甘えられたり、目と目が合ったりということが
ふつうになっていて、人と話さなくても、シロやクロへ話し、そうだよね、なんて
言っている。クロはほとんどかならず、にぁん、と返事をしてくれる。こんなに
返事をする猫はいままでで初めて。シロはこのごろスリッパを履くことを覚えたのか、
私の足から離れたスリッパの上にすぐに載ってしまう。シロの体温でうっすら暖かい
スリッパを、シロ返して、といって返してもらう日々。

きょうはアイコンの文字化けを直してもらった。なぜ文字化けなんておこるのだろう。
トラブルのときそのトラブルを検索すると、直し方がでているサイトがあるのはとても
助かる。

ところで私の好きな自主映画の監督の長屋美保さんの映画「水星」をきのうきょうと上映
したらしい。知らなかった。またいつか長屋さんの映画をみたい。


[鉄コン筋クリート]

1月18日
「鉄コン筋クリート」はとても懐かしかった。松本大洋のマンガを読んだ印象
とアニメの印象がほとんど変わらない。それよりもぐっと迫力があって面白かった。
クロとシロが宝町の電信柱のてっぺんに立っているところや、空を飛び、ビルから
ビルへ飛び移るところなど、立体3次元の風が感じられる。そしてクロがシロを助ける
ためだけに生きているその絆が、ひりひりと迫ってきた。暴力で生き抜いているクロの
そばで、シロが明るい幸福な海べの夢のような世界を想像しつつけていることが、血な
まぐさい抗争のなかで突き抜けていた。「クロはこころのネジが足りないの。でも
それをぜんぶシロがもっていたの。」というシロ。クロにまもられながら「あんしん、
あんしん」とシロが言い続けるとき、「あんしん」はほんとうにあるのだった。
夢のようなシロのイメージが、ほんとうにこころの中で安心の核を作りだしている。
それが二人を守り、支えているのだということが映像として、くっきり迫ってきてとて
胸を打つ。クロが闇に飲み込まれそうになるとき、シロがそれを止めようと、サイキック
な壮絶な戦いをするのだけれど、それがクレヨンを握り締めて殴り描くことだったのも
すごくよかった。シロの声は蒼井優だったけれど、ぴったりだったと思う。そしてネズミと
呼ばれる男の声が田中泯だったのも、宝町の時の流れの少しセンチメンタルな気分を醸
していた。


詩学の投稿欄で知った犬飼さんの詩はとても面白かったのです。
私は犬飼さんのホームページがあったのをつい最近知りました。
 drawn-game  そこで相互リンクしました。

 
[詩のなかから]

1月15日
 新年発の詩の合評会ではみな詩作品を持ってきて、合評の時間が足りなくなって
一時間延長し、それでもまだたりなかった。そうして読んだ毛利珠江さん詩「水仙」
がとてもよかった。まだ冬のうちに、その冷たさそのまま咲きだす水仙の花と、
一体になっている言葉に惹かれ、ずっとその印象が残りつづける。詩のなかの庭の隅
の水仙を思いながら、最近撮った水仙があったのを思い起こし、ここで巡り会わせて
みたくなった。

 会の後、薦田さんが招いてくださって浅草へ。出版記念会のときに発起人をした
ふらんす堂の山岡喜美子さんと、川口晴美さんと私、それと手伝ってくれた手塚敦史
さん。浅草はきょうもお祭りの華やぎがあって歩いてみるのが楽しかった。とても
ひさしぶりできょろきょろしながらお店を冷やかしたり撮ったり。指さし、立ち止ま
っては案内してくれる薦田さんの後をのんきについてゆく。おいしい中華料理もいた
だきました。そしてお茶をしに入った洒落たお店でもいろいろ話しているとき、
ふらんす堂さんのHPで、新しい詩の企画をはじめようということが具体的になり、
お茶の席は編集会議へとかわる。
これから、微力ですが私も協力してそのことを進めたいと思います。
 
[雰囲気のある店構え]




[不機嫌な兎・警戒するシマリス]


1月14日
ずっとこんなところに入れておくのかい、と目を歪ませる不機嫌な兎。
変だ、餌で釣って捕まえる気か、と耳を後ろに反らして警戒する森のシマリス。
この後、シマリスはチョコを差し出した手に噛みつく。
兎はなんだか心を閉ざしているようにもみえる。シマリスは両前足を踏ん張って
きっ、と闘う意識を剥き出しにしている。表情は少なくても耳や体が語っている。

きょうは詩の合評会へ。前回工事中の詩ももっていったのだけれど、きょうは
改訂版を持っていく。完全版というのはきっとないのだろう。直したくなり、
直しすぎては戻し、戻してみてまた別のところが気になったり、と推敲にはき
りがない。

それときょうは薦田さんに頼まれて撮った出版記念会の写真を持ってゆく。
かぞえたら120枚撮っていた。照明のしたの人物は難しい。そのうえ動く
からぶれてしまう。だから多めに撮っておかないと使えない。なので頑張りました。
みなさんのいい表情のもあるけれど、おばけのように流れている顔も・・。




[ティディベアがたくさん]




1月12日
お正月の休みに伊豆ティディベア・ミュージアムへ行ったときのこと。
じっさいに訪れるまでクマさんの縫いぐるみがたくさんあるだけだと
思っていた。けれど、行ってみてほんとうに驚いてしまった。
じわっーと、嬉しい。小さなクマの目をみつめていると、とても嬉しい。
体が暖かくなってくる。冷たい雨が降っていたけれど、それも忘れて温もって
いった。どのベアも同じ顔が一つもなくて、いろいろな時代につくられ、
様々な国の人のそばにいた。すり切れたり、色褪せたりしている。そして
なにか話しかけてくる。


[きょう夕焼けがきれいだった]

1月10日
 ちょうど乗り換えの田園都市線の二子玉川駅のホームに電車が滑りこんだとき、
はっとするほど夕陽があかかった。風景にオレンジとピンクと赤が混じり合って、
思わず携帯電話を取り出して撮っている人があちらにも、こちらにも。ホームでは、
下を流れる川幅の広い多摩川を眺められる。水も夕焼けに染まっていて、眺めている
とどこか静かな気分がひろがった。


[保護区]
 
1月7日

詩

  保護区


崖っぷちの林の中を歩いてゆくと
小さなプレートが木に巻き付けられていた
魚保護林
と文字が読めた
林の中なのに 魚がいるの

えぇっ 木々の間を魚が泳ぐの 

そんなわけない
ぴたんと本を閉じるように
思い付いたことを閉じようとしても
ぴたりと閉じられない
どこかずれしまって
もう木々のあいだを魚が泳ぎだしている

えぇっ と思った隙間から
魚は
抜け出してきたのだろうか
魚は
しなやかに光りながら
林のあいだを幹を巡って
すうっー くるっ と泳ぎ回っている 

朝早く電車に乗って
ここまでやってきた 
崖っぷちの林の道まで
ガイドブックにのっている崖から崖へ掛かる吊り橋までゆきたくて
吊り橋をめまいしながら はるか下の渦巻く波の上を
震えながら渡りきりたい

誰とも言葉をかわしていない
わたしの足元を群れなして魚が泳ぎ巡っている

きっと 話しかけなかった
どろっとした黒い言葉や
(とうとう来たね 来たかったんだ 
(わぁ 海だね なんて久しぶり
という独り言や
(空気が澄んでいる 
(晴れて 海が青くてきれい やなことなんかみんな消える
や
(この林の道でほんとにいいの
など
唇のあいだから出なかった 文字にもならなかった言葉たちが
魚になって泳ぎだしたのだ 魚保護林で
隙間を抜けて

林の中を 波の音が引いては寄せる
水のない波が音だけで 打ち寄せている林だもの
見えない魚だって守られる

林の先に
海が見透かせられる

吊り橋は
もう近いだろうか

崖から崖へ
めまいのように裂け目に掛かる高い吊り橋
張り巡らされた金属製のロープから海がすけすけで
揺れる狭い板の上で 震えてしまう きっと怖い


渡りきってしまったら
こんどは別の魚たちが
もっと険しく切り立った隙間をみつけ
泳ぎだす

思い付いたことは閉じられない
思い付く
裂け目がふえて
わたしに無数の隙間ができて それが林になってゆく 
崖っぷちの林が続く
                      (1/8)


[トウキョウ・ループ/詩誌「カエルの置時」/岩佐なを]

1月3日
 きょうはようやく自分の時間がとれたので渋谷のイメージフォーラムへ。
16人の日本のアニメーション作家の映画を見に行く。束芋は「公衆便女」でまたまた
新テイストを加えた。蛾がリモコンで飛んで小型カメラで盗撮するのだ。これまでは、
閉鎖された空間だけであからさまになる女たちの事情をアニメで暗示していた。けれど
今回は、それですらまだよかったといわんばかりに、怪しい男の掌から便所の窓を通って
蛾が飛び込んでくる。襲撃されている怖さがあった。「時間層U」で有名な岩井俊雄の
「12 O'Clock」なども時計の円のなかが空間になるのを幾何学の動きで現していた。
そして、山村浩二の「無花果」。やはりアニメとしての面白さが際だった。東京タワー
を付けたビル人間君が、夜空の電線の上で涙を流し、涙の雫から、鳥や魚のようなもの
が産まれる。尻尾が蛇口になっている猫もいた。イメージがダイナミックで動きと変容
が速く、わくわくした。ビル人間君は都会の残酷さを泣いているようにも見える。それで
も涙から産まれたかわいいものたちと、夜空の電線の上で楽しくするためにイメージを
ふくらませている。些細なことだけれど楽しいことは作ってゆかなくちゃね、といって
いるようで好きだった。

 かみいとおほさんの詩誌「カエルの置時」5号。三宅章代さんが撰んだ詩が7つ載って
いる。どれもとてもいい詩だった。「あの角を曲がると」は詩学の投稿からはずっとすっき
りしてよくなっている。書き直してよくなってゆくのは案外努力のいること。かみいさん
はがんばったのでしょう。「これからの話」もよかった。

 じゃあ、こういうのはどうだろう。
 文庫本をちょろちょろ読みながら僕は言った。
 こういう、の。
 僕が気に入ったところは青い線を引く。
 ここからここまで、
 というところを、すい、と引いて、
 最後は少し大きめの丸で締めくくる。
 昔から直線を描くのが得意じゃなかったから、
 きっとそれは隣の行へはみだしたり、
 本文を貫いて邪魔してしまったりするだろう。
 でもそんなのはどうでもいい。
 で、
 君が気に入ったところは赤い線を引くの。
 (略)
 そうしたら、
 青と赤の線で溢れた本が出来るじゃん。
              (「これからの話」抄)


 岩佐なをさん。詩人で銅版画家で、不思議な人。
あゆみギャラリーで昨年12月にグループ展をみにいったら、
「散歩」しているふしぎな昆虫のペアが草原を楽しそうに進んでいて
とても気に入ってしまった。
そして、思いもかけず、美術出版からだされた
岩佐なを「『銅版画蔵書票集』エクスリブリスの詩情」を
お送りいただいた。ありがとうございます!
植物や動物、星や水、可愛いものや、エロティック
なものや、霊岸からやってきたような生き物たちのにぎわいが、93点も。
活気にあふれている。たのしみながら覗いてゆきたい。 
  




[若緑]

1月1日
 足元にも咲いている。三つの花の顔。葉に隠れて咲く椿独特の華やぎ。